月〜金曜日 18時54分〜19時00分


大阪市・御堂筋 

 大阪市のメインストリート・御堂筋が現在の道幅に拡幅され、梅田〜難波間が開通してから2007年で70周年になる。大阪市の南北を結ぶ大動脈として「商都・大阪」の発展に貢献してきたが、今はパリのシャンゼリゼ通りに匹敵するようなお洒落な通りにしようとの動きが活発だ。新しい御堂筋に生まれ変わろうと胎動している姿を点描してみた。


 
大阪市の大動脈・御堂筋  放送 9月24日(月)
 梅田〜難波4.2kmを一直線で結び、沿道には大手企業、銀行のビルが建ち並ぶ御堂筋は、道幅44m、沿道にはイチョウ並木が続く大阪市のメインストリートで、パリのシャンゼリゼ通りに匹敵する日本を代表する通りで、商都・大阪のビジネスやファッションの中心である。
 江戸時代以後の御堂筋は淡路町から長堀通まで1.3km、幅5.4mの細い道だった。慶長年間(1596〜1615)に浄土真宗の本願寺派が北御堂(津村別院)、真宗大谷派が南御堂(難波別院)を現在地に建立し、大阪市民に親しまれた北御堂と南御堂が建つ通りと言うことで御堂筋と呼ばれるようになった。

大江橋

(写真は 大江橋)

御堂筋

 江戸時代からの狭い御堂筋を道幅44mに広げ、キタとミナミを一直線で結ぶ大構想を打ち出したのが、交通論や都市政策の専門家だった関一(せきはじめ)・第7代大阪市長だった。関は池上四郎・第6代市長に口説かれて一橋大学教授から大阪市助役に就任、池上市長の後を継いで大正12年(1923)市長になった。
 首都・東京に負けない大大阪を建設する「都市大改造計画」を関市長が練り上げ、梅田と難波の二大ターミナルを結ぶ御堂筋の拡幅工事が、都市大改造計画のメイン事業に据えられた。この工事計画を聞いた大阪市議会の議員たちから「飛行場を作る気か」とヤジが飛んだほどだった。

(写真は 御堂筋)

 この御堂筋拡幅工事は財政難をカバーするため、新しい御堂筋ができることによってその恩恵を受ける道路の両側63mの土地所有者からは受益者負担を徴集した。用地買収のために立ち退きを強いられた1185人におよぶ住民や、沿道市民はこの御堂筋拡幅工事や同時に進められた地下鉄建設工事に猛反対した。
 これらの困難を克服して御堂筋計画は大正15年(1926)に着工、難工事の末に昭和12年(1937)現在の歩道、緩行車線、緑地、車道に区画された御堂筋が完成した。100年先を読んだ関市長の先見の明の「御堂筋」は、多大な経済効果をあげながら今年、満70歳を迎えた。

いちょう並木

(写真は いちょう並木)


 
御堂筋はミュージアム  放送 9月25日(火)
 大阪市を南北に結ぶ大動脈として建設された御堂筋は、時代のニーズに応えようとしている。国際的で市民とともに楽しめるストリートにしようと昭和58年(1983)から「御堂筋パレード」が始まった。世界のトップランナーが参加する大阪国際女子マラソンのコースにも組み入れられ、大阪のシンボルストリートとして世界に知られるようになった。
 一方、沿道をアーティスティックに飾る「御堂筋彫刻ストリート」の計画が、平成4年(1992)から始まり、現在27点のブロンズ彫刻が並んでいる。

「みちのく」高村光太郎

(写真は 「みちのく」高村光太郎)

「渚」淀井敏夫

 ロダン、ルノワール、高村光太郎ら内外の一流芸術家らが、人体をモチーフにして制作した「人間賛歌」の作品が淀屋橋南詰から長堀通までの間に立ち並んでいる。これらの彫刻は沿道の企業と大阪市が協力して、それぞれ会社のビル前などに設置したもので、ロダンの「イヴ」、ルノワールの「ヴェールを持つヴィーナス」、高村光太郎の「みちのく」、淀井敏夫の「渚」などが立ち並び、差し詰めイチョウの木陰の小美術館とも言える。
 高村の「みちのく」の裸婦像は、十和田湖畔に立っている裸婦像と同じもので、高村の詩集「智恵子抄」の残像を晩年に造形したもので、彼の最後の作品となった。

(写真は 「渚」淀井敏夫)

