月〜金曜日 18時54分〜19時00分


和歌山・紀美野町 

 和歌山県北部の丘陵地帯に位置する紀美野町は、平成18年(2006)旧野上町と美里町とが合併して誕生した町。町の中を貴志川が流れ、その清流沿いに高野山に通じる街道が走り、集落が発展してきた。貴志川の渓谷美、緑豊かな自然が町の誇りで、この自然をテコに町おこしを図っている。


 
野上八幡宮  放送 8月27日(月)
 紀美野町の最西端、海南市との境界近くに鎮座する野上八幡宮の由緒は古く、神功皇后が三韓遠征の帰途、誉田(ほんだ)皇子(後の応神天皇)と共にこの地に逗留したという伝承から、6世紀半ばに欽明天皇が応神天皇の霊を勧請して八幡宮を建立したと伝わる。
 平安時代中期の永延元年(987)に石清水八幡宮の別宮となり、神社での神事などはすべて石清水八幡宮に準じて行われるようになった。万寿2年(1025)には本殿、末社など19社のほか中門、回廊、神楽殿などが造営され隆盛を極めた。

本殿

(写真は 本殿)

鐘楼

 天文10年(1541)根来寺衆徒が襲撃して火を放ち、社殿などの建物、社宝などをことごとく焼かれ、神事や祭礼などの中断を余儀なくされた。
 その16年後の弘治3年(1557)から本願寺の僧・真賢上人によって社殿の再興が始まり、現在の本殿、拝殿、摂社などが再建され、同時に本願寺、神宮寺も建立された。江戸時代に入ってからは紀州藩徳川家の援助を受け、鳥居などが再建された。明治維新の神仏分離令で本願寺、神宮寺は廃絶され、今は鐘楼だけがその名残を留めている。

(写真は 鐘楼)

 歴史ある神社だけに本殿、拝殿と摂社3社の建物5棟と太刀一振が国の重要文化財に指定されている。本殿は棟札から元亀4年(1572)に建てられたものとされ、奥2間を内陣、前方1間の庇部分の向拝から成っており、背面と向かって右側に低い縁を設けた変わった建築様式である。
 摂社のひとつ、朱塗りの平野今木神社の向拝の蟇股(かえるまた)の雲に竜、竹に虎、牡丹に獅子などの彫り物が目を引く。松や杉の老樹がうっそうと茂る境内には、本殿のほかに摂社3社、末社13社があり、石清水八幡宮と並ぶ古社らしい雰囲気を漂わせている。

平野今木神社(若宮社)

(写真は 平野今木神社(若宮社))


 
高野長峰霊場巡り  放送 8月28日(火)
 東西に長い紀美野町を横断して高野町へと続く国道370号は、高野西街道と呼ばれている。数ある高野山への参詣道のひとつで、昭和62年(1987)この街道沿いに、身体各部の健康と心の安らぎを願ってめぐる「高野長峰霊場」が開かれ、1番から10番までの10ヵ寺が点在している。貴志川の清流沿いのこの街道は自然に恵まれ、心身を癒してくれる街道でもある。
 街道筋には高野三山を背景に高野山・根本大塔、街道名、高野山までの距離、設置点の地名などが記された直径90cmの標識が立てられ、道案内をしてくれる。

本尊 薬師如来(秘仏・釜滝薬師 金剛寺)

(写真は 本尊 薬師如来
(秘仏・釜滝薬師 金剛寺))

本尊 千手観音菩薩(秘仏・惣福寺)

 5番札所の釜滝薬師・金剛寺は平安時代初期の天長2年(825)に慈覚大師・円仁が、釜の淵に奇瑞を感じ本尊・薬師如来像を刻み安置して創建した。 「目の薬師さん」として知られ、眼病ばかりか運勢の「目」、草木の「芽」にいたるまで霊験あらたかと言う。
 天正13年(1585)の豊臣秀吉の根来寺攻めの兵火で本堂などを焼失、その後、約150年間の寺の存在は不明だったが、江戸時代中期の宝暦3年(1753)にやっと本堂が再建された。秘仏の本尊・薬師如来像は50年に1度ご開帳され拝観できる。

(写真は 本尊 千手観音菩薩(秘仏・惣福寺))

