月〜金曜日 18時54分〜19時00分


西国観音霊場巡り 


 
西国三十三カ所第7番札所・
岡寺
放送 6月23日(月)
 急な石段を登り朱塗りの仁王門(国・重文)をくぐり抜けると本堂にたどり着く岡寺。天智天皇の草壁皇子の住まいだった岡宮を、天智天皇2年(663)義淵僧正がもらい受け、寺としたのが始まりと言う古刹。岡宮に建てられたことから岡寺と呼ばれるようになった。

 本尊の如意輪観世音菩薩座像(国・重文)は、弘法大師がインド、中国、日本三国の粘土を使って作ったと伝わる。高さ4.58mの白い観音像はわが国で最大、最古の塑像(粘土造りの像)で、唇にわずかに残る朱色が印象的である。


本尊如意輪観世音菩薩像

(写真は 本尊如意輪観世音菩薩像)

龍蓋池


 岡寺の正式名称は龍蓋寺(りゅうがいじ)と言う。寺の近くの農地を荒らす悪い龍を、義淵僧正が法力で池に封じ込め大石で蓋(ふた)をした。本堂前にある龍蓋池がその池で、この池の名から寺の呼び名が生まれた。

 岡寺は平安時代中ごろから盛んになる観音信仰以前から観音霊場とした栄えていたが、さらに災いを取り除いた龍蓋伝説が厄除け信仰につながり、観音信仰に加えて厄除けの参詣者が多くなった。
特に鎌倉時代から2月(現在は3月)の初午の日に岡寺に参って厄除けの祈願をする人たちが増えたと言う。

(写真は 龍蓋池)

 義淵僧正は大和国高市郡の生まれで、父母が観音様に子宝を授かるように祈って生まれたと言われている。これを聞いた天智天皇が岡宮で草壁皇子と一緒に育てたとも伝わる。

 義淵僧正は法相宗を確立した学僧で、その門下に奈良時代に高僧となった行基、良弁、玄ム、道慈、道鏡らがいた。義淵の老僧姿を写した木心乾漆義淵僧正座像(国宝)は、奈良時代の秀作とされている。
 御詠歌は「けさみれば つゆおかでらの にわのこけ さながらるりの ひかりなりけり」。

義淵僧正像

(写真は 義淵僧正像)


 
西国三十三ヶ所 第八番札所 放送 6月24日(火)
 長谷寺に詣でて印象的なのは仁王門から本堂にかけて延々と続く登廊(重要文化財)だろう。

 後朱雀天皇の長暦三年(1039)に春日大社の神官であった中臣信清が、わが子の病気平癒を長谷寺に願をかけ、無事快癒したことからその礼として造ったのが最初とされている。上中下の三廊からなり、石段の数は399段。下廊と中廊は明治二十二年(1889)に再建されたものだが、古式をよく今に伝えている。ニ間おきに長谷型の灯篭を吊り下げ、独特の雰囲気をかもし出している。

登廊

(写真は 登廊)

本堂

 登廊を上がりきると左手に本堂(重要文化財)がある。
 小初瀬山中腹の断崖に南面して造られた本堂は京都清水寺の本堂と同じく懸崖造り(舞台造)となっている。正面(内陣)と礼堂(外陣)の二部構成となっていて、正面は桁行9間、梁間5間の入母屋造り。礼堂は桁行9間、梁間4間で、奈良県では東大寺大仏殿に次ぐ、いかにも本山寺院の本堂にふさわしい堂々たる大建築である。

(写真は 本堂)

 本堂内陣には本尊十一面観音像が安置されている。平安時代から中世にかけてこの観音への信仰は長谷信仰ともいわれるほど盛んで「古今和歌集」「枕草子」「源氏物語」「更級日記」「蜻蛉日記」など数多くの文学作品に登場している。特に女性の間で長谷信仰は盛んであったようだ。

 西国三十三ヶ所巡りの巡礼者姿が絶えない長谷寺は真言宗豊山派の総本山。全国各地に三千余りの末寺を数え、壇信徒も約300万人という。 ご詠歌は「いくたびも参る心ははつせ寺 山も誓いも深き谷川」。

本尊 十一面観音菩薩立像

(写真は 本尊 十一面観音菩薩立像)


 
西国三十三カ所第10番札所・
三室戸寺 
放送 6月25日(水)
 三室戸山の中腹、花の寺としても訪れる人が多い三室戸寺は、西国三十三カ所第10番札所で、巡礼姿の参拝者が絶えない。奈良時代の宝亀年間(770〜781)に夜毎、宮中が金色の光に照らされる奇瑞があり、光仁天皇が菟道(うじ)山を調べさせると、岩渕から黄金の千手観音像が現れた。

