月〜金曜日 18時54分〜19時00分


緑陰を歩く

 新緑が目にもまぶしい5月。今回はユネスコの世界文化遺産に登録された熊野街道をはじめ、近畿各地の緑陰の道を歩いてみた。


 
熊野の神々(那智勝浦町、
熊野川町、本宮町) 
放送 5月26日(月)
 中辺路の熊野街道から熊野本宮大社へ参詣した巡礼者たちは、熊野川を舟で下って新宮の熊野速玉大社、さらに熊野那智大社、青岸渡寺への参拝を済ませると、再び本宮へと戻って行く。那智から本宮へのルートは大雲取越え(約16km)から小雲取越え(約13km)の山道を取った。中でも大雲取越えは熊野古道最大の難所である。

 厳しい山坂、所によっては腰のあたりまでのカヤやクマザサをの中を進むなど難所の連続。力尽きて行き倒れになった巡礼者もおり、沿道には無縁仏を供養した石仏が点在している。人気ひとつない深閑とした山道には、亡者の霊魂がたどっているとも言われ、つい足取りも早くなる。
無縁仏

(写真は 無縁仏)

大雲取越え


 大雲取越は那智の青岸渡寺の鐘楼横から原生林の那智山へ入って行く。原生林の中の苔むした石段や石畳を登り続けると妙法高原に出る。スタートしてから約2時間で標高888mの舟見峠に着く。熊野灘を往く帆掛け舟が見えたことからこの名がついた。

 舟見峠から地蔵茶屋跡まで800m級の峰が続く山中は、死んだ肉親や知人が現れる「亡者との出会い」と言われる場所である。疲労と樹木がうっそうと茂る深山の雰囲気に惑わされ、幻覚に襲われたのであろう。大雲取越え最大の難所・標高871mの越前峠を越えると小口の里まで下りが続くが、この下りが険しく胴切坂と呼ばれている。小口の里で1泊、小雲取越えを経て熊野本宮大社に着く。

(写真は 大雲取越え)


 越前峠から下る胴切坂の途中に熊野の神々が座り、談笑したり相談ごとをしたと言う巨石「円座石(わろうだいし)」がある。「わろうだ」とは昔の丸い座ぶとんのような敷き物のことを言う。苔むした岩の正面の修験者が刻んだと見られる三つの梵字は、熊野三山の本宮、速玉、那智大社の本地仏の阿弥陀如来、薬師如来、千手観音菩薩を表している。今や大雲取越えの名物となった円座石の上で、熊野の神々は何を語らっていたのだろうか。


 大雲取越えは自然の脅威と厳しさ、その美しさを教えてくれる熊野古道の中でも最も印象に残るルートと言える。体力に自信のある人は挑戦して見て欲しい。

円座石

(写真は 円座石)


 
瀧谷寺  放送 5月27日(火)
 老杉や老樹におおわれて昼でも暗い石畳の長い参道を進むと、深山の趣さえ漂う瀧谷寺(たきだんじ)がある。古社寺の多い三国町でも最古の寺院。参道の敷き石は福井市内で採掘された笏谷石で、雨に濡れると青みを帯びる。

 参道にある鐘楼門は柴田勝家寄進の山門で、二層の2階部分が鐘楼になっている。この瀧谷寺は南北朝時代の永和元年(1375)紀州根来寺の学頭、睿憲(えいけん)上人によって創建され、以後、朝倉、柴田、松平氏など歴代領主の祈願所として栄えた。 
鐘楼門

(写真は 鐘楼門)

本尊 薬師如来

 睿憲上人は中国に渡ろうとしたが、玄界灘で船が難破し、越前の崎浦の浜に漂着した。この地に一宇を建てたのが瀧谷寺の起こりで、ここに「瀧谷寺跡」と伝えられる旧地がある。

 上人はこの地の神社に参籠中、「宝珠の留まるところが有縁の地なり」の霊夢に導かれ、現在の瀧谷寺境内にある龍泉の池のほとりで宝珠を見つけ、ここに伽藍(がらん)を建立した。これが「摩尼の宝珠」と呼ばれ、今も寺宝として伝えられていて、山号・摩尼宝山の由来となっている。当時、この地の流れる渓流はあちこちで滝が流れ落ちており、この景観から寺号の瀧谷寺が名付けられた。 

(写真は 本尊 薬師如来)


 境内には国の重要文化財の鎮守堂や観音堂、開山堂など貴重な建物が建ち並び、宝物館には仏教の楽器のひとつである国宝の金銅毛彫宝相華文磬(こんどうけぼりほうそうげもんけい)をはじめ、多くの国宝、重要文化財などが所蔵、展示されている。

