月〜金曜日 18時54分〜19時00分

番組が「第25回ATPテレビグランプリ2008 長寿番組賞」
を受賞しました。


大阪市・中之島 

 大阪市の中心、中之島は堂島川と土佐堀川に挟まれた東西3kmの細長い島。江戸時代には全国諸藩の蔵屋敷が立ち並び「天下の台所」として日本経済の中心地だった。明治時代以降の中之島とその周辺は、金融、証券、商社などの会社のビルが立ち並ぶビジネス街となった。


天下の台所  放送 11月17日(月)
 戦国時代の天下を平定した豊臣秀吉が石山本願寺跡に大坂城を築城し、城下町を整備したことが商都・大坂への繁栄の始まりとなった。江戸時代に入って中之島に諸大名の蔵屋敷が立ち並び、経済の中心地として栄え、大坂は「天下の台所」と呼ばれ、日本経済の中心地への基礎を築いた。

 水運の良さから諸藩は国元の物産を大坂の蔵屋敷へ送って売りさばいた。こうした物産を売りさばくために中之島周辺には、大坂の三大市場と言われた堂島米市場、天満の青物市場、雑喉場魚市場が開かれて活気を呈していた。


讃岐国高松藩蔵屋敷跡

(写真は 讃岐国高松藩蔵屋敷跡)

堂島米市場跡記念碑


 蔵屋敷の名残として有名なのが「中の島蛸(たこ)の松」。田蓑橋と玉江橋にはさまれた久留米藩と広島藩の蔵屋敷の境にあった松の枝が四方に長く垂れさがり、蛸が泳ぐ姿に似ていたことから「蛸の松」と呼ばれ、人びとに愛されていた。明治44年(1911)に枯死、90年後の平成12年(2000)にやっと2代目蛸の松が植えられた。

 蔵屋敷の連なる土佐堀川沿岸の路上で行われていた米市場が、享保15年(1730)幕府公認の米市場として中之島の北の堂島に設けられ、ここでの相場が全国の基準となった。現在、その地に「堂島米市場跡」の碑が立っている。

(写真は 堂島米市場跡記念碑)


 ライオン橋で知られる難波橋の南詰の大阪証券取引所前に、大阪経済発展の恩人と言われる五代友厚の銅像が立っている。五代は幕末の天保6年(1835)薩摩国で生まれ、薩摩藩で早くから頭角を現し、明治維新後は官職について大阪造幣局の設立に尽力した。その後、民間に転じて紡績、鉱業、鉄道事業などを手がけた。

 堂島米会所を復興し、大阪証券取引所の前身の大阪株式取引所の設立に尽力したほか、大阪商法会議所(現大阪商工会議所)を設立し、初代会頭に就任している。東京商法会議所を設立した渋沢栄一と並び「東の渋沢、西の五代」と称され、大阪の経済発展に多大な足跡を残した。

五代友厚

(写真は 五代友厚)


水の都大阪  放送 11月18日(火)
 かつて大阪市内には網の目のように川や堀が巡り「水の都」と呼ばれ、これらの川や堀に架かる橋の多いことから「大坂八百八橋」と言われた。数多くの橋の修理には多くの杭が必要なことから「食いだおれ大坂」をもじって「杭だおれ大坂」と皮肉られていた。

 大阪市内を網の目のように結び、物資を運ぶ舟運に貢献していた川や堀は、戦後の瓦礫処理や下水道の普及によって不要となり次々と埋め立てられ、17ほどあった堀川のうち現在残っているのは土佐堀川、東横堀川、道頓堀川だけになった。

八軒家浜

(写真は 八軒家浜)

水港号アクアmini


 大川の天満橋と天神橋の間、京阪電鉄天満橋駅の北側に、京都・伏見と大阪を結ぶ30石船の八軒家船着場があった。八軒家の名は江戸時代に8軒の船宿があったことから八軒家と呼ばれた。平安時代には熊野詣の上皇、天皇、貴族や旅人たちは京都から船で淀川を下ってきて、当時「渡辺の津」と呼ばれたこの地に上陸、ここから陸路を熊野へ向かっており、ここが熊野街道の始まりであった。

