月〜金曜日 18時54分〜19時00分


名張市 

 名張市は伊勢参宮の初瀬街道の宿場町、江戸時代に入ってからは津藩主・藤堂高虎の分家の城下町として発展し、その名残や史跡が多い。現在は住宅団地が造成され大阪のベッドタウンの様相が強い。


 
乱歩のふるさと  放送 8月4日(月)
 「怪人二十面相」「少年探偵団」などで有名な日本の探偵小説の先駆者・江戸川乱歩(本名・平井太郎)は、明治27年(1894)名張で生まれた。父が名張郡役所の書記だったので、乱歩が生まれた翌年に鈴鹿郡役所に転勤になったため、乱歩が名張で過ごしたのは生後わずか8ヶ月の短い期間だった。

 すでに探偵小説家として名が売れていた戦後の昭和27年(1952)に、知人の総選挙の応援演説のため名張市を訪れた時に大歓迎された。この帰郷がきっかけとなって生誕地碑の建立が計画され、浄財を募って生家跡に高さ1.9mの「江戸川乱歩生誕地」の碑が昭和30年(1955)建立された。

ひやわい

(写真は ひやわい)

清風亭


 乱歩は随筆で「60年もご無沙汰していた町の人びとが、このような好意を寄せてくださったのは実にうれしい」と書いている。名張市立図書館には乱歩コーナーが設けられ、乱歩の作品とともに乱歩関連資料や生前に愛用したステッキ、帽子などや原稿が展示されている。

 生誕地の碑がある近鉄名張駅の西側の旧市街地には、民家と民家の間に「ひやわい」と呼ばれる細い路地が残っている。庇(ひさし)と庇の間の空間の庇間(ひあわい)が語源と言われている。名張市は「この迷路のような『ひやわい』を散歩しながら、乱歩の小説の世界を想像してください」とアピールしている。

(写真は 清風亭)


 名張市には乱歩に因んだ菓子や地酒、料理などが多い。大正3年(1914)創業の川魚料理「清風亭」の鯉こくは、乱歩が好んだ料理のひとつで、鯉の身に白味噌のこくが染み込んだまろやかな味。同店のうな重と合わせていただくとその味はさらに絶妙になる。

 「山本松寿堂」の二銭銅貨煎餅は、大正12年(1923)の乱歩の処女作「二銭銅貨」に因んだ名物菓子のひとつ。酒造が盛んな名張らしく、乱歩の評論集「幻影城」に因んだ地酒「幻影城」もあり、乱歩ゆかりの料理や菓子の味、地酒の利き酒をしながら名張の町を歩くのも一興では…。

二銭銅貨せんべい(山本末寿堂)

(写真は 二銭銅貨せんべい(山本松寿堂))


 
初瀬街道  放送 8月5日(火)
 名張は江戸時代には大坂や奈良から伊勢へと通じる初瀬街道の宿場町として栄えた。初瀬街道は現在の国道165号や近鉄大阪線に沿ったルートである。

 古くは天智天皇の死後、壬申の乱を起こした大海人皇子(乱後に即位して天武天皇)が、近江へ向かうため吉野から名張へ入ったルートであり、天皇に代わって伊勢神宮に仕える未婚の内親王または女王の斎王が、飛鳥や奈良の都から伊勢へと赴いた道でもある。江戸時代に爆発的な伊勢参りのブームとなった「おかげ参り」の折には、旅人たちが列をなして伊勢へ向かった街道でもあった。

初瀬街道

(写真は 初瀬街道)

北村酒造


 名張市内の初瀬街道沿いには、重厚な屋根や格子戸などが残る古い町家の町並みが続いており、当時の屋号をそのまま使って今も商売をしている店も多い。名張川に架かる新町橋は、初瀬街道の名張への西の入り口で、かつて橋詰めに名張川を上下する川舟の運航の監視や、街道を往来する旅人の取り調べを行う関所が設けられていた。

 名張市内の初瀬街道筋には店主のコレクションや伝統の匠の技、その手仕事などを、仕事場の一角を開放して観光客らに公開している「まちかど博物館」が何軒もある。入館には予約が必要な博物館もあり要注意。

(写真は 北村酒造)


 新町橋のたもとにある幕末の天保8年(1837)創業の老舗・北村酒造の「旭金時地酒博物館」もそのひとつ。酒造り道具の展示や酒造工程のスライドなどで酒造りが学べる。地ビールも製造しており、館長の説明を聞きながら地酒や地ビールを味わうこともできる。