 本尊の薬師如来像を祀る本堂裏の庭園は、起伏に富んだ自然と自然石の斜面を生かし、松やツツジのほかに銘石、石灯籠が巧みに配された名庭園(国・名勝)。一方、観音堂の正面の9つの石を心字型に配した石庭は、観音様の慈悲の心を現している。

名勝庭園

(写真は 名勝庭園)


 
西塔への道  放送 5月28日(水)
 西塔は東塔から北へ1kmの所にあり、森閑とした山内に参道が続き山王院を経て浄土院へ。浄土院は弘仁13年(822)に56歳で入寂した伝教大師・最澄の廟所で、比叡山で最も清浄な聖域。浄土院では侍真(じしん)と呼ばれる修行僧が、生身の大師に仕えるがごとく奉仕している。

 侍真は12年間の籠山修行をする僧で、12年間1日の休みもなく、大師に1日2回の食事を供え、1日3度の勤行をするほか、勉学や掃除などを行う。浄土院内外にはちりひとつないように掃き清められ、この務めを"掃除地獄?とも言う。廟所を守るかのように菩提樹と沙羅双樹が廟所の前に枝を広げている。 
浄土院

(写真は 浄土院)

常行堂


 侍真は「大師の真影に侍る」との意味からこのように呼ばれている。侍真は12年間、世間から一切断絶する誓いをたて、一般の人と接する機会はなく、大師への奉仕、勤行、修学を続ける脱俗超俗の世界で修行する。この侍真になるにも血のにじむような厳しい修行をくぐり抜けなければならない。

 浄土院から鳥が鳴き、チョウが舞う森の中の小径をたどって行くと、渡り廊下でつながれた同じ形の二つのお堂の常行堂と法華堂に出る。怪力の弁慶が渡り廊下を天秤棒にして山の下から担って上がったと言う伝説から「にない堂」と呼ばれるようになった。 

(写真は 常行堂)

 常行堂は南無阿弥陀仏の念仏を唱えながら常行三昧の修行をする道場、法華堂は座禅を組んで常座三昧の修行をする道場である。
 この渡り廊下をくぐって北に進むと現れる釈迦堂は、西塔の本堂・転法輪堂で、本尊は伝教大師自刻の釈迦如来像で、堂の名もこの本尊に由来する。織田信長の焼き討ちに遭った後、豊臣秀吉が三井寺の弥勒堂(金堂)を文禄4年(1595)に移したもので、比叡山最古の建物である。弥勒堂は貞和3年(1347)に建てられたが、三井寺が秀吉の意に従わなかったので、延暦寺復興の名目で移築した。

法華堂

(写真は 法華堂)


 
竹の美を描いて  放送 5月29日(木)
 洛西の竹林に魅せられて洋画では珍しい竹をモチーフにした作品を描き続ける画家がいる。その女性洋画家・八十山和代さんが竹と出会ったのは20年あまり前。

 故郷の石川県小松市でトラックに追突する交通事故を起こし、3日間昏睡状態となり右足に36針縫う大けがをした。「自分の好きな絵の道に生きよう」と翌年、親元を離れ京都に出て本格的に絵を描き始めた。洛西の竹林に題材を求めていた時、孟宗竹に自分を感じ、人間を感じた。天に向かって真っすぐ伸びる太くてたくましい孟宗竹、その地下茎は地中で絡み合い、コンクリートさえ破る生命力。その地下茎と真っすぐに伸びる幹に、悩みながら背伸びしている自分の姿が重なった。
竹林

(写真は 竹林)

竹林を描く


 それ以来「私は竹、竹は私」とずっと竹を描き続けている八十山さん。その間に竹についての勉強もした。竹は色々なものに関わっている。民話やことわざ、神、仏にはよく竹が登場する。洛西の乙訓の里が舞台とされる平安時代のロマンを描いた「竹取物語」にヒントを得て、平成6年(1994)自分自身である孟宗竹と月と宇宙を描いた「かぐや姫」を発表した。

 こうして油絵でさまざまな竹の姿を描き、その作品はかなりの数にのぼる。中国で水墨画を見て、油絵で描けない竹の作品の世界を感じ水墨画にも挑戦して竹を描いている。

(写真は 竹林を描く)


 八十山さんに絵を手ほどきしたのは洋画家の母親・雅子さんだった。小学校のころ学校から帰ると母の横でチラシ広告の裏に絵を描いていた。平成4年(1992)には京都で親子展も催したが、その母も今は亡き人となった。竹の本場・中国の各都市で竹を題材にした作品展を開き、好評を博し「竹の文化交流」の役目も果たした。このほか日本各地はもとよりブラジル、ニューヨークなどで個展を開いている。