 目で楽しむ野外ミュージアム「御堂筋彫刻ストリート」に呼応して、「御堂筋にあふれる音楽」をキャッチフレーズに、音で楽しむ御堂筋も実現した。沿道の企業のビルのホールやカフェで気軽に大阪フィルのメンバーやヴァイオリン、ピアノなどの演奏者の演奏が親しめる「大阪クラシック」が、2007年も9月2日から8日まで御堂筋の各会場で開催された。
 2年目を迎えた2007年の大阪クラシックは、計15会場で大小あわせて60公演、演奏時間は30〜60分、プロデュースは大阪フィルの大植英次音楽監督が当たった。一部を除きほとんどの会場が入場無料で大盛況だった

大阪クラシック(大阪ショールーム)

(写真は 大阪クラシック(大阪ショールーム))


 
御堂筋に憩う  放送 9月26日(水)
 御堂筋のシンボルとも言えるイチョウ並木は、御堂筋の完成とともに昭和12年(1937)に淀屋橋南詰から難波までの間に800本が植えられ、梅田から淀屋橋まではプラタナスが植えられた。このイチョウ並木は夏は緑、秋は黄金色で通りを彩り、殺風景になりがちなビル街に自然の潤い醸し出し、道行く人や沿道の企業で働くビジネスマンたちの心を和ましてきた。
 大阪市は平成12年(2000)にこのイチョウ並木を市の文化財に指定し、住民投票によって選ばれた「大阪みどりの百選」のひとつにも選定されている。

ビーンズカフェ ナッツダム

(写真は ビーンズカフェ ナッツダム)

カフェセット

 御堂筋を管理する国土交通省大阪国道事務所は、毎年樹勢の衰えたイチョウを植え替えて並木の景観を保持している。御堂筋完成時にプラタナスが植えられていた淀屋橋以北も、現在は順次イチョウに植え替えられており、いずれは4.2kmの御堂筋全体がイチョウ並木に衣替えする。
 御堂筋の中心部とも言える大阪市庁舎から長堀通りまでの間は、金融機関や大企業の本社ビルが集中しているため、銀行などは午後3時、他の企業は終業時の夕方5時から6時ごろにシャッターを下ろしてしまうビルがほとんどで、夕暮れ時から夜の御堂筋は味気ない通りになってしまっていた。

(写真は カフェセット)

 ここ数年の間に御堂筋にも変化が表れ、パリのシャンゼリゼを思わせるようなオープンカフェや、通りの風景を楽しみながら食事のできる店が誕生してきた。コーヒーなどの飲み物から軽食まで、しゃれた飲食が楽しめるビーンズショップ・ナッツダムもそのひとつで、ビジネスマンがホッとひと息つける場所になっている。
 浄土真宗本願寺派(西本願寺)の北御堂(本願寺津村別院)の境内は、大都会の中で静かなひとときを過ごすのに格好の場所と言える。本堂で本尊の阿弥陀如来像に手を合わせて祈り、さらには梵鐘をついてその音に耳を傾ければ、ストレスも解消されて落ち着きを取り戻すことができるかもしれない。

北御堂

(写真は 北御堂)


 
御堂筋の名建築  放送 9月27日(木)
 御堂筋沿いには現在の御堂筋の完成以前の古き良き時代に建てられた近代建築が、いまだに現役としてそれぞれに名建築の風格を漂わせている。
 その代表格である日本銀行大阪支店は明治36年(1903)に竣工した。緑青の色が美しく映える円屋根、レンガと花崗岩で外装された本格洋風建築で、日本銀行本店やレンガ造の東京駅、赤坂離宮など設計した近代建築の第一人者の辰野金吾らが設計した。この地は江戸時代に諸藩の蔵屋敷があった所で、ベルギーの国立銀行をモデルに設計されたと言う。

日本銀行大阪支店

(写真は 日本銀行大阪支店)

旧大谷会館の外壁

 真宗大谷派の南御堂(難波別院)の向かいにある又一ビルは、全体をハーフミラーガラスとアルミパネルのカーテンウォールで装ったビルに、テラコッタの外壁1面とアーチ形の入り口が取りつけられた形になっている珍しいデザインの建物である。
 このテラコッタの外壁とアーチ形入り口は、大正8年(1919)に建てられた旧大谷仏教会館の一部で、建設当時から巧緻な装飾と絶賛されていた建物だった。又一洋行が本社ビルを建て替える時、御堂筋ゆかりの名建築を遺産として、いつでも誰もが見られる形で次世代へ残そうと、その一部を新ビルに付設して保存した。

