月〜金曜日 18時54分〜19時00分


大津市 

 大津市に合併する前の旧志賀町は、小野妹子や小野篁(たかむら)、小野道風を出した小野氏のふるさと。ここで小野一族にゆかりの神社や史跡を歩いた後、琵琶湖遊覧の疲れを癒してくれる雄琴温泉、湖国を愛した大津出身の画家の美術館などを訪ね歩いた。


 
小野氏のふるさと  放送 2月25日(月)
 大津市域の北端、大津市に合併する前の旧志賀町の小野の里は、飛鳥時代から平安時代にかけて歴史に名を残した小野一族を輩出した地であり、小野一族を祀る神社や史跡が多い。
 そのひとりが推古15年(607)聖徳太子の命を受けて、わが国初の遣隋使として海を渡った小野妹子。彼は近くの坂本に住む渡来人との交流が深く、知識人であったので国際舞台で活躍することになったと言う。妹子は隋の煬帝(ようだい)に謁見し、持参した「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す…」との国書を渡したが、これが煬帝の不興をかったことで有名。

比良山系

(写真は 比良山系)

小野篁神社

 JR湖西線小野駅の北西の小高い丘にある唐臼山古墳は小野妹子の墓と伝えられ、墳丘には巨大な箱形石棺状石室が露出している。この古墳を中心に付近一帯は小野妹子公園として整備され、丘の上には小野妹子を祀る小野妹子神社がある。
 この唐臼山古墳から北へ約1kmのところに小野氏の氏神である小野神社がある。祭神は記紀神話時代の第5代孝昭天皇の皇子で小野一族の始祖・天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)とその7代目の孫に当たる米餅搗大使主命(たがねつきおおおみのみこと)、小野妹子の三神。

(写真は 小野篁神社)

 小野神社の境内には妹子の200年ほど後の子孫となる小野篁(たかむら)を祀る摂社・小野篁神社がある。篁は平安時代初期の歌人であり官人で、この世と地獄を行き来したとの伝説のある人物。小野神社の南の飛地境内に篁の孫に当たり、柳に飛びつくカエルの姿に発奮して書の道を究め、日本一の名筆家と言われた小野道風を祀る小野道風神社がある。
 小野篁神社と小野道風神社の社殿は、神社建築としては珍しい切妻造で南北朝時代に建立されたとみられ、両社殿とも国の重要文化財に指定されている。

小野道風神社

(写真は 小野道風神社)


 
餅つくりの始祖  放送 2月26日(火)
 小野一族の氏神・小野神社の祭神のひとりである米餅搗大使主命(たがねつきおおおみのみこと)は、応神天皇の時代に日本で初めて餅つきをしたと言われ、菓子作りの神様として信仰されている。毎年、10月20日には全国の菓子業者による粢(しとぎ)奉賛大祭が行われ、全国の菓子業界の代表者らが自慢の餅や菓子類を供えて菓子業界の発展を祈る。11月2日には1200年続いている粢祭があり、餅を供えて五穀豊穰を祈る。
 粢とは神に供える餅のことで、古くは米粉を清水でこねて長卵形したものだったが、後には糯米(もちごめ) を蒸して楕円形の餅にしたものを供えるようになった。地元では「しとぎ」が訛り「ひとぎ祭」と呼んでいる。

唐臼山古墳

(写真は 唐臼山古墳)

小野神社

 米餅搗大使主命を祀る小野神社のある旧志賀町は、近江米の産地だが糯米も上質のものが収穫される。糯米は米餅搗大使主命がうるち米を品種改良して作り出したとの伝えがある。
 比良山麓の自作田で山からのきれいな湧き水で、糯米作りから手がけているのが比良あられの店が「八荒堂」。種もみからの苗作り、田植え前の代かき、田植え、収穫まで、すべて店主が率先して行っており「自信を持っておいしいあられ、かき餅をお客さんに届けるには、材料の糯米が決め手になる」とできるだけ農薬を使わずに、丹精込めて米作りをしている。

(写真は 小野神社)

 収穫した糯米は味を落とさないようにもみのまま保存し、その都度必要なだけ精米して、臼でついて餅にする。その餅を薄く切ってかき餅にしたり、サイコロ状にしてあられにする。昔から伝わる製法を引き継ぎ、手間ひまかけて作っている。
 昔ながらの飽きのこない正統派醤油味の「志賀ノ里」のほか、味噌仕立て、大豆入り、海老入りなど、それぞれの好みにあったかき餅やあられが店に並んでいる。先代の時代にはデパートなどでも販売していたが、自分たちが配達でき、自分たちの目の届く範囲内のお客さんに賞味してもらうことをモットーに、販売範囲を狭めたと言う。