 今は大原野に元理容店を改造したアトリエ「八竹(はちく)庵」を構え、地元の人たちとも交流を深めている。洛西の竹林から生まれた八十山さんの作品は、その竹林の中に据えると周囲にすんなりと溶け込んでゆく。

アトリエ 八竹庵

(写真は アトリエ 八竹庵)


 
森林浴  放送 5月30日(金)
 布引滝から歩を進めると流れ落ちる水の力で岩盤が石臼のように掘り抜かれ、底無しと言われるほど深い滝壷となり、竜が棲むと言い伝えられているのが竜が壺。

 この竜が壺にも自然保護を教える伝説が残る。時々、この滝壷に現れる女神は岩陰に咲く山桜の一枝が欲しくなったが、女神は水から出ることができない。そこへやって来た男神に「竜宮の女神ですが、あたなを竜宮にお招きするので、乙姫様に持って行く桜の枝を取って欲しい」と頼んだ。「この桜は山の神の花で取れない」と断ったが、再三の頼みに負け一枝取ってやると、女神は桜の枝を手に男神を置き去りにして姿を消した。後に男神は山の神から厳しい罰を受けたとの伝えがある。
布曳滝

(写真は 布曳滝)

滝ヶ壷


 飛沫をあげる流れの千変万化の変化が美しい縋藤(すがりふじ)滝。あまり大きな滝でないので見落とす人もいる。このあたりは鬼でも通れないほど険しい所で、藤の古木にすがりついて渡ったことからこの名がつけられた。

 この近くには斧が淵、陰陽滝、釜が淵、百畳岩、七色岩、姉妹滝、柿窪滝、横淵、笄(こうがい)滝と呼ばれる滝や深い淵が続く。横15m、幅10mほどもある大きな一枚岩が、川に向かって広がっている岩畳は、百畳敷もの広ささあることから百畳岩と呼ばる。この岩は美しい渓流を眺めるポイントのひとつで、すぐそばに茶店もあり、ひと息入れながら自然の恵みが満喫できる。

(写真は 滝ヶ壷)


 室生赤目青山国定公園内にある赤目渓谷は植物の種類が多い。野に、道ばたに、また滝の飛沫の中にさまざまな野の花が可憐な姿を見せ、散策の楽しみをふくらませ、心を癒してくれる。イワタバコ、オオヤマカタバミ、ウメガサソウ、イナモリソウ、ホトトギス、ダイモンジソウ、ベニシュスランは、植物学者・牧野富太郎氏らが選んだ赤目七草。

 赤目渓谷は森林浴100選にも選ばれた緑、緑、緑の森林。今は新緑の植物が発するフィトンチッドと言う物質ががいっぱいで、この物質が体や頭をすっきりさせてくれる。さらに木々が風に揺れる音や流れる水の音、森の香り、飛沫から発するマイナスイオンなど自然の力が心身をリフレッシュし、ストレスを忘れさせてくれる。

縋藤

(写真は 縋藤)


◇あ    し◇
熊野本宮大社JR紀勢線新宮駅からバスで熊野本宮大社下車。
熊野那智大社JR紀勢線那智駅からバス那智山下車徒歩10分。
瀧谷寺えちぜん鉄道三国芦原線三国駅下車徒歩7分。
比叡山延暦寺JR湖西線比叡山坂本駅、又は京阪電鉄石山坂本線坂本駅からバスで比叡山坂本ケーブルのケーブル坂本駅へ。
ケーブル比叡山駅下車、山内シャトルバスで山内目的地へ。
叡山電鉄叡山線八瀬比叡山口駅から京福電鉄の叡山ケーブル、
叡山ロープウエイを乗り継ぎ比叡山山頂駅下車、山内シャトルバスで山内目的地へ。
いずれもシャトルバス一日フリー乗車券が便利。
赤目四十八滝近鉄大阪線赤目口駅からバスで赤目滝下車。
◇問い合わせ先◇
本宮町観光協会0735−42−0735 
本宮町役場産業観光課0735−42−0022 
熊野本宮大社0735−42−0009 
那智勝浦町観光協会0735−52−5311 
那智勝浦町役場観光課0735−52−0555 
熊野那智大社0735−55−0321 
瀧谷寺0776−82−0216 
比叡山延暦寺077−578−0001 
赤目四十八滝渓谷保勝会0595−63−3004
名張市観光協会0595−63−9138

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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