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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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福井・若狭町 |
若狭町は平成17年(2005)3月、三方町と上中町が合併して誕生した新しい町。若狭は縄文時代から高い文化と技術を持った人びとが住み着き、古くから開けた地域で、大陸の文化を受け入れる日本海の玄関口でもあった。こうしたことから日本でも有数の遺跡や古墳群が存在し、貴重な遺物が出土して注目されている。今回は古代遺跡の中心地・若狭町を訪ねた。 |
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「森と海・湖の文化」のコーナーのメインは丸木舟。鳥浜貝塚から2艘、ユリ遺跡から9艘、合わせて11艘の丸木舟が出土している。展示されているのは保存処理をしたユリ遺跡出土の丸木舟。またユリ遺跡の丸木舟の出土状況を型取った原寸大の模型の上にガラスが張られ、その上を歩くことができる。ほかにパプアニューギニアやブラジルなど世界8カ国の丸木舟も展示されている。石斧や杓子の柄、赤色漆塗り櫛(複製)などの木製品、縄文文化のシンボルとも言える縄、ゴザ状の編み物などの展示物から縄文時代の高度な技術がうかがえる。 |
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(写真は 土器の径) |
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長い石段の参道を登ったところにある大師堂の周囲には、88体の石仏がずらりと並んでいる。その一体一体の前には四国八十八カ所霊場から運ばれてきた砂が納められており、この石仏にお参りすれば四国八十八カ所霊場を巡礼したと同じ功徳があるとされている。 |
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(写真は 八十八ヶ所石仏) |
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若狭街道は日本海の海の幸を京へ送った街道で、いつのころからか「鯖街道」と呼ばれるようになった。朝、若狭の海でとれた鯖に一塩して、40〜60kgの鯖を背負って京へ向かう。いたみの早い鯖を早く運ばなければならず、熊川宿で昼食と休憩をとると、あとは一気に夜を徹して街道を歩いて京の出町柳に至り、錦の朝市へ出したものだった。今もこの街道筋には鯖を利用した鯖寿司が、名物として観光客に喜ばれている。 |
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(写真は 鯖寿司) |
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こうした特徴のある民家群のオンパレードの中で一般公開されているのが旧逸見勘兵衛家住宅。この住宅は熊川村の初代村長の逸見勘兵衛の生家で、子孫が平成6年(1994)に建物と土地を町に寄贈した。町はこの住宅の外観はそのまま保ち、内部の住みづらさを解消して古民家文化を継承しながら快適な生活ができるモデルハウスにした。 |
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(写真は 旧逸見勘兵衛家・居間) |
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脇袋古墳群のほかに十善の森古墳(前方後円墳・全長68m)、丸山古墳(円墳・直径50m)、大谷古墳(円墳・直径22m)、上船塚古墳(前方後円墳・全長77m)、下船塚古墳(前方後円墳・全長85m)、城山古墳(前方後円墳・全長63m)などの大型古墳がある。 |
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(写真は 金銅製冠の復元品 |
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