月〜金曜日 18時54分〜19時00分


神戸市 

 国際貿易都市・神戸は関西の他の都市と異なり、異国情緒のある独特の雰囲気を醸し出している街である。商店街のスタイルや市民のセンスにも大阪や京都に見られないものがある。今回はこうした神戸の町を寸描してみた。


 
エンジョイ六甲  放送 5月19日(月)
 神戸市街地の北に横たわる六甲山は、関西の人たちに人気のレジャースポット。その六甲山の発展の端緒を作ったのが、神戸港が開港したばかりの明治元年(1W68)に神戸にやってきた貿易商の英国人アーサー・H・グルームだった。

 明治28年(1895)三国池の池畔に六甲山で最初の山荘を建て、自然を楽しむレクリエーションの場にした。週末に山荘で仲間たちとの団らんの場でゴルフが話題になり、グルームは「六甲山にゴルフ場を作ろう」と思い立った。明治34年(1901)にまず4ホールと作り、2年後に9ホールにしてわが国初の公式ゴルフ場として認められたのが現在の神戸ゴルフ倶楽部である。

三国池

(写真は 三国池)

六甲山ホテル旧館

 阪急グループの創始者・小林一三氏が六甲山の自然の中に安らぎを与えてくれるくつろぎの場を作ろうと、昭和4年(1929)に開設、開業したのが六甲山ホテル。最初は避暑を兼ねた夏場だけの営業で、小林氏を中心にした社交の場であった。その後、六甲山ホテルの落ち着いた雰囲気と四季折々の自然を楽しむ人たちが利用するようになった。

 六甲山ホテル旧館には小林氏が愛用していたソファーと書棚が置かれ、天井のステンドグラスなど開業当時のクラシカルなムードが漂う。海側の本館6階のバーからは、宝石のように輝く神戸の夜景が楽しめる。

(写真は 六甲山ホテル旧館)

 グルームが手をつけた六甲山の開発はその後急速に進んだ。グルームの時代は六甲山へは駕籠か馬に乗って登っていたが、大正14年(1925)に摩耶ケーブルが開通したのを皮切りに、次々にドライブウエイ、ロープウエイなどがあちこちに開設され、今はいろいろなアクセスがある。これに合わせてスケート場、スキー場遊園地、植物園、牧場など施設やホテル、別荘、保養所などが建設され、関西最大の避暑地、レジャー地となった。

 標高888mの六甲ガーデンテラスからは阪神間の大パノラマが眼下に広がり、日本三大夜景の1000万ドルの夜景が心ゆくまで楽しめる。六甲山にはほかにも夜景を楽しめるスポットがいっぱいある。

バー Top of Rokko

(写真は バー Top of Rokko)


 
港の輝き  放送 5月20日(火)
 日本を代表する国際貿易港の神戸港は、幕末の慶応3年(1867)に開港し近代港への第一歩を踏み出した。神戸港は奈良時代には大輪田泊として瀬戸内海のd要な港としての役目を果たしていた。平安時代末期に平清盛が日宋貿易の拠点として、港への風と波を防ぐために人工島の経ヶ島を築くなど大輪田泊の大改築を行った。

 以来、室町時代、江戸時代を通じて中国や琉球などの外国船が外国の物産、北前船が北海道の物産を運び込み、灘の酒など関西の物産を樽廻船などで江戸へ運び出した。開港後は港湾設備の整備、鉄道の敷設、外国人居留地の整備を進めて国際貿易港へと発展して行った。

摂州神戸海岸繁栄之図(明治4年 神戸)

(写真は 摂州神戸海岸繁栄之図

(明治4年 神戸))

英国艦船ロドニー号(神戸海洋博物館)

 かつてのメリケン波止場は神戸開港120周年の記念事業として、昭和62年(1987)に緑地公園・メリケンパークに衣替えした。メリケン波止場は明治元年(1868)に政府が作った波止場近くに、アメリカ領事館があったのでメリケン波止場と呼ばれるようになった。

 帆船と波をイメージした白い屋根が印象的な神戸海洋博物館はメリケンパーク完成と同時にオープン、時代とともに移り変わる港と街の様子を模型や映像などで紹介している。館内には神戸国開港を祝福するため来航した英国戦艦「ロドニー号」や菱垣廻船などの模型、神戸港の歴史、海の未来都市などを見ることができる。

(写真は 英国艦船ロドニー号
(神戸海洋博物館))

 メリケンパークには昭和38年(1963)に完成した神戸のシンボルである108mの神戸ポートタワーのほか、阪神淡路大震災で被災したメリケン波止場の一部をそのまま残した神戸港震災メモリアルパークがある。メリケンパークの西には、ショッピング、グルメ、アミューズメントなど多彩なニーズに応えられるハーバーランドもオープンしており、21世紀の国際貿易港へと発展しつつある。

 海から神戸港や神戸の市街地、六甲山を眺めると、夜の神戸の輝きに思わぬ再発見がある。遊覧船・神戸シーバスなど5隻の神戸港遊覧船を3社が運航しているほか、明石海峡大橋までのクルージングを楽しみながら船内で食事もできる2隻の豪華客船も運航している。