 江戸時代には30石船の発着場となってにぎわい、浮世絵絵師の安藤広重や竹原信繁らは八軒家のにぎわいを絵にしている。現在は高層ビルが建つビジネス街となり、京阪電鉄天満橋駅南側のビルの谷間に「八軒家船着場跡」の石碑が立っている。

(写真は 水都号アクアmini)


 現在、大阪市内に残っている川や堀を水上バスで周遊しながら、水の都・大阪や橋の美しさを楽しむことができる。水上バス・アクアライナーの八軒屋浜〜淀屋橋港〜OAP港〜大阪城港〜八軒家浜を周遊コース、水都号アクアminiの大阪城港〜とんぼりリバーウォーク(太左衞門橋船着場)〜湊町リバープレイス(湊町船着場)〜とんぼりリバーウォーク〜大阪城港の大阪城・道頓堀周遊コースが楽しめる。

 2008年10月19日には京阪電鉄天満橋駅から中之島の地下を東西に貫く京阪電鉄中之島線が開通、中之島に「なにわ橋」「大江橋」「渡辺橋」「中之島」の4駅が設けられ、中之島周辺は水上、陸上、地下の交通が発達し、今後も更なるにぎわいが期待されている。

京阪中之島駅

(写真は 京阪中之島駅)


近代国家への礎  放送 11月19日(水)
 明治維新後に「学問のすすめ」を著し、慶応4年(1868)に慶応義塾を開いた福沢諭吉(1834〜1901)は、天保5年(1834)豊前国中津藩(現大分県中津市)の藩士・福沢百助の5番目の子として大坂の中津藩蔵屋敷で生まれた。諭吉が1歳6ヶ月の時に父が急死し、母や兄、姉とともに中津へ帰った。中津藩蔵屋敷のあった堂島川に架かる玉江橋の北東に「福沢諭吉生誕地」の碑が立っている。

 諭吉は中津で儒学を学び、長崎での遊学を終えて江戸へ行く途中の安政2年(1855)大坂蔵屋敷に立ち寄った。兄の勧めで蘭学者で医師の緒方洪庵の適塾に入門して蘭学を学ぶことになった。


福沢諭吉誕生地碑

(写真は 福沢諭吉誕生地碑)

適塾


 諭吉は適塾で頭角を現して塾頭を務めており、適塾で学んだ数年間がその後の諭吉の人生に大きな影響を与えている。江戸時代の封建制度では中津藩士の子と言っても下級武士の子は下級武士で終わった。こうした封建制度の中で苦労した父を思いながら、福翁自伝の中で「封建的な門閥制度は親の敵(かたき)でござる」と言い放っている。

 国民平等、独立自尊を説いた諭吉は、封建制度を批判した「学問のすすめ」を著し、巻頭に「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズ」と書いた。有名なこの一節は「福沢諭吉生誕地」の碑にも刻まれている。

(写真は 適塾)


 適塾(国・重文)は中之島の南のオフィス街・北浜の地にありながら、江戸時代の木造2階建ての町家の姿を現在の留めている。内部には緒方洪庵とその門下生に関する資料、塾生が寝起きした大部屋、ヅーフ辞書(蘭和辞書)などが置かれた部屋を見学することができる。大部屋の中央の柱には刀傷が残っており、血気盛んな塾生の熱意が伝わってくる。

 適塾からは福沢諭吉のほかに長州藩士で近代的な軍隊制度を創設した大村益次郎、福井藩士で幕末の思想家・橋本左内、幕末の幕臣で明治時代初期の政治家・大島圭介、幕末から明治時代初めの医学者・長与専斎ら日本の近代化に尽くした人物を数多く輩出している。

ヅーフ辞書

(写真は ヅーフ辞書)


