|
月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
|
大阪市・大阪城 |
豊臣秀吉が大坂城を築城してから2008年で425年になる。この間に悲喜こもごものドラマが大坂城で繰り広げられた。大阪市民にとっては大阪城は大阪のシンボルであり、心の支え、誇りでもある。こうした大阪城にスポットを当てて見た。なお、江戸時代までは「大坂」、明治時代以降は「大阪」の表現で統一した。 |
|
|
||||
|
||||
|
||||
大坂夏の陣から5年後の元和6年(1620)徳川2代将軍・秀忠によって大坂城の再建が始まった。秀忠は築城普請奉行の藤堂高虎に「石垣も堀も旧城の倍にせよ」と命じ、10年の歳月をかけて大々的な大坂城が再築され、豊臣時代の城の面影は新城の足下の地中にすっかり隠してしまった。この徳川の大坂城天守閣も寛文5年(1665)に落雷で焼失し、以後、天守閣のない大坂城が昭和時代初めまで続いた。 |
||||
(写真は 大阪城天守閣) |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
大手門を北西から防御する千貫櫓(国・重文)は、元和6年(1620)に築かれた城内最古の建物のひとつ。この櫓にも進入してくる敵に備え銃眼がある。 |
||||
(写真は 金蔵) |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
大坂城の石垣に使われた石は約40万個とも言われ、その中で刻印された石は5〜6万個でその種類は2000種にのぼる。刻印は家紋、家印が圧倒的に多いが、ほかに丸や三角、サイコロの目、串団子などもあり、珍しいものではローマ字が刻まれたものがある。 |
||||
(写真は 蛸石) |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
南外堀西側の六番櫓そばの南面する石垣の中腹、水面から6m、石垣の上から15mのところに石1個分の穴が空いている。昭和34年(1959)の「大坂城総合学術調査」の際に発見されたもので、約90cm角の穴が奥の方へ続いていたようだ。 |
||||
(写真は 本丸空堀) |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
来日したことがない17世紀のオランダ人牧師・モンタヌスが、自著「日本誌」にヨーロッパに渡った大坂城絵図をもとに描いたと見られ大坂城図を掲載している。「大坂城におけるパークスと徳川慶喜の会見」が、絵入りロンドンニュースに掲載された。慶応3年(1867)に大坂城本丸御殿大広間で徳川慶喜とイギリス公使ハリー・パークスの会見を描いたもので、この時、兵庫開港問題などの交渉が行われていた。 |
||||
(写真は 大坂城におけるパークスと徳川慶喜の会見「絵入りロンドンニュース」より) |
||||
|
||||
|
|
◆歴史街道とは
|
歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
|
◆歴史街道倶楽部のご紹介 歴史街道推進協議会
|