月〜金曜日 18時54分〜19時00分

番組が「第25回ATPテレビグランプリ2008 長寿番組賞」
を受賞しました。


大野市 

 福井県の東部、岐阜県と境を接する大野市は、周囲を1000m級の山々に囲まれた盆地に広がる越前大野城の城下町として栄えた。平成17年(2005)和泉村と合併して広大な面積を有する市となったが、今も「越前の小京都」とも言われ、落ち着いた城下町の風情が残っている。


城下町の佇まい  放送 11月10日(月)
 大野市のシンボルとも言える越前大野城は、織田信長に仕えた武将・金森長近が標高249mの亀山に天正3年(1575)から4年がかりで築いた。城の東麓には碁盤の目状の城下町が広がり、その佇まいから「越前の小京都」と言われた。400年以上たった今もその佇まいが町のいたる所に残っている。

 築城当時の越前大野城は大天守閣、小天守閣、櫓を配し、麓には二の丸、三の丸があり、石垣は野面積、二重の堀が城を守っていた。明治維新後の廃藩で城は取り壊されたが、昭和43年(1968)篤志家の寄付で現在の天守閣が再建され、天守閣内部は資料館として藩主らの遺品などが展示されている。

越前大野城

(写真は 越前大野城)

武家屋敷旧内山家


 城下の武家屋敷旧内山家は、幕末に破綻状態だった大野藩の財政を再建した家老・内山七郎右衛門良休(しちろううえもんりょうきゅう)と弟の隆佐良隆(りゅうすけよしたか)の偉業をしのぶため、内山家の屋敷を解体、復元して一般公開している。

 大野藩は天保年間(1830?1844)に年間収入の9倍もの借金があり、家臣への俸禄も滞りがちだった。当時の藩主・土井利忠が藩財政建て直しの令を出し、藩政の旧弊を廃して能力主義に徹した人材を登用し、内山兄弟を抜擢して藩政改革、殖産興業、人材育成を図った。

(写真は 武家屋敷旧内山家)


 七郎右衛門は大野の産物を全国に売り出すため、藩直営の商店「大野屋」を大坂、函館、横浜など全国各地に設けて特産品販売を始めた。また藩内の銅山経営の刷新を図り、全国有数の銅山に発展させて財源の確保に務めた。隆佐は大野屋の商品を各地へ運ぶ様式帆船「大野丸」を建造し、蝦夷地との交易も図った。

 大野藩政を救った「大野屋」の開拓精神は現代になって「平成大野屋」として甦っている。平成大野屋は大野市民が出資して設立した会社で、大野市の特産品の販売や観光案内をしている。紙飛行機や動くおもちゃ作りの体験コーナー、コンサートや講演会、展示会などが開ける多目的ホールも備えている多角経営の会社。

平成大野屋

(写真は 平成大野屋)


清水の湧く町  放送 11月11日(火)
 大野市はおいしい湧き水に恵まれており、市街地を歩くといたる所で清水(しょうず)と呼ばれる湧き水地に出会う。

 福井県は直接飲める湧き水を「ふくいのおいしい水」として認定している。大野市には市街地の御清水(おしょうず)、石灯籠会館清水、七間清水、本願清水、篠座神社の御霊泉、水舟清水の6カ所の湧き水のほか、和泉地区の伊月清水が「ふくいのおいしい水」に認定されている。このほかにもJR越前大野駅などあちこちに清水が湧き出ており、越前の小京都・大野に湧き水がすがすがしさを醸し出している。

御清水(おしょうず)

(写真は 御清水(おしょうず))

イトヨの里


 越前大野城の天守閣がそびえる亀山の東麓の湧き水帯にある御清水は、環境省の名水百選に選ばれている。かつて城主の御用水として使われていたことから「殿様清水」とも呼ばれている。御清水は湧き水が流れ出る上流から飲料水、果物などを冷やす所、野菜などを洗う所などと定めて使われている。

 七間清水は七間朝市が開かれるところにあり、飲み水として使われ、観光客の無料休憩所になっている石灯籠会館の清水は、観光客が飲めるようになっている。本願清水はきれいなを湧き水好む魚「イトヨ」の生息地として国の天然記念物に指定されている。

(写真は イトヨの里)


 イトヨは体長5cmほどの小魚で、水温20度以下のきれいな水に棲息する。海で住み、産卵のため川に遡る遡河型と、一生を淡水で棲息する淡水型(陸封型)があり、大野のイトヨは淡水型。

