月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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奈良市 |
奈良市の中心部から世界遺産の春日山原始林の中を通り抜け、剣豪の里・柳生へ通じるのが柳生街道。多くの剣豪や武芸者が通り、牛馬の背に米や薪、炭を乗せて奈良へ運び、日用品を柳生へ持ち帰った道でもある。この街道沿いには多くの史跡や社寺、石仏があり、柳生の里には柳生新陰流の柳生家にゆかりの史跡が多い。今回は柳生街道をたどりながら柳生の里へと歩を進めた。 |
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石仏群を拝観しながら滝坂道を過ぎると石切峠。柳生へ向かった旅人は必ずここで一服した江戸時代から続く峠の茶屋が今もある。昔風の佇まいが往時をしのばせる茶屋の鴨居にかけられた鉄砲や槍は、柳生道場を目指した武芸者が飲み代のカタに置いて行ったものだと言う。 |
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(写真は 峠の茶屋) |
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本堂の東にある円成寺の鎮守社・白山大権現を祀る白山堂と春日大明神を祀る春日堂はいずれも国宝で、全国で最も古い春日造社殿である。この二つの社殿は安貞2年(1228)の春日大社造営の際に、当時の春日大社宮司・藤原時貞が旧社殿を拝領して円城寺に移築した。 |
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(写真は 春日堂(左)・白山堂(右)) |
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境内に鎮座する摂社・立磐神社は、社殿の裏にある巨石が本来の御神体だった。夜支布山口神社が移されてきたが、江戸時代中期までは立磐神社が本社で山口神社が若宮だった。明治時代初めに山口神社を本社とし、立磐神社を摂社としたとの記録がある。 |
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(写真は 立磐神社) |
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本堂には3体の仏様が祀られている。正面中央に本尊・薬師如来座像(国・重文)が安置されており、光背に造仏当時のものと見られる美しい色彩が残っている。本尊の両側に釈迦如来座像(国・重文)、阿弥陀如来座像(国・重文)が安置されており、いずれも平安時代中期から後期にかけて造仏されたものである。この3体の堂々たる如来仏を拝していると心に余裕やゆとりが満ちあふれてくる。 |
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(写真は 阿弥陀如来坐像) |
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柳生新陰流を創始した石舟斎は柳生で生まれ、若い時から兵法や剣の修行に励んだ。奈良・宝蔵院を訪れた剣の達人として知られていた上泉伊勢守と立ち合って敗れ、伊勢守に入門して新陰流を学んだ。その中で「無刀取り」、世に言う「真剣白刃取り」を会得し、柳生新陰流の極意である「剣は人を斬るにあらず、人を活かすにあり」との活人剣を編み出す。 |
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(写真は 柳生宗矩像) |
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