月〜金曜日 18時54分〜19時00分


福井・永平寺町、坂井市 

 永平寺町はその名の通り曹洞宗大本山・永平寺の門前町として発展してきた。松岡町、永平寺町、上志比村が合併して新永平寺町が誕生したが、永平寺の修行僧たちや参拝者たちとの共存関係は変わらない。日本海に面した三国町から内陸部の丸岡町まで4町村が合併して生まれた坂井市。その中で丸岡城など歴史遺産や越前竹人形で知られているのが旧丸岡町。今回はこの旧永平寺町と旧丸岡町を訪ねた。


 
永平寺・諸堂伽藍(永平寺町)  放送 9月10日(月)
 曹洞宗の大本山・永平寺は、中国・宋の天童山景徳寺での修行を終えて帰国した道元禅師が、鎌倉幕府の御家人・越前の波多野義重に懇請され、寛元2年(1244)越前に大仏寺を建立、寛元4年(1246)寺号を永平寺に改めた。
 大仏寺山を背にした10万坪(33万平方m)もの境内には、仏殿、法堂(はっとう)、山門、僧堂、大庫院(だいくいん)、浴室、東司(とうす)の七堂伽藍(しちどうがらん)を中心に大小70余棟の堂塔が建ち並んでいる。一般寺院では七堂伽藍に加えない台所の庫院、浴室、トイレの東司が禅寺では加えられている。

中雀門

(写真は 中雀門)

仏殿

 僧堂、浴室、東司は一切の私語が禁じられる「三黙道場」とされ、食事をし排泄して眠る日常生活のすべてが禅であり、仏教であるとの道元の教えから、台所やトイレも寺院の重要な部分を占めていることになる。
 七堂伽藍の中心、すなわち全山の中心をなす仏殿には、現在仏の本尊・釈迦牟尼仏像とその左右の脇侍に西方の極楽世界を主宰する過去仏の阿弥陀仏像、釈尊入滅後の56億7千万年後にこの世に現れ、釈尊の救にもれた衆生をことごとく救い導くと言う未来仏の弥勒仏像が祀られ、過去、現在、未来の三世を表している。最も奥の高い位置にある法堂は1000人余りを収容し、禅師の説法や各種の法要が行われる。

(写真は 仏殿)

 仏殿の西の承陽(じょうよう)殿は開祖・道元の真廟、いわばお墓であり、日本曹洞宗発祥の聖地とされる所である。境内の裏山の大仏寺山の山麓から湧き出る白山水(はくさんすい)と食膳を毎日供え、道元禅師が生きているがごとく奉仕が続けられている。
 中央に道元の真像と遺骨を安置し、その左右に第2世貫首・孤雲懐奘(こうんえじょう)、第3世貫首・徹通義介(てっつうぎかい)、第4世貫首・義演、永平寺中興の祖である第5世貫首・義雲、さらに総持寺を開いた瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)の各像を祀っている。

釈迦牟尼仏像

(写真は 釈迦牟尼仏像)


 
永平寺・禅の教え(永平寺町)  放送 9月11日(火)
 深山幽谷の地にある永平寺は出家参禅の道場であり、常に200余人の修行僧が日夜修行に励んでいる。その修行の中心は座禅だが、掃除などの日常の作務もまた大事な修行である。
 永平寺の一日は夏は午前3時半、冬は午前4時のまだ夜が明けきらぬ中、僧が全山を走りながら打ち鳴らす振鈴(しんれい)の音で始まる。修行僧たちは起床して布団をたたんで納め、洗面板が3度打ち鳴らされるのを合図に洗面を行い、起き抜けの暁天(ぎょうてん)座禅にはいる。この座禅が終わると法堂(はっとう)で朝課(ちょうか)と言う朝の勤行をすませ、行鉢(ぎょうはつ)と呼ばれる朝の食事を僧堂でとる。

法堂

(写真は 法堂)

僧堂

 朝食が終わると日天(にってん)作務と言う諸堂を結ぶ回廊のふき掃除や境内の掃除の作業が始まる。ほかに山内の樹木の枝落としの山作務、永平寺の前を流れる永平寺川を掃除する川作務、冬は降り積もった雪を除雪する雪作務などがあり、こうした作務は自己への執着を捨てて奉仕する仏の道を会得する大切な修行である。僧堂での座禅が「静の座禅」であるのに対して作務は「動の座禅」である。
 中食と呼ばれる昼食をとり再び作務、午後4時半から読経、薬石と言う夕食後に夜座と言う夜の座禅、読経の後に放禅鐘が全山に響き一日の修行が終わり、開枕鈴(かいちんれい)で就寝する。

