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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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大阪市・十三から中津へ |
大阪・キタのターミナル・梅田と神戸、宝塚、京都を結ぶ関西の大手私鉄阪急電鉄の十三駅、中津駅周辺は、大阪のキタやミナミの繁華街とは異なった雰囲気がある。淀川を挟んで北と南に位置し、渡し舟で行き来した時代からの気取らない庶民の気風が受け継がれているのだろうか。今回はこのふたつの町を訪ねてみた。 |
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十三駅は各線への乗り換えで構内を移動する乗客が多いので、各ホームに食品やコンビニなどさまざまな店が営業している。その中でも手軽に空腹を満たしてくれるのが「阪急そば」。昭和42年(1967)に関西の私鉄の駅構内で初めて開店した立ち食い店が「阪急そば十三店」で、駅構内の立ち食いそば店の草分けである。現在、阪急電車各線の駅構内では32店が営業している。 |
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(写真は 阪急そば) |
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名物・十三焼は米粉を練って蒸し、臼でついて餅状にしたものを小さく丸めてあんを入れ、平たくして鉄板の上に並べ丁寧に両面を焼く。白色とヨモギ入りの緑色の2種類があり、冷ましてから食べるのがおいしく、しかも一口で食べられるのが喜ばれた。昔は直径2cmほどだったが、今は少し大きく3cmほどになったので、一口では無理な人もいるようだ。 |
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(写真は 十三焼(今里屋久兵衛)) |
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柿渋は渋味の最も強い青柿を砕いて絞ったエキスを長く寝かせて発酵させたもので、木製品や和紙などに塗る防虫、防水、防腐、強化剤として使われてきた。今日のように金属、プラスチック製品が少なかった時代には、傘や合羽、行李などの製造に用いられたり、染色用の形紙や友禅染めの染色用具などにも使われてきた。今も布を染める染色業者はこの柿渋を使った用具を愛用している。 |
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(写真は 渋を搾る図 |
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佑三は生家の光徳寺の墓地にある円柱形の墓石に「倶會一處」と刻まれた佐伯家一族の墓に眠っている。佑三の兄で光徳寺の住職となっていた祐正は、仲がよかった弟の健康状態を心配していた。祐正は佑三が志半ばで倒れたことを悲嘆し、没後すぐに大阪・淀屋橋の美津濃本店ホールで回顧展を開いている。生家の光徳寺は祐正が始めた福祉事業を活発に進め、広大だった境内は福祉施設が建てられ、かつての古刹のイメージはなくなっている。 |
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(写真は 光徳寺) |
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「ピエロハーバー」は高架下の広いスペースを活用してライブスペース、小劇場、練習スタジオを作り、演劇公演、格闘技の試合、ギターの弾き語り、美容ウォーキングレッスンなど幅広いジャンルに利用されている。壁際のソファーは自由に利用でき、近所の老人たちが将棋を指したりしている。 |
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(写真は カンテ・グランデ 中津本店) |
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