比良あられ 志賀ノ里(比良あられ 八荒堂)

(写真は 比良あられ 志賀ノ里
(比良あられ 八荒堂))


 
志賀の名勝  放送 2月27日(水)
 比良山系の山並みと琵琶湖に挟まれた南北に長い志賀の地は、山地に源を発する河川が湖に土砂を運んでくるため、いたる所に白砂青松の湖岸が形成されている。その中でも比良川河口から北に3kmにわたって続く近江舞子の浜は、飛鳥時代に斉明天皇が行幸したと伝わるほど、古くから比良山系の山々を背景にした景勝の地として知られている。
 琵琶湖八景の「涼風 雄松崎の白汀」で知られる雄松崎は、弦月状の近江舞子浜の砂州のちょうど真ん中にあって、琵琶湖へ突き出した岬である。

楊梅の滝

(写真は 楊梅の滝)

雄松崎

 春が目前のこの時期、西に連なる比良の連山を仰げば峰々にはまだ雪が残り、歌川広重が描いた近江八景の「比良の暮雪」さながらの風景が見られる。
 近江舞子の北西の比良山中の楊梅の滝は、雄滝、薬研滝、雌滝の3段に分かれており、3段の滝を合わせた落差が76mある。その景観が白布を垂れかけたように見えることから「布引きの滝」「白布の滝」とも呼ばれており、遠くJR湖西線の車窓からでも眺められる。滝の名は、家臣のクーデターで近江へ逃れていた室町幕府の13代将軍・足利義輝が命名した。楊梅は高木ヤマモモで山中に光る滝をヤマモモの木に見立てたのであろう。

(写真は 雄松崎)

 琵琶湖周辺にはこうした名勝地が多い。琵琶湖西岸にも近江八景の唐崎の夜雨、堅田の落雁、粟津の青嵐などがある。「松は緑に砂白き…」と琵琶湖周航の歌でも歌われているように、湖岸にはいたるところが白砂青松で、優れた審美眼を持った歌川広重をして近江八景を描かせた。
 美しい湖岸はマリンスポーツのメッカでもある。特に夏の水泳シーズンには若者や家族連れでにぎわい、水遊びのほかにボートや水上スキーが楽しめる。またキャンプ、テニス、フィッシングなど、四季を通じてアウトドアスポーツが、湖国の美しい自然の中で満喫できる。

近江舞子

(写真は 近江舞子)


 
三橋節子・湖国を愛した画家  放送 2月28日(木)
 大津市の西部、緑豊かな長等山の麓に三橋節子(みつはしせつこ)美術館がある。昭和14年(1939)の桃の節句に大阪で生まれたので節子と命名された。幼児から絵に親しみ、京都市立美術大学(現京都市立芸術大学)に学び、上村松篁らの教えを受けて日本画家となった。
 昭和43年(1968)日本画家・鈴木靖将氏との結婚を機に、大津市の長等山の麓に居を構え、湖国の自然や民話を題材にした絵を描くようになった。

「花折峠」(昭和49年)

(写真は 「花折峠」(昭和49年))

「三井の晩鐘」(昭和48年)

 夫と二人の子供に囲まれて充実した日々を送っていたが、昭和48年(1973)34歳の時、右肩鎖骨腫瘍と診断された。手術を待つ間に「湖国の伝説」制作し、その後、右腕切断の手術をした。
 画家にとって絵筆を持つ利き腕を切断したことは堪え難い苦難であった。しかし節子はこの苦難にくじけず、絵筆を左手に持ち替えて制作活動を続け「花折峠」「三井の晩鐘」などを制作した。そして2年後の昭和50年(1975)に「余呉の天女」を絶筆として、三橋節子は短い生涯を燃やし尽くした。

(写真は 「三井の晩鐘」(昭和48年))

 三橋は夫と子供に囲まれた幸せな生活の中で制作活動を続けていたころ、彼女が滋賀の民話を画題に取り上げた中には、幼いわが子をたびたび登場させている。ガンと言う病魔に冒され、子供たちを残して逝かなければならない母親の思いが込められているようにも見える。
 三橋節子美術館は彼女の遺族や所蔵家から遺作の寄贈を受けて平成7年(1995)に開館した。長等の自然の中で美術作品の観賞をしてもらうと同時に、創作活動を手助けするため長等創作展示館を併設しており、絵画や工芸の制作スペースを設けている。