 江戸時代末期に町年寄を務めていたと言う角田酒店のまちかど博物館「はなびし庵」には、明治時代の観光絵はがきや大名火消し装束、角田家の家宝が展示されている。また「歴史影絵劇場(席料400円)」では、街道を行き交う旅人たちの様子を再現した「初瀬街道とおりゃんせ」や「乱歩誕生」「名張川・早春から初夏」など6つの出し物が、館長の角田勝さんと夫人の久子さんらのユーモアたっぷりに語りに合わせて上演される。

角田酒店 はなびし庵

(写真は 角田酒店 はなびし庵)


 
古代へのいざない  放送 8月6日(水)
 名張市北東部、近鉄美旗駅周辺の美旗古墳群には、馬塚(前方後円墳)、女良(じょろう)塚(前方後円墳)、殿塚(前方後円墳)、毘沙門塚(前方後円墳)、貴人塚(前方後円墳)、小塚(方墳)、赤井塚(円墳)の大小7基の古墳が現存している。

 このほかにも多くの方墳、円墳があったが、いずれも消滅して現在はその姿を見ることができない。これらの古墳はこの地を支配した有力者が4-6世紀に築造したと考えられ、前方後円墳は築造時期によって前方部の形が柄鏡型、帆立貝型、撥(ばち)型などの特徴を持っている。
家形埴輪(女良塚古墳出土・美旗市民センター展示)

(写真は 家形埴輪(女良塚古墳出土・
美旗市民センター展示))

夏見廃寺跡


 美旗駅のすぐそばにある馬塚古墳は全長142m、後円部の直径98m、前方部の幅100mの前方後円墳で、美旗古墳群で最も大きな古墳。周囲には幅7mから25mの周濠が残っており、古墳の墳丘部の上にあがって周囲が見渡せるのが、見学者から喜ばれている。

 全長100mの女良塚古墳は周囲に濠跡がくっきり残っており、今は水田として耕作されている。赤井塚古墳は直径22mの円墳で、伊賀地方では最大の11.4mの横穴式石室がある。美旗市民センターの歴史資料室には女良塚古墳から出土した家形埴輪が展示されている。

(写真は 夏見廃寺跡)


 名張市中央部にある夏見廃寺跡は7世紀末から8世紀前半に建立され、10世紀末ごろには消失した寺院跡。伊勢神宮の最初の斎王になった天武天皇の皇女・大来皇女(おおくのみこ)が、天皇の菩提を弔うために建てた昌福寺が夏見廃寺と考えれている。廃寺跡には金堂跡、塔跡、講堂跡が礎石などを配して復元されている。

 廃寺跡のすぐそばの夏見廃寺展示館には、朱塗りで膨らみのあるエンタシスの柱や緑青色の連子窓を持った実物大の金堂の一部が復元されている。復元金堂には金堂跡から出土した各種のせん仏(せんぶつ)を元に金色のせん仏壁を復元している。せん仏は仏像を半肉彫りにした型に粘土を詰めて取り出した粘土板を焼き上げ、表面に金箔を貼ったものである。

復元せん仏壁

(写真は 復元せん仏壁)


 
弥勒寺  放送 8月7日(木)
 名張市北部の西田原の田園地帯にある弥勒寺は、西国薬師霊場第36番札所で、昭和54年(1979)改築の本堂に本尊・薬師如来座像が祀られている。

 弥勒寺は奈良時代の天平8年(736)円了上人が建立、創建当時は弥勒菩薩像を本尊として祀っていたと伝えられ、それが寺名の由来となっている。後に良弁上人が大伽藍を建立し、弥勒寺に薬師如来像、一言寺に十一面観音菩薩像、言文寺に聖観音菩薩像、行者堂に役行者像を安置したと言われ、当時は七堂伽藍を擁する大寺院であった。

本尊薬師如来坐像

(写真は 本尊薬師如来坐像)

聖観音立像


 弥勒寺の諸仏像は毛原廃寺から移されたとする説もあるが、弥勒寺付近に残っている伽藍堂、横田、寺屋敷などの地名が、広大な寺域に大伽藍が建ち並んでいた大寺院であったことを裏付ける証とされている。

 現在の本尊・木造薬師如来座像は像高143cmで平安時代後期の作。木造弥勒菩薩座像は像高127cmで平安時代後期か鎌倉時代初期の作。木造十一面観音菩薩立像(国・重文)は像高174cmで平安時代後期の作で、豊かな面立ちで、右手は下に伸ばし施無畏の印を結び、左手には蓮花の水瓶を持った流麗な姿の観音様。

(写真は 聖観音立像)