 緑豊かな山懐にある8番札所の惣福寺は、奈良時代末の宝亀元年(770)道光上人開山の寺。人びとに安らぎを与え、苦しみを抜く「抜苦、安心」が、本尊で秘仏の千手観世音菩薩像の御利益。大御堂と呼ばれる本堂のたたずまいは、スケールの大きさかから野上第一と言われている。
 紀美野町の最東端の10番札所の泉福寺は、江戸時代中期の安永4年(1775)創建で耳に効験がある。平安時代の安元2年(1176)に鋳造された梵鐘(国・重文)があり、この梵鐘の音を聴けば耳の病も治ると伝えられてきた。戦没者を敵味方分け隔てなく供養して世界平和を祈念しており、東条英機や山本五十六の供養塔もある。

泉福寺

(写真は 泉福寺)


 
星の動物園  放送 8月29日(水)
 「星のふるさと」は旧美里町のキャッチフレーズ。澄んだ空気と星空の美しいことで知られる旧美里町の標高430mの山上に「星の動物園」と名づけられた「みさと天文台」で夏の一夜を過ごしてみよう。
 「星の動物園」には宇宙に関するさまざまな情報や知識が得られる「月の館」、自然の中で星の観測が楽しめる「空の庭」、大型反射望遠鏡が設置されている「星の塔」の3つのゾーンからなっている。都会の夜空とはまったく異なる夜空を眺めていると、宇宙の神秘と魅力に取りつかれ、夜空にまたたく星の動物たちと触れあえる。

月の館内部

(写真は 月の館内部)

星の塔

 まず総合案内施設「月の館」で気象衛星ひまわりからの気象データのほか、宇宙から見た地球の素顔やオリオン座大星雲、アンドロメダ星雲など宇宙に関する情報、知識を得てから望遠鏡をのぞいて星を直接観察することができる公開観測施設「星の塔」へ。
 螺旋階段を昇り観測室に入るとそこに備えられた反射望遠鏡は、口径105cmと言うビッグスケール。こうした大望遠鏡を一般公開して自由に使える公開施設はあまり例がない。星座伝説に生きて夜空を彩る「星の動物たち」が、手に取るように見ることができる本格的なスターウオッチングが楽しめる。

(写真は 星の塔)

 星の塔の展望デッキからは360度の天空が広がる。その星の多いことは「星降る如く」の表現がピッタリ夜空で、スモッグで汚れた夜空しか見ていない都市の生活者には「こんな夜空があったのか」と感動できること受け合い。その周囲には夜の山並みが黒々と横たわり、大宇宙の中へ放り込まれたような感覚を覚える。
 みさと天文台にはバンガローも併設されており、宿泊者には貸し出し用の望遠鏡も用意され、泊まり込みで一晩中スターウオッチングが楽しめる。また、研修会や天体観測会などに利用できるセミナーハウス「未来塾」もあり、本格的に天体観測をするグループにはおあつらえ向きの施設と言える。

展望デッキからの眺望

(写真は 展望デッキからの眺望)


 
生石高原  放送 8月30日(木)
 生石高原は標高870mの生石ヶ峰を中心に紀美野町と隣接する海南市、有田川町にまたがる広さ13haのなだらかなスロープを描く大草原。
 西方の眼下に和歌浦湾、湯浅湾、さらに遠くの淡路、四国の峰々までも望め、東には高野・護摩壇山と熊野連峰が連なり、まさに360度の大パノラマが楽しめる。高原一帯は春にはヤマザクラや草原の草花、夏はヤマユリ、秋は銀白色のススキと四季折々に表情を変える。生石高原のメインは何と言っても高原一帯が銀色の海原のようにススキでおおわれる秋。10月から11月初旬までのススキのシーズンにはハイカーたちでにぎわう。

笠石

(写真は 笠石)

押し上げ岩

 生石高原は若き日の弘法大師・空海が修行した地とも伝わり、大師にまつわる伝説が多い。山頂中央部に笠を伏せたように横たわる周囲90mの大岩・笠石は、空海がこの岩の上で護摩を焚いて修行した場所と言う。この笠石は生石高原のシンボル的役割を果たしており、山開きなどの行事がここで行われる。
 登山道脇の押し上げ岩は、通行の妨げになるので空海が押し上げたと伝わり、空海が力を振り絞って押し上げた時の手形の窪みが今も残る大岩。空海ものどを潤したであろう竜王水は今も清らかに流れ続けている。

