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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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和歌山・由良町、広川町、湯浅町 |
紀伊水道に面した和歌山県の中紀地方は温暖な気候に恵まれ、みかんの生産地としてその名が知られている。熊野詣の熊野古道の沿道でもあり、熊野王子跡や由緒ある古社寺も多い。また径山寺(きんざんじ)味噌や湯浅醤油の発祥地でもある。今回はこうした中紀の由良町、広川町、湯浅町を訪ねた。 |
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由良町のみかん農家が少しでも質がよいみかんを収穫しようと努力した結果、糖度の高いおいしいみかんの栽培に成功し、今日のみかん王国を築いたと言える。 |
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(写真は みかん畑) |
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収穫の最盛期を迎え樹上で熟したみかんが今、JAグリーン日高ゆら柑橘撰果場へ次々と運び込まれている。撰果場にはプラスチック容器に入ったみかんがうずたかく積まれ撰果の順番を待っている。 |
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(写真は センサーシステム) |
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こうした濱口の偉業を讃え広川町には昭和8年(1933)村人によって広村堤防に感恩碑が建立され、町立耐久中学校の校庭には濱口梧陵の銅像と稲むらの火の顕彰板が建てられている。稲むらの火に導かれて村人が避難した広八幡神社境内には、勝海舟が碑文を書いた濱口梧陵の石碑が立っている。 |
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(写真は 廣八幡神社) |
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明恵上人は神護寺で修行中に華厳、真言の奥義を体得しており、鎌倉時代の建永元年(1206)後鳥羽上皇の院宣を受けて荒廃していた栂尾十無尽院を再興、上皇から「日出先照高山之寺」の勅額を賜り高山寺と改め、華厳宗興隆の道場とした。 |
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(写真は 東白上の修行場跡) |
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熊野古道沿いにある勝楽寺の過去帳に紀伊国屋文左衛門の名があり、湯浅町別所がこの豪商・文左衛門の生誕地と考えられる。境内には文左衛門の生誕地を記念する石碑が立っている。 |
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(写真は 紀伊国屋文左衛門の碑(勝楽寺)) |
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