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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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大東市、四條畷市 |
大阪府の北東部に位置し、奈良県と境を接する大東、四條畷の両市は、旧石器、縄文、弥生時代から生駒山系の西麓で開けてきた。また野崎参りで知られる野崎観音、南北朝時代から戦国時代にかけて軍事的要衝の地となった飯盛山の飯盛城をはじめ、両市内にはこの時代の史跡が多く、手ごろなハイキングコースにもなっている。 |
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本堂は兵火などで度々焼失し、そのつど再建されてきた。現在の本堂は昭和25年(1950)尾瀧一峰住職が河内一円を托鉢した浄財で、東大阪市日下の大龍寺の観音堂を譲り受けて移築した。 |
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(写真は 十六羅漢像) |
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野崎観音にちなむエピソードで有名なのが、人形浄瑠璃や歌舞伎でおなじみの近松半二作の「新版歌祭文・野崎村の段」の「お染久松」の悲恋物語。 |
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(写真は お染久松の墓) |
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山頂には鎧(よろい)姿の楠木正行(まさつら)像が、激戦の末に果てた戦場を見下ろしている。正行は父・楠木正成が神戸・湊川で足利尊氏に敗れた後、四条畷で足利方の高師直軍と戦い、敗れて弟の正時と刺し違えて果てた。この像のすぐ近くに正行らの冥福と菩提を弔うため妙法寺が建立され、昭和23年(1948)に楠公寺と改められた。 |
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(写真は 楠木正行像) |
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この墓所の東方の四條畷神社は、正行を主神に弟・正時以下一族24名を配祀している。父・正成は神戸・湊川神社に祀られ、明治天皇から正一位が贈られ、正行には従二位が贈られた。 |
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(写真は 四條畷神社本殿) |
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田原城の北に田原氏の菩提寺・千光寺があったが明治維新後に廃寺となり、その跡に移転したきた月泉寺に田原一族の位牌などが継承されてきた。平成14年(2002)の千光寺跡の発掘調査で、高さ43.5cm、幅26cm、厚さ8cmの石に十字架が刻まれた墓碑が発見された。これが田原レイマンのものとわり、田原がキリシタンだったことが裏付けられた。この墓碑はわが国で発見されているキリシタン墓碑としては日本最古のものである。墓地跡からは墓碑のほかに中国製の青磁袴腰香炉や青白磁小壺、瀬戸焼水差などの遺物が出土している。 |
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(写真は 田原レイマンキリシタン墓碑) |
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