大輪田泊の修築(神戸海洋博物館)

(写真は 大輪田泊の修築
(神戸海洋博物館))


 
異人館ノスタルジー  放送 5月21日(水)
 国際貿易都市・神戸市の旧居留地は、幕末の慶応3年(1867)の神戸港開港後に、外国人の居住地や貿易の場を設けることを定めた修好通商条約によって建ンされた。この居留地は東西が現在のフラワーロードから鯉川筋(大丸百貨店西の通り)まで、南北が国道2号(海岸通り)から大丸百貨店前の通りまでの約26ha。

 全体を126区画に分け、人道と車道を分離した道路、公園の設置、下水道の整備など最初から計画的な都市作りが行われた。アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、オランダの5カ国の人びとが住み、領事館、銀行、商館、ホテル、住宅などが建ち並び、貿易、経済の中心地として発展した。

旧神戸外国人居留地(昭和15年 神戸市立博物館蔵)

(写真は 旧神戸外国人居留地

(昭和15年神戸市立博物館蔵))

旧居留地十五番館

 この旧居留地に当時の建物として残っていた15番館(国・重文)は、アメリカ領事館として建てられたコロニアル様式の建物だったが、阪神淡路大震災で倒壊した。旧館の部材をできる限り生かして、免震構造を取り入れて復旧し、今はカフェとして使われ当時の面影を残す唯一の建物として親しまれている。

 ほかにも欧米各国の領事館や貿易会社などの洋風建築が、今もオフィスビルや商店として使われており、名建物として商船三井ビル、神戸市立博物館、38番館なヌがある。商船三井ビルは大正11年(1922)竣工で大正時代の建築物として価値が高い。横浜正金銀行の建物だった神戸市立博物館はギリシャ様式の美しい建物。

(写真は 旧居留地十五番館)

 居留地に住んでいた外国人たちがより快適な住宅環境を求め、見晴らしのよい山手に住まいを移すようになった。これが北野町一帯の異人館街の始まりで大正時代初めには100棟以上の外国人住宅があった。

 現在は20数棟になってしまった異人館街で、一般公開され観光客に人気のあるのが風見鶏の館(国・重文)、萌黄の館(国・重文)、うろこの家など。三角屋根の上にある風見鶏がシンボルの風見鶏の館は、神戸に住んでいたドイツ人貿易商のゴッドフリート・トーマス氏の自邸で、室内はドイツ様式の中に20世紀初めのアール・ヌーヴォーの様式が取り入れられたデザインや調度品が置かれている。

風見鶏の館

(写真は 風見鶏の館)


 
摩耶山・天上の世界  放送 5月22日(木)
 摩耶山(標高698.6m)の山上に伽藍がある天上寺(てんじょうじ)は、大化2年(646)孝徳天皇の勅願によってインド僧・法道仙人が開創したと伝わlテ刹。本尊の秘仏・十一面観世音菩薩像は法道仙人がわが国へ伝えたとされている。

  その後、弘法大師・空海が中国の唐から帰朝する時、梁の武帝が自ら彫ったと言われる釈迦の聖母・摩耶夫人(まやぶにん)像を請い受けて請来し天上寺に祀った。摩耶山の名はこの摩耶夫人に由来する。仏母を祀る寺として女性の信仰を集め、安産、子授け、子育ての守護仏として知られ「摩耶参り」「摩耶詣」などと言われるほど参詣者が多い。

摩耶夫人尊

(写真は 摩耶夫人尊)

仏母会(毎年5月8日)

 毎年5月8日には摩耶夫人と誕生した釈迦の誕生仏を合わせて祀る「仏母会(ぶつもえ)」が行われる。一般の寺の釈迦の誕生仏を祀る仏生会とは異なり、高さ1mもある日本一大きな誕生仏を祀り、その背後に摩耶夫人像を安置する。釈迦より仏母の摩耶夫人に重きをおいた会式なので仏母会と言う。

 天上寺は山陽道の八宗兼学寺として僧房300、僧も3000人を上回る摂津国第一の巨刹だった。兵火などでたびたび焼失しており、昭和51年(1976)にはさい銭泥棒の失火で焼失したが、その後やや北側に現在の金堂(本堂)や摩耶夫人堂などの伽藍が再建された。

(写真は 仏母会(毎年5月8日))

 まやロープウエイの星の駅前に掬星台(きくせいだい)と呼ばれる広場がある。掬星台は日本三大夜景のひとつ神戸の1000万ドルの夜景を眺める最高のスポット。星が掬えるほどの夜景がどこまでも広がっていることから掬星台と呼ばれ、この光の壮大なショーに訪れた人たちは魅了させられる。掬星台にある天の川をモチーフに星座が描かれた「摩耶星きらきら小径」は、蓄光材で舗装され夜間は歩道全体が青色の光で浮かび上がる。

 六甲山の夜景眺望スポットは、ほかに六甲ケーブル山上駅そばの天覧台、六甲ガーデンテラス、諏訪山公園のビーナスブリッジ、表六甲ドライブウエイ途中の鉢巻展望台、神戸市立布引ハーブ園などがある。