(写真は 押し上げ岩)

 山頂から200mほど下ったところにある生石神社は、高さ48m、幅15mの巨石を御神体にしている。生石ヶ峰は岩を信仰する神道と修験道、密教の山岳修行が融合した道場となり、生石神社は生石高原独特の生石明神信仰の聖地とも言われる。
 ハイカーたちの憩いの場でもある「山の家おいし」の土産物売り場には、紀美野町特産のシュロを使った珍しい土産物がある。シュロのほうき、たわし、ロープなどのほかに、ミニチュアのシュロほうきがついたキーホルダーには「交通ほうきを守りましょう」と書かれた絵馬もついている。

竜王水

(写真は 竜王水)


 
美里温泉  放送 8月31日(金)
 貴志川上流のだるま石渓谷は、全体が濃緑の結晶石のだるまのような丸い奇岩が立ち並ぶ渓谷で、以前は達磨大師が祀られていたと伝わる。高野山の源流から流れ出るこの貴志川の清流は「紀の国名水50選」のひとつにも選ばれている。
 渓谷近くの山腹の熊野神社は、平安時代初期の征夷大将軍・坂上田村麻呂ゆかりの社。境内には田村麻呂が東北遠征に発つ前に戦勝を祈願して立てたと言われる宝篋印塔(ほうきょういんとう)が残っている。

だるま石渓谷

(写真は だるま石渓谷)

宝篋印塔(熊野神社)

 田村麻呂は若き日にこの地に逗留し、村の娘との間に一子を授かった。この地を離れる時、村とわが子の守護神として熊野から勧進したのが熊野神社で、田村麻呂の子の子孫が代々この神社の宮司を務めてきたたと言う。境内には田村麻呂お手植えと伝わる「将軍桜」のほかに多くの桜があり、満開時には"紀州の吉野?と言われるほど咲き競う。
 熊野神社近くの田村麻呂が発見したと伝わる美里温泉は、肌が美しくなる「美人の湯」「美容温泉」と呼ばれ女性に人気の高い。

(写真は 宝篋印塔(熊野神社))

 貴志川の渓流に面したこの温泉は、透明な単純硫黄泉で神経痛、胃腸病、慢性皮膚病などに効能があると言われ、都会の雑踏を逃れた温泉客が湯に浸かり心身をリフレッシュしている。大自然に包まれた露天風呂の湯船で、夏は貴志川の清流で鳴くカジカの声を耳に、秋は色づいた木々を眺め、冬は降るような満天の星空を仰ぎ見ることができる。
 夕食には山の幸、川の幸をふんだんに使った料理に舌鼓が打てる。夏はアユ、アマゴ、新鮮な山菜、冬はイノシシ肉のボタン鍋が堪能できる。

美里温泉 かじか荘

(写真は 美里温泉 かじか荘)


◇あ    し◇
野上八幡宮JR紀勢線海南駅からバスで野上八幡宮下車すぐ。 
釜滝薬師・金剛寺
惣福寺、泉福寺
JR紀勢線海南駅からバスで登山口下車、ここからタクシー利用が便利。登山口からコミュニティバスの便があるが土、日曜日、祝日のみの運転で便数が少ない。
星の動物園・みさと天文台JR紀勢線海南駅からバスで登山口下車、ここからタクシー利用が便利。登山口からコミュニティバスの便があるが土、日曜日、祝日のみの運転で便数が少ない。
生石高原JR紀勢線海南駅からバスで小川宮下車徒歩1時間30分(日、祝日のみ1日2往復運転)。
JR紀勢線海南駅からバスで登山口下車徒歩2時間30分。
熊野神社
美里温泉・かじか荘
JR紀勢線海南駅からバスで登山口下車、ここからタクシー利用が便利。登山口からコミュニティバスの便があるが土、日曜日、祝日のみの運転で便数が少ない。
かじか荘利用者は5人以上なら無料送迎バスが予約できる。
◇問い合わせ先◇
紀美野町産業課073−489−5901 
野上八幡宮073−489−2162 
釜滝薬師・金剛寺073−489−2830 
惣福寺073−498−0431 
泉福寺073−499−0245 
星の動物園・みさと天文台073−498−0305
山の家おいし073−489−3586 
美里温泉・かじか荘073−498−0102 

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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