 この千手観音菩薩像を本尊として祀ったのが三室戸寺の始まりとされている。平安時代には桓武、花山、三条、白河、堀河天皇らが堂塔を寄進するなど朝廷、貴族の崇敬を集めて栄え、室町時代から江戸時代には観音様の御利益を求める善男善女でにぎわった。その間、火災による堂塔の焼失、織田信長による寺領の没収などで、寺運が衰退した時期もあった。

本堂

(写真は 本堂)

三重塔

 参道わきの5000坪の大庭園は、枯山水、池泉式と広庭からなっており、5月には2万株のツツジ、1千株のシャクナゲ、6月には1万株のアジサイ、
7月にはハスの花が咲き乱れ、秋は紅葉が参拝者を迎えてくれるので、庭を逍遥しながら四季折々の花の景観も満喫することができる。

 アジサイの咲く6月は境内がライトアップされ、アジサイの花と堂塔が浮かび上がる幽玄な美しさが楽しめる。枯山水の石庭の中心には阿弥陀三尊を現す三尊石を配して浄土を表現し、池泉回遊庭園の池には蓬莱島を配し、島へは板石橋が架けられている。

(写真は 三重塔)


 重層入母屋造の現在の本堂や阿弥陀堂、三重塔などは江戸時代後期の文化年間(1804〜18)に再建されたものである。三室戸寺の起こりに由来する千手観音像は脇侍の釈迦如来立像(国・重文)、毘沙門天立像(国・重文)ともに本堂に安置され、観音霊場巡礼の参拝者らが手を合わせている。

 阿弥陀堂には阿弥陀如来座像と脇侍の観音菩薩蔵、勢至菩薩蔵(いずれも国・重文)が安置されているが、脇侍の観音、勢至両菩薩蔵は両膝を折って跪座(きざ)した来迎像である。こうした来迎像は平安時代後期に流行した来迎芸術の数少ない仏像のひとつとされている。
 御詠歌は「よもすがら つきをみむろと わけゆかば うじのかわせに たつはしらなみ」。

本尊 千手観世音菩薩

(写真は 本尊 千手観世音菩薩)


 
西国三十三カ所第11番札所  放送 6月26日(木)
 貞観16年(874)理源大師・聖宝は醍醐寺創建に当たって、准胝(じゅんてい)、如意輪の両観世音菩薩像を刻んで祀った。その准胝観音像を本尊として祀る上醍醐の准胝堂は、西国三十三カ所第11番札所の霊場で、西国巡礼姿の信者たちが次々とお参りしている。

 この上醍醐の准胝堂は、西国三十三カ所霊場の中で最も道がけわしい霊場として知られている。下醍醐から約3kmの山道を登る以外にルートがなく、普通に歩いて約1時間、お年寄りだとそれ以上かかることもある。上醍醐への参詣者は西国霊場巡礼の人たちが中心になるためか、お年寄りが多く若い人の姿は少ない。

准胝堂

(写真は 准胝堂)

開山堂


 このきつい山道の参道を杖を頼りに登ってきて、横尾明神が「醍醐味なるかな」と言って飲んだ霊水醍醐水の井戸水でのどを潤すと、誰しも「醍醐味なるかな」と思うだろう。西国三十三カ所巡礼の巡礼者たちは、本尊・准胝観音菩薩像が祀ってある准胝堂へ参詣して「これで1時間もかけて登ってきた苦労も報われた」と、ホッとした表情に変わる。

 「じゅんてい」とは梵語の意訳で、清浄と言った意味がある。また、准胝観音には子授け、安産、夫婦和合、延命治病などの霊験があり、殊に醍醐天皇が皇子を授かったことから、子授けの願を掛ける人が多い。

(写真は 開山堂)


 醍醐寺草創の地・上醍醐には、山道を登り詰めたところに清滝宮本殿(国・重文)と清滝宮拝殿(国宝)があり、准胝堂のそばの薬師堂(国宝)は、山上に残る唯一の平安時代後期の建物である。そこから山上へ向かうと五大堂、聖宝が創建時に彫った如意輪観音像を祀った如意輪堂(国・重文)、開山堂(国・重文)と続く。