金堂

(写真は 金堂)


 
ナイト・イン・KOBE  放送 5月23日(金)
 神戸は幕末の慶応3年(1867)の神戸港開港以来、さまざまな異国文化が入り神戸から日本各地に広まった。ジャズもそのひとつで、太平洋航路の船内で演奏していたアメリカの音楽隊がジャズを運び、神戸に上陸させたと言われている。

 日本初のジャズバンド「井田一郎とラッフィング・スターズ」の初演奏が大正12年(1923)神戸で行われ、神戸がジャズ発祥の地と言われるようになった。井田は宝塚少女歌劇団のオーケストラの団員で、幕間に仲間とジャズを演奏していてクビになり、神戸の楽器店主の援助で日本初のジャズバンドを結成した。
JAZZ LIVE ソネ

(写真は JAZZ LIVE ソネ)

神戸空港

  その後、神戸には次々とジャズバンドが誕生し、戦後にはアマチュアバンドを含めて多くのジャズバンドが生まれた。神戸を訪れたジャズの神様と言われていたルイ・アームストロングも神戸のジャズバンドを称賛したほどだった。

 昭和56年(1981)の神戸ポートピア博覧会でのジャズフェスティバルは大盛況で、このジャズファンの熱望に応えようと翌年から「神戸ジャズ・ストリート」が始まり、北野町界隈のライブハウスや高級クラブで昼下がりにジャズが演奏され、ジャズファンがそれぞれの会場を訪れジャズを楽しんでいる。

(写真は 神戸空港)

 三宮駅近くの「ソネ」もこうしたライブハウスのひとつ。レンガ造の落ち着いた建物の雰囲気の中で毎夜、ベテランプレーヤーや女性ボーカルがジャズの名曲を聴かせてくれ、リクエストにも応じている。ジャズファンは心に響くジャズを聴きながらワインや食事を楽しみ、夜のひとときを過ごしている。

 神戸の夜は昼間には見られないエキゾチックな顔になる。夜景スポットに恵まれている神戸にも新たな夜景スポットが生まれている。平成18年(2006)2月に開港した神戸空港が夜景観賞のポイントとしたクローズアップされ、ほかに神戸メリケンパークオリエンタルホテルやポーアイしおさい公園などが美しい夜の輝きを放っている。

神戸メリケンパーク オリエンタルホテ

(写真は 神戸メリケンパーク オリエンタルホテ)


◇あ    し◇

神戸ゴルフ倶楽部

JR東海道線六甲道駅、阪神電鉄御影駅、阪急電鉄神戸線六甲駅からバスで六甲ケーブル下駅へ。同駅から六甲ケーブルで山上駅下車、山上バスで記念碑台下車徒歩15分。                
六甲山ホテルJR東海道線六甲道駅、阪急電鉄六甲駅からホテル行無料シャトルバス(1時間に1便)
阪急電鉄六甲駅からバスで六甲山ホテル前下車すぐ。 
六甲ガーデンテラスJR東海道線六甲道駅、阪神電鉄御影駅、阪急電鉄神戸線六甲駅からバスで六甲ケーブル下駅下車、同駅から六甲ケーブルで山上駅下車、山上バスで六甲ガーデンテラス下車すぐ。 
メリケンパーク(神戸海洋博物館、ポートタワー、神戸港震災メモリアルパーク、神戸メリケンパークオリエンタルホテル、神戸港遊覧船乗り場)
JR東海道線元町駅、阪神電鉄元町駅下車徒歩15分。
旧居留地JR東海道線、阪急電鉄、阪神電鉄の三宮駅下車徒歩5分。 
北野異人館街JR東海道線、阪急電鉄、阪神電鉄の三宮駅下車徒歩15分。
JR東海道線、阪急電鉄、阪神電鉄の三宮駅からシティループバスで北の異人館下車。 
摩耶山天上寺JR東海道線、阪急電鉄、阪神電鉄の三宮駅からバスで摩耶ケーブル駅下車。
まやケーブル、まやロープウエイを乗り継ぎ星の駅下車徒歩10分。  
ジャズライブ&レストラン「ソネ」
JR東海道線、阪急電鉄、阪神電鉄の三宮駅下車徒歩5分。
神戸空港JR東海道線、阪急電鉄、阪神電鉄の三宮駅からポートライナー神戸空港駅下車。
ポーアイしおさい公園JR東海道線、阪急電鉄、阪神電鉄の三宮駅からポートライナー中公園駅下車徒歩10分。             
◇問い合わせ先◇
神戸市総合インフォメーションセンター
078-322-0220
神戸市観光交流課078-322-5339 
神戸フィルムオフィス078-303-2021 
神戸ゴルフ倶楽部078-891-0364  
六甲山ホテル078-891-0466 
六甲ガーデンテラス078-894-2281 
神戸海洋博物館078-327-8982 
神戸シーバス078-360-0731 
風見鶏の館078-242-3223 
摩耶山天上寺078-861-2684 
ジャズライブ&レストラン「ソネ」
078-221-2055
神戸メリケンパークオリエンタルホテル
078-325-8111
神戸空港ターミナル株式会社
078-304-7775 

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

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