三橋節子美術館

(写真は 三橋節子美術館)


 
おごと温泉  放送 2月29日(金)
 比叡山の東麓、10軒ほどの湯宿が点在する雄琴温泉は滋賀県随一の温泉郷である。ここの湯は1200年の昔、伝教大師・最澄が発見したと伝わるが、温泉郷として発展したのは大正時代末期以降である。泉質はアルカリ性単純温泉でリュウマチ、神経痛、皮膚病、婦人病に効能があると言う。
 比叡山の山麓にホテルや旅館が建てられているので琵琶湖の眺望が素晴らしく、琵琶湖の東岸にそびえる近江富士と呼ばれる三上山が間近に望め、壮快な景色を愛でながら入浴できるのが雄琴温泉の自慢である。

雄琴温泉

(写真は 雄琴温泉)

雄琴神社

 その昔、雄琴温泉が発見される前、この地の蛇ヶ谷に八つの頭を持つ大蛇が棲む念仏池があった。その池には地下水が絶え間なく湧いており、飲めば病が治り、体を浴すると傷が治った。さい銭を投げ入れると願いがかなえられたと言い、この池の湧き水が後に雄琴温泉になったと伝えられている。
 この地方は平安時代、小槻今雄宿禰の荘園があり、邸宅からは琴の音がよく流れていたことから、今雄の「雄」と邸宅の「琴」を用いて「雄琴」の名がつけられたと言われている。小槻今雄宿禰を祀ったのが雄琴神社である。

(写真は 雄琴神社)

 雄琴温泉は高度経済成長時代に風俗浴室店が進出してきて、観光客に悪いイメージを与えていた。だが近年、各ホテルや旅館がイメージアップのため、全室露天風呂付きの客室に改装したり、湖国の名物料理の近江牛ステーキや鴨鍋、創作料理を提供するなどして、正当な温泉地としての人気を回復してきた。
 3月からはJR湖西線の雄琴駅が「おごと温泉駅」と改称されるのを機に、本格的温泉観光地として売り出し、比叡山延暦寺や日吉大社、園城寺(三井寺)、紫式部が源氏物語の構想を練った石山寺、堅田の浮御堂などをはじめ、琵琶湖観光の観光拠点にしようと意気込んでいる。

琵琶湖グランドホテル 京近江

(写真は 琵琶湖グランドホテル 京近江)


◇あ    し◇
小野神社、小野篁神社JR湖西線和邇駅下車徒歩20分。 
小野道風神社JR湖西線和和邇駅下車徒歩25分。 
唐臼山古墳(小野妹子の墓)、小野妹子公園
JR湖西線小野駅下車徒歩15分。
比良あられ・八荒堂JR湖西線和邇駅下車徒歩15分。 
近江舞子浜JR湖西線近江舞子駅下車徒歩5分。 
雄松崎JR湖西線近江舞子駅下車徒歩10分。 
楊梅の滝JR湖西線北小松駅下車徒歩25分。 
三橋節子美術館京阪電鉄京津線上栄町下車徒歩10分。 
JR東海道線大津駅下車徒歩20分。
雄琴温泉JR湖西線雄琴駅下車徒歩10分。
雄琴神社JR湖西線雄琴駅下車徒歩5分。 
◇問い合わせ先◇
大津市観光振興課077−528−2756 
志賀観光協会077−592−0378 
小野神社、小野篁神社、小野道風神社
077−594−0461
比良あられ・八荒堂077−594−0213 
三橋節子美術館077−523−5101 
おごと温泉観光協会077−578−1650 
ホテル京近江077−577−2211 
雄琴神社077−578−2720 

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

    あなたも「関西の歴史や文化を楽しみながら探求する」歴史街道倶楽部に参加しませんか?
    歴史街道倶楽部では、関西各地の様々な情報のご提供や、ウォーキング、歴史講演会など楽しいイベントを企画しています。
   倶楽部入会の資料をご希望の方は、
 ハガキにあなたのご住所、お名前を明記の上、
          郵便番号 530−6691
          大阪市北区中之島センタービル内郵便局私書箱19号
                  「 A係 」
へお送り下さい。
   歴史街道倶楽部の概要を解説したパンフレットと申込み用紙をご送付いたします。
       FAXでも受け付けております。FAX番号:06−6448−8698   

歴史街道推進協議会