(写真は 旧大谷会館の外壁)

 滋賀県の八幡商業高校の英語教師として明治38年(1905)に来日し、近江兄弟社を設立したウィリアム・メレル・ヴォーリズは建築家としても知られ、各地に西洋建築を設計、建築した。大丸心斎橋店もヴォーリズの設計で、ネオゴシック調を基本にアールデコの装飾をちりばめた名建築として知られる。
 御堂筋の南端・難波の高島屋大阪店が入っている建物は、南海電鉄難波ターミナルビルとして昭和8年(1933)に完成し、高島屋がテナントとして入った。連続する14のアーチの窓のデザインやその両脇の装飾がこの建物の顔で、ターミナルビルとしてヨーロッパ風の駅舎に似たデザインが取り入れられた。

大丸心斎橋店

(写真は 大丸心斎橋店)


 
未来を照らす御堂筋  放送 9月28日(金)
 御堂筋は夕暮れから夜になるにつれてガラリとその表情を変えてゆく。心斎橋周辺はデパートや商業ビル、さらに最近は世界的なブランドショップがどんどん店を出すようになり、とてもおしゃれな雰囲気を創出しており、夜遅くまで若者たちが行き交っている。
 各店のショーウインドウは御堂筋をゆく人たちの目を惹きつけるための演出を競い、営業終了後もしばらくは明かりを消さず、トップ商品をアピールしている。

南海ビルディング

(写真は 南海ビルディング)

夜の御堂筋

 淀屋橋から長堀通にかけてのビジネス街の御堂筋では、名建築のビルや沿道の彫刻がライトアップされて、その美しさを際立たせる。淀屋橋周辺は日本銀行大阪支店がライトアップされているものの、このあたりはビジネス街の宿命で御堂筋の中では最も暗い所になっている。
 こうした暗い御堂筋を少しでも華やいだ雰囲気に変えようと、国土交通省大阪国道事務所は、御堂筋開通70周年を機に大阪市の代表的な橋のひとつである淀屋橋と大江橋をライトアップすることにした。

(写真は 夜の御堂筋)

 淀屋橋と大江橋のライトアップについて@岸辺から川面を照らしその反射光で橋をシルエットで浮かびあがらせるA橋に直接照明器具を設置するB岸辺から川面を照らすとともに橋にも照明器具を設置する折衷案の3案を作成、ホームページと街頭でアンケート調査をした。その結果、岸辺から川面を照らすとともに橋にも照明器具を設置する折衷案への支持が最も多く、この方式で今年度中に照明器具の設置工事を行うことにした。
 すでに二つの橋の間にある日本銀行大阪支店、中の島公園内の大阪市中央公会堂がライトアップされているので、淀屋橋と大江橋がライトアップされると、ここに"光の空間?が創出され御堂筋の名所がひとつ増える。

淀屋橋

(写真は 淀屋橋)


◇あ    し◇
御堂筋地下鉄梅田駅、淀屋橋駅、本町駅、心斎橋駅、難波駅の
各駅下車。 
JR各線大阪駅下車。JR東西線北新地駅下車。
京阪電鉄淀屋橋駅下車。
南海電鉄、近鉄難波駅下車。
北御堂(本願寺津村別院) 
地下鉄御堂筋線本町駅下車すぐ。
ビーンズショップ・ナッツダム地下鉄御堂筋線、四つ橋線、中央線本町駅下車徒歩5分。
日本銀行大阪支店地下鉄御堂筋線淀屋橋駅下車すぐ。 
京阪電鉄淀屋橋駅下車すぐ。
又一ビル地下鉄御堂筋線、四つ橋線、中央線本町駅下車徒歩3分。 
大丸心斎橋店地下鉄御堂筋線、長堀鶴見緑地線心斎橋駅下車すぐ。 
南海電鉄難波駅
高島屋大阪店
地下鉄御堂筋線、四つ橋線、千日前線難波駅下車すぐ。
南海電鉄、近鉄難波駅下車すぐ。
◇問い合わせ先◇
国土交通省大阪工事事務所06−6932−1421 
大阪市ゆとりとみどり振興局
(大阪クラシック)
06−6615−0686
北御堂(本願寺津村別院) 06−6261−6796 
ビーンズショップ・ナッツダム06−6221−1717
又一ビル06−6241−0259 

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

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