(写真は 僧堂)

 僧堂は修行僧たちが座禅ほかに食事、就寝をする根本道場であり、堂内での雑談は許されない。これら修行僧の行動は起床の合図の振鈴から就寝の合図の開枕鈴まで、すべて太鼓や鐘、板などを打ち鳴らして進められる。僧堂に頭が龍で胴はシャチのように見える巨大な魚の形をした「ほう」と言う木板がある。僧堂での食事を知らせるものだが、昼夜眠らずにいる魚を示すことで修行僧の怠りを戒めていると言う。
 放浪の俳人・山頭火が昭和11年(1936)永平寺に滞在した印象記に「山がよろしい 水がよろしい 伽藍(がらん)がよろしい 僧侶の起居がよろしい しずかで おごそかで ありがたい 久しぶりに安眠」と記している。

ほう

(写真は ほう)


 
えいへいじ大燈籠ながし
(永平寺町) 
放送 9月12日(水)
 暑かった福井の夏に終わりを告げる風物詩「えいへいじ大燈籠ながし」が、今年も8月26日の日曜日、永平寺町の九頭竜川左岸の永平寺河川公園で行われた。祖先の供養の気持ちを込めた燈籠約1万個が流され、川面に浮かんだ燈籠が壮大で幻想的な光の帯を形作ってゆらゆらと流れて行った。
 この「えいへいじ大燈籠ながし」は、昭和63年(1988)に祖先供養と町のイメージアップを図ろうと始められ、毎年8月の最終日曜日に行われてきた。

九頭竜川

(写真は 九頭竜川)

川施食法要

 今年で20回目を迎えた「えいへいじ大燈籠ながし」は年々盛んになり、今や全国から申し込まれる灯籠の数は1万個にもなり、河川で行われる燈籠流しとしては日本一の規模となっている。
 「えいへいじ大燈籠ながし」の当日は、永平寺河川公園に設けられた壇上に、先人への愛と感謝、供養などそれぞれの思いを込めた1万個の灯籠が何段にも飾られる。夕暮れ時の午後7時から永平寺の僧約130人によって読経、供養が行われた後、午後8時前から願いを込めた燈籠に灯が入れられ、次々と川面に送り出される。

(写真は 川施食法要)

 今年は燈籠流しに合わせてこども会縁日広場や永平寺龍童太鼓の演奏、コンサート、打ち上げ花火など盛りだくさんなイベントも開かれ、去り行く夏を楽しむ大勢の人たちで九頭竜河畔の公園はにぎわった。永平寺町ではこの燈籠流しが終わると、田んぼの稲穂も色づきはじめ秋本番を迎える。
 祖先供養や願いを込めたの燈籠を流してもらうには、事前に「えいへいじ納涼まつり実行委員会へ住所、氏名、戒名と代金(今年の場合は供養灯籠1500円、願い灯籠1000円)を添えて申し込めばよい。

大燈籠ながし

(写真は 大燈籠ながし)


 
一筆啓上(坂井市丸岡町)  放送 9月13日(木)
 丸岡城天守閣〔国・重文)は現存する天守閣の中では日本最古。その天守閣のそばに「一筆啓上」の書簡碑が立っている。碑に刻まれている「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の文は、徳川家康の家臣・本多作左衛門重次が陣中から妻に送った文で、簡にして要を得た手紙の見本とされてきた。「お仙」とは後に6代丸岡城主となった重次の子・本多成重(幼名・仙千代)である。
 旧丸岡町がこの重次の一筆啓上の書簡をヒントに、平成5年(1993)「一筆啓上賞」を創設して「日本一短い『母』への手紙」を募集した。

坂井市丸岡町

(写真は 坂井市丸岡町)

「一筆啓上」書簡碑

 これが大反響を呼び全国から3万2236通の短い母への手紙が寄せられた。寄せれた手紙は審査の結果、一筆啓上賞10篇ほか秀作10篇、特別賞20篇、佳作160篇が選ばれた。それ以降、第2回目は「家族への手紙」、続いて「愛の手紙」「父への手紙」「ふるさとへの想い」「友への手紙」などと、毎年テーマを変えて募集され、感動的な手紙が多数寄せられてきた。第3回目から英語部門も設けられ、平成14年(2002)の第10回まで募集された。
 次の年からは「新一筆啓上賞」と名称を変え「往復書簡」の形をとって4回募集された。今年の平成19年から再び片道の手紙の「新一筆啓上賞」に戻り募集を始めている。