 本願清水に隣接している「イトヨの里」には、飼育されているイトヨを水槽の観察窓から観察できるほか、イトヨの生態や水の環境などを映像で学んだり、大野市の地下水の様子などがわかる航空写真が展示されている。
 銘酒は名水から生まれる。酒どころの灘五郷、京都・伏見などは水に恵まれて発展した。明治34年(1901)創業の南部酒造場は、恵まれた湧き水を利用して銘酒「花垣」を生み、日本酒愛好家に提供している。

南部酒造場

(写真は 南部酒造場)


七間朝市  放送 11月12日(水)
 戦国時代の武将・金森長近が天正年間に越前大野城を築き、碁盤の目状に道路が走る城下町を作った時に七間通りが誕生した。現代も大野市を代表するメインストリートで、石畳の通りには古い看板を掲げた商店が立ち並ぶ風情のある通り。

 この七間通りの「七間朝市」は藩政時代から続く朝市。近郷農家のおばちゃんたちが、丹精込めて育てた農産物や加工品などを路面に直接並べて販売しており、地元市民のほか観光客らも加わりぎわっている。


七間朝市

(写真は 七間朝市)

いも車


 七間朝市は春分の日から雪が降り始める11月中旬ごろまの朝7時から11時ごろまで毎日開かれる。大根から白菜、特産のサトイモなどありとあらゆる農産物、花、山野草、かき餅、竹細工品、和装小物、和装アクセサリーなど、多種多様な品が道端に並べられている。

 この朝市は新鮮な野菜などが売り物であるのは当然ながら、商品を並べているおばちゃんたちと、大野弁丸出しの屈託のない会話がはずむのが特徴とも言える。買い求めた食材の調理方法などの情報交換もこの場で交わされる。

(写真は いも車)


 秋のこの季節、朝市で目を引くのが掘りたてのサトイモ。大野市上庄地区の豊かな自然に育まれ、肉質が締まり歯ごたえのあるサトイモが並んでいる。土がついたままのサトイモもあれば、頭付サトイモ、洗って皮をむいたサトイモなど、それぞれの好みに合わせて買い求められる。

 朝市のおばちゃんたちは「サトイモはあっさりとした味付けの煮っころがしが一番」と勧めており、粘りとほくほく感の煮っころがしで自然の恵みが味わえる。ほかにサトイモコロッケ、サトイモ赤飯、サトイモ田楽、のっぺい汁など、いろいろな食べ方があるようだ。

里芋のころ煮

(写真は 里芋のころ煮)


奥越の小京都  放送 11月13日(木)
 1000m級の山々に囲まれた大野市は、奥越前と呼ばれる自然豊かな地域。戦国時代に金森長近が築いた越前大野城の東麓には、築城にあわせて町作りが進められ、碁盤の目状の城下町が広がっている。この大野市の市街地には400年以上も経た今も古い町並みが残り、そのたたずまいから「北陸の小京都」と呼ばれている。

 碁盤の目状の城下町には南北に本町通り、寺町通り、その間に二番通りから五番通りがあり、東西には六間通り、七間通り、八間通りのほか石灯籠通り、かえで通り、こぶし通りなどが通っている。

寺町通り

(写真は 寺町通り)

七間通り


 城下町だった当時の東端にあるのが寺町通りで、この通りは戦などに備えて城下町東側の防護壁の役目を果たしていた。通りの名が示すように両側に16の寺が軒を連ねている。通りに面して築地塀が連なり、寺町特有の雰囲気を醸し出している。

 16ヵ寺はそれぞれ9宗派の寺から成っており、境内の庭園、四季折々の花、本堂など建築物などにそれぞれ特色のある寺観を備えており誰でも参詣できる。16ヵ寺の御朱印が収集できる御朱印帳が観光協会で売られている。

(写真は 七間通り)


 七間朝市が行われる七間通りは東西に走る通りのひとつで、薬屋、そば屋、菓子屋など古い看板を掲げる商家が立ち並んでおり、城下町の風情を今に伝えている。

 昭和3年(1928)創業の山元醤油醸造場は、厳選された原料と地下から湧き出る名水を使い、80年前と変わらぬ木桶でじっくりと熟成させた醤油や味噌を生産している。丹精込めて作られた醤油や味噌は、地元市民や大野を訪れる人たちから喜ばれており、この味噌を初めて使った人の中には「味噌汁がこんなにおいしかったのか」と驚いている。