 木造聖観世音菩薩像(国・重文)は像高180cmで平安時代後期の作で、頭部は髪をまとめた宝髻(ほうけい)で、平安寺時代後期の作らしい円満な表情の観音様。木造役行者像は等身大の像で、鎌倉時代又は室町時代の作と推定されている。眼光鋭く、歯をむき出しにして大きく開いた口など迫力ある表情の像だが、破損が著しいのが惜しまれている。

 このほか同寺には、広目天像、多聞天像、不動明王像、倶利迦羅龍王像などが祀られており、これらの多くの仏様は、時代を経た今も参拝する人たちを温かく見守り続けているだ。

役行者倚像

(写真は 役行者倚像)


 
青蓮寺湖の夏  放送 8月8日(金)

 近鉄名張駅から車で南へ約10分、青々とした湖面と周囲の山の緑の色彩が織りなす青蓮寺湖は、名張川の支流の青蓮寺川と折戸(おりと)川の合流点に昭和45年(1970)建設されたダムによってできた人工湖。

 湖畔ではバードウォッチングやフィッシングなどのレジャーが楽しめ、週末には家族連れらでにぎわう。青蓮寺湖からさらに青蓮寺川を遡ると、切り立った柱状節理の岩壁が連なる約8kmの香落渓(こおちだに)の渓谷美が続き、自然の造形美の中に春はヤマブキやツツジ、秋は全山の紅葉が楽しめる。

青蓮寺湖

(写真は 青蓮寺湖)

青蓮寺湖観光村


 7月20日から10月末までは、青蓮寺湖観光村でブドウ狩りが楽しめる。約12haのブドウ園には、デラウェア、スチューベン、マスカット、巨峰、紅富士のブドウ棚があり、7月から9月上旬まではデラウェア、その後はスチューベン、マスカット、巨峰、紅富士が食べごろを迎える。入園料はデラウェア、スチューベン、マスカットが1200円、巨峰、紅富士が1700円。

 新鮮で完熟したおいしいブドウの食べ放題を楽しんだ後は、湖畔にある青蓮寺レークホテルの露天風呂(入浴料850円)で、湖面を眺めながら疲れを癒すのもよい。

(写真は 青蓮寺湖観光村)


 「青蓮寺」と言う名は、青蓮寺観光村近くの「多宝山地蔵院青蓮寺」に由来する。この寺は約1200年前に弘法大師・空海が室生寺へ行った帰りにこの地を通り、一宇を建立して多宝山地蔵院蓮徳寺と称して地蔵菩薩不動明王像を安置したのが起源とされる。

 ある日、境内の池に青色の蓮の花が咲き、仏門繁栄の兆しと大騒ぎになり、庶民の地蔵信仰が一層高まった。この奇瑞を機に蓮徳寺を青蓮寺と改め多宝山地蔵院青蓮寺と呼ばれるようになった。その後、村名も青蓮寺村に改められ、村はますます繁栄したと伝えられている。

地蔵院青蓮

(写真は 地蔵院青蓮寺)


◇あ    し◇
江戸川乱歩生誕地近鉄大阪線名張駅下車徒歩10分。 

清風亭近鉄大阪線名張駅下車徒歩10分。 

山本松寿堂近鉄大阪線名張駅下車徒歩8分。 

北村酒造近鉄大阪線名張駅下車徒歩12分。 

はなびし庵(すみた酒店)近鉄大阪線名張駅下車徒歩8分。 

美旗古墳群近鉄大阪線美旗駅下車徒歩2分(最近の古墳)
-1時間(最遠の古墳)。 
美旗市民センター近鉄大阪線美旗駅下車徒歩15分。 

夏見廃寺跡、夏見廃寺展示館近鉄大阪線名張駅からバスで夏見下車徒歩7分。 

弥勒寺近鉄大阪線桔梗が丘駅からバスで田原下車徒歩7分。 

青蓮寺湖近鉄大阪線名張駅からバスで青蓮寺湖前下車。 

青蓮寺湖観光村、地蔵院青蓮寺近鉄大阪線名張駅からバスで百合が丘下車徒歩2分。 

青蓮寺レークホテル近鉄大阪線名張駅からバスで青蓮寺湖前下車徒歩15分。 
近鉄大阪線名張駅からホテル送迎バスあり。

◇問い合わせ先◇
名張市観光協会0595-63-9148 

清風亭0595-63-0050 

山本松寿堂0595-63-0205 

北村酒造0595-63-0010 

はなびし庵(すみた酒店) 0595-63-0032 

美旗市民センター0595-65-3007 

夏見廃寺展示館0595-64-9156 

弥勒寺0595-65-3563 

青蓮寺湖ぶどう組合0595-63-7000 

青蓮寺レークホテル0595-63-1275 

地蔵院青蓮寺0595-63-2191 


◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会