(写真は 「一筆啓上」書簡碑)

 丸岡町が始めた日本一短い手紙は爆発的なブームを呼び、応募数は毎年増え、平成13年(2001)には日本語部門12万3988通、英語部門8823通が寄せられ、最高の応募数を記録した。「一筆啓上賞」に寄せられた手紙は毎年本に編集されて発行されているが、平成18年(2006)には台湾で中国語に翻訳されて出版された。そのほか日本では漫画本やテレビドラマ、映画にもなり、一大ブームを巻き起こした時期もあった。
 最近は携帯電話や電子メールが通信手段の主流を占め、手紙を書く習慣が廃れつつあるが、丸岡町が始めた心の温かさが伝わる手紙文化の大切さが、一筆啓上賞で再認識されつつある。

丸岡城

(写真は 丸岡城)


 
越前竹人形(坂井市丸岡町)  放送 9月14日(金)
 雪国の福井は厳しい寒さに耐えた良質の真竹や孟宗竹に恵まれ、古くからこれらの竹を活用して籠や花器などが作られてきた。昭和27年(1952)ごろ師田(もろた)保隆、三四郎兄弟が、竹の切れ端を利用して永平寺雲水人形、勧進帳、藤娘、おけさ人形などの人形を試作、これが昭和30年(1955)の全国竹製品展で最高の中小企業庁長官賞を受賞するなどして注目を集め、福井の特産品として全国に知られるようになった。
 こうした越前竹人形や竹細工製品の展示や工房、販売を行っているのが、越前竹人形協同組合が運営している「越前竹人形の里」である。

越前竹人形の里

(写真は 越前竹人形の里)

乙女椿

 竹林に囲まれた竹のテーマパーク「越前竹人形の里」には、越前竹人形を芸術作品として完成させた保隆さんの長男・師田黎明さんのコーナー「創作竹人形館・黎明」がある。ここには代表作の「笹鳴り」をはじめ「しだれ桜」「乙女椿」「遊里」などの秀作が展示されている。
 竹の各部の特性を生かしながら細工を施したこれらの作品は、どれも竹だけでできているとは思えないほど表情豊かな姿態が見る人たちを魅了する。「笹鳴り」は胸を張った体の反り、0.2mmに割った約7,000本の竹を頭に植えた豊かな髪の大きなうねりに特徴があり、竹の枝葉が風に揺れてサヤサヤと鳴る笹鳴りの音を「竹の精」として表現している。

(写真は 乙女椿)

 「竹人形工房・篝(かがり)」では、創作に取り組む竹人形職人の技を目の当たりにすることができる。これら竹人形の匠たちは、伝統の技を後世に伝えるため若手職人の指導、育成にも力を入れて後継者を育てている。
 竹人形の里には竹細工実習教室があり、道具から材料までそろえて丁寧に指導してもらえる。竹を削ったり、曲げたり、組み合わせたりして、竹とんぼなどの竹のおもちゃや愛らしい竹人形など、オリジナルな作品を楽しみながら作れる。ミュージアムショップでは竹人形の匠たちが作った竹人形や竹細工品、強い成長力と生命力を持つ竹の薬効を活用した熊ササの「ささ茶」などが販売されている。

笹鳴り

(写真は 笹鳴り)


◇あ    し◇
曹洞宗大本山・永平寺JR北陸線福井駅からバスで永平寺下車すぐ。 
えちぜん鉄道勝山永平寺線永平寺口駅からバスで
永平寺下車すぐ。
丸岡城JR北陸線福井駅からバスで丸岡城下車すぐ。 
越前竹人形の里えちぜん鉄道勝山永平寺線永平寺口駅からバスで
越前竹人形の里下車すぐ。 
◇問い合わせ先◇
永平寺町商工観光課0776−63−3111 
永平寺町観光物産協会0776−63−1188 
曹洞宗大本山・永平寺0776−63−3102 
丸岡町観光協会0776−66−0303 
丸岡町文化振興事業団
(日本一短い手紙)
0776−67−5100
越前竹人形の里0776−66−5666 

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

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