 五大堂に祀られている不動明王 、金剛夜叉明王、降三世(ごうざんぜ)明王、軍荼利(ぐんだり)夜叉明王、大威徳明王の五大明王像(国・重文)は「五大力さん」と呼び親しまれ、災難、盗難除けの本尊として信仰されている。
 准胝堂の御詠歌は「ぎゃくえんも もらさですくう がんなれば じゅんていどうは たのもしきかな」。

大威徳明王像(五大堂)

(写真は 大威徳明王像(五大堂))


 
西国三十三カ所第12番札所・
岩間寺 
放送 6月27日(金)
 大津市の南西端、京都府との境にある標高441mの岩間山上の西国三十三カ所第12番札所・正法寺は、一般には岩間寺と呼ばれている。奈良時代、女帝の元正天皇の病を祈祷で治した泰澄大師が、養老6年(722)元正天皇の勅願によって建立したと言う。

 泰澄大師は「越の大徳」と言われ、加賀白山を開いた山岳修行僧で、岩間寺も山岳信仰の霊場として栄え、平安時代には熊野権現、吉野・金峰山とともに日本三霊場と言われていた。その後、衰微していたのを憂いた正親町天皇が天正5年(1577)に修理して再興した。

泰澄大師

(写真は 泰澄大師)

本尊 千手観世音菩薩(お前立ち)


 岩間寺の本尊は元正天皇の念持仏だった金銅製の千手観世音菩薩像で秘仏となっている。この観音様は衆生の苦を救うため毎夜地獄を駆けめぐり、夜明け前に汗びっしょりになって帰ってくるとの言い伝えから「汗かき観音」と呼ばれて信仰を集めている。

 また、泰澄大師がこの地に伽藍建立した後たびたび落ちる雷に困ったことがあった。泰澄が法力で雷を封じ込め、その訳をたずねたところ雷が「仏門に入りたいと思ってくるのだが、いつも雷を落としてしまう」と言ったので快く弟子にした。その時、岩間寺へ参詣する善男善女には、雷の害をおよぼさないことを約束させたことから「雷除け観音」とも呼ばれ、毎年4月17日に雷除け法要(雷神祭)が行われる。

(写真は 本尊 千手観世音菩薩(お前立ち))


 本堂そばの小さな池は芭蕉が「古池や 蛙飛び込む 水の音」と詠んだ「芭蕉の池」。芭蕉は晩年、岩間寺近くの石山の幻住庵に住み、岩間寺に籠もった時にこの句を詠んだ。この当時、俳聖・芭蕉の心をとらえる静寂な空間がこの境内にあったのであろう。

 泰澄大師が岩間山に来た時、桂の木の大樹から千手観音が現れ啓示を受けたと言われ、その霊木とされる桂の大樹が境内にある。岩間寺からの琵琶湖の眺めは素晴らしく、岩間山の山上に登れば奈良や大阪の夜景も眺められるという。
 御詠歌は「みなかみは いずくなるらん いわまでら きしうつなみは まつかぜのおと」。

古

(写真は 古)


◇あ    し◇
飛鳥巡り近鉄橿原線・南大阪線橿原神宮前駅、吉野線岡寺駅・飛鳥駅からレンタサイクル利用が便利だが、明日香村内は坂道が多いので、老人や体力のない人はバス利用がよい。
近鉄橿原線・南大阪線橿原神宮前駅、吉野線飛鳥駅から明日香周遊バス(赤かめバス=一日乗り放題乗車券650円)と明日香村営明日香循環バス(金かめバス=1回100円)があり、この両方をうまく乗り継げば飛鳥の史跡、観光スポットはほとんど回れる。
長谷寺近鉄大阪線長谷寺駅下車、徒歩15分。
明星山三室戸寺京阪宇治線三室戸駅下車徒歩18分。 
JR奈良線宇治駅からバスで三室戸下車徒歩15分。
醍醐寺地下鉄東西線醍醐駅下車徒歩15分。 
JR東海道線山科駅からバスで醍醐三宝院下車。
岩間寺JR東海道線石山駅、京阪電鉄石山坂本線京阪石山駅からバスで中千町下車徒歩50分。
毎月17日の縁日には駅前から岩間寺までバスが運行される。

◇問い合わせ先◇
明日香村役場0744-54-2001
明日香村観光開発公社 0744-54-4577
飛鳥京観光協会0744-54-2362
岡寺0744-54-2007
長谷寺0744-47-7001
宇治市観光センター0774-23-3334
明星山三室戸寺0774-21-2067
醍醐寺075-571-0002
岩間寺077-534-2412

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    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
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  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

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