山元醤油醸造場

(写真は 山元醤油醸造場)


越美北線終着駅  放送 11月14日(金)
 JR越美北線はJR北陸本線の越前花堂駅から大野市の九頭竜湖駅に至る52.5kmの鉄道。越美北線の「越」は越前、「美」は美濃を表し、越前と美濃、すなわち日本海側と太平洋側を結ぶのが目的で計画された鉄道だった。

 だが、越美北線は九頭竜湖駅まで、越美南線は高山線美濃太田駅から北濃駅まで開通したが、南北の線路は結局結ばれなかった。越美南線は現在、第三セクターの長良川鉄道に移管されて運行しており、越美北線はJRに残され、大野市への唯一の鉄道として細々と運営されている。


JR九頭竜湖駅

(写真は JR九頭竜湖駅)

ティラノサウルス科の歯(複製・和泉郷土資料館)


 越美北線の沿線には戦国大名の朝倉氏の遺跡や曹洞宗大本山・永平寺、九頭竜湖などの観光地があるが、越美北線の北を走る私鉄の京福電鉄と競合しているほか、マイカーの普及などで苦しい営業が続いている。

 越美北線の終着駅・九頭竜湖駅からほど近い所にある和泉郷土資料館は、化石の宝庫と言われる和泉地区や近隣の市町村で発見された恐竜や鳥、爬虫類、貝類、植物などの化石や鉱物の標本などを展示している。関西でも丹波市で恐竜の化石が発見されるなど、最近、恐竜への関心が高まり、恐竜ファンにとっては見逃せない資料館と言える。

(写真は ティラノサウルス科の歯
(複製・和泉郷土資料館))


 館内には平成8年(1996)に発見された世界最古級の恐竜・ティラノサウルス科の歯の化石や日本最古の鳥の足跡、世界で唯一発見されたトカゲの化石のほか、アンモナイトやウミユリの化石が展示されている。アンモナイトやウミユリの化石が発見されたことは、かつて大野の地が海中であったことを示している。

 和泉郷土資料館の近くには源義平の悲恋伝説の「青葉の笛」など、いろいろな笛を集めた笛資料館や江戸時代初期の民家を保存し、屋内に当時の生活用具を展示した穴馬民俗館があり、約20億年前から1億4000万年前のジュラ紀に棲息した恐竜時代の太古から現代までの大野市和泉地区の歴史が学習できる。

アンモナイト(和泉郷土資料館

(写真は アンモナイト(和泉郷土資料館))


◇あ    し◇
越前大野城JR越美北線越前大野駅下車徒歩15分。 

武家屋敷旧内山家、平成大野屋JR越美北線越前大野駅下車徒歩10分。 

御清水JR越美北線越前大野駅下車徒歩15分。 

本願清水・イトヨの里JR越美北線越前大野駅下車徒歩15分。 

南部酒造場JR越美北線越前大野駅下車徒歩5分。 

七間朝市JR越美北線越前大野駅下車徒歩5分。 

寺町通りJR越美北線越前大野駅下車徒歩3分。 

山元醤油醸造場JR越美北線越前大野駅下車徒歩10分。 

和泉郷土資料館JR越美北線九頭竜湖駅下車すぐ。 


◇問い合わせ先◇

大野市観光振興課0779-66-1111 

大野市歴史博物館0799-65-5520 

武家屋敷旧内山家0779-65-6122 

平成大野屋0779-69-9200 

イトヨの里0779-65-5104 

南部酒造場0779-65-8900 

山元醤油醸造場0779-66-2106 

和泉郷土資料館0779-78-2845 

JR西日本お客様センター0570-00-2486 


◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

    あなたも「関西の歴史や文化を楽しみながら探求する」歴史街道倶楽部に参加しませんか?
    歴史街道倶楽部では、関西各地の様々な情報のご提供や、ウォーキング、歴史講演会など楽しいイベントを企画しています。
   倶楽部入会の資料をご希望の方は、
 ハガキにあなたのご住所、お名前を明記の上、
          郵便番号 530−6691
          大阪市北区中之島センタービル内郵便局私書箱19号
                  「 A係 」
へお送り下さい。
   歴史街道倶楽部の概要を解説したパンフレットと申込み用紙をご送付いたします。
       FAXでも受け付けております。FAX番号:06−6448−8698   

歴史街道推進協議会