近代建築の粋  放送 11月20日(木)
 中之島には近代大阪を象徴する名建築が多い。その代表と言えるのが赤レンガのアーチ状の屋根が印象的な大阪市中央公会堂。

 大阪市中央公会堂は大阪の株仲買人・岩本栄之助が、公会堂建設資金として100万円(現在の50億円相当)を申し出た。これを受けて13人を指名して設計コンペが行われ、29歳の新進建築家の岡田信一郎の設計が選ばれ、近代建築の第一人者の辰野金吾の指導で建設が始まり、大正7年(1918)に完成した。以後、大正、昭和時代の激動期に大阪の文化、芸術、社会活動の場として大阪の発展に寄与してきた。


大阪市中央公会堂

(写真は 大阪市中央公会堂)

「天地開闢」(特別室)


 大正時代のネオ・ルネッサンス様式の優美な外観、格調高いデザインの中央公会堂も、長年の歳月を経て老朽化が進み、十分な機能が発揮できなくなった。昭和63年(1988)に保存、再生工事が決まり、平成14年(2002)に建設当時の姿を市民の前に甦らせた。保存、再生工事費約110億円の一部は大阪市民や全国の人たちからの寄付金があてられた。

 リニューアルオープンした中央公会堂の華麗で壮大な空間の大集会室は、講演、イベント、結婚式など様々な催しに活用されている。特別室は創建当時の貴賓室で、日本神話の国造りを描いた天井画、壁絵が壮麗な空間を演出している。

(写真は 「天地開闢」(特別室))


 大阪市中央公会堂の西に建つ大阪府立中之島図書館は、玄関の4本の円柱とドーム型の屋根の建築様式がギリシャ神殿を思わせる。大阪の財閥・住友家の15代当主住友吉左衛門が、建築費、図書購入費を寄付して明治37年(1904)に完成した。大正11年(1922)に両翼部分が増築され現在の姿になり、多くの人びとが知を求めてここに足を運んだ。玄関を入って木製手すりの階段を上がると頭上に見事なドームが現れる。中央ホールの左右の壁には文神像と野神像があり、建設当時の特別閲覧室は記念室となっている。

 中之島には緑青の円屋根が美しい日本銀行大阪支店のほかに、中之島周辺のビジネス街にも数多くの名建築が残っている。

大阪府立中之島図書館

(写真は 大阪府立中之島図書館)


一流ホテルの先駆け  放送 11月21日(金)
 近代大阪の幕開けは明治元年(1868)の大阪の開港から始まり、欧米の文化や技術が流れ込んできた。当時の大阪港は中之島の西端、堂島川と土佐堀川が合流して安治川となる現在の大阪市西区川口にあって、開港に伴って運上所(税関)や外国事務局が設けられた。今は港の面影もないこの地に「大阪開港の地」の碑が立っている。

 この付近には外国人居留地も設けられたほか、長崎で西洋料理店を営業していた人物が、外国人向けの宿泊施設「自由亭」を開港の年の明治元年に開業し、これが大阪で最初のホテルとった。大阪のホテルの先駆けとなった自由亭は、外国からの賓客の多くが宿泊して大繁盛し、このホテルのもてなしの心が以後のホテル業界に引き継がれた。

リーガロイヤルホテル

(写真は リーガロイヤルホテル)

メインラウンジ


 その後、中之島に「大阪ホテル」が生まれた。大阪ホテルは自由亭のホテル精神を踏襲して、格式のあるホテルとして営業を続けていたが、大正時代末に全焼してしまった。この火災によって大阪に格式の高いホテルがなくなり、大阪の政財界から「賓客のための近代的ホテルを大阪に」の要望で、昭和10年(1935)中之島3丁目の朝日新聞社西側に「新大阪ホテル」が誕生した。

 近代設備を誇った新大阪ホテルも戦後、老朽化が進み、昭和40年(1965)に「大阪ロイヤルホテル」が建設され、諸外国の国王や大統領、首相らが宿泊する一流ホテルの役目を果たしてきた。

(写真は メインラウンジ)


 大阪ロイヤルホテルは「ロイヤルホテル」と