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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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三重・紀北町、尾鷲市 |
紀伊半島の東側を東紀州と言う。この東紀州には伊勢から熊野三山への熊野古道・伊勢路が通り、平安時代から熊野詣の参詣者たちが熊野三山を目指し厳しい旅をしていた。ユネスコの世界遺産に登録された熊野古道は今も往時の面影を随所に残している。このような紀北町と尾鷲市を訪れ、東紀州の歴史の深さを探訪した。なお紀北町は平成17年(2005)に紀伊長島町と海山町が合併して誕生した町である。 |
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紀北町を南へ進んで銚子川を渡ると尾鷲市との境界にある熊野古道の馬越(まごせ)峠への登り口にさしかかる。この峠の両側の古道はヒノキの美林の中に大きな石を敷き詰めた石畳道で知られている。石畳にはビッシリと青い苔が生えており、まさに「これぞ熊野古道」との雰囲気が漂っている。峠からそれて天狗倉山(てんぐらやま)へ登ると熊野灘の眺望が楽しめる。 |
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(写真は 馬越峠) |
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権兵衛は肌身離さず持っていたお守りの「ずんべら石」を懐に、大蛇の棲む天狗倉山の洞窟の近くで待ちかまえていた。そこへ現れた大蛇ののどに弾丸を撃ち込んだ。しかし大蛇はひるまず権兵衛を襲ってきたので、持っていた「ずんべら石」に身を隠しながら2発、3発と大蛇ののどを目がけて撃った。大蛇は毒気を口から吐きながら死んだが、権兵衛もその毒気に当たって倒れ、10日ほど後に死んだと言う。 |
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(写真は 「権兵衛おどり」 |
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紀伊長島漁港の魚市場とその向かいに軒を連ねる魚屋には、鮮魚はもちろん干物やかまぼこなどの練り物、カラスミなどの加工品も豊富で大勢の買い物客でにぎわう。漁港付近では天日干しのアジやイワシ、イカなどがずらりと並べられており、漁師町らしい風情が色濃い。 |
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(写真は ホテル 季の座) |
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広大な邸宅内にある和風建築の蔵と納屋を改装して、明治時代から大正時代、昭和時代初期にかけてのブリキの玩具や子供のドレス、帽子、靴、そして文房具などを展示している「土井子供くらし館」と、別荘を改装して人形を展示している「お人形の家」がある。 |
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(写真は 土井子供くらし館) |
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こうした需要に応えるため、尾鷲には江戸時代にはかなりのわっぱ屋があったが、現在、尾鷲市で曲げわっぱの技術を継承しているのは、明治20年(1887)創業の「ぬし熊」のただ1軒になり、4代目当主の世古効史さんが尾鷲曲げわっぱの伝統技術を守り続けいる。効史さんの父・昭次さんは昭和52年(1977)に尾鷲市無形文化財保持者に指定された。 |
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(写真は ぬし熊の曲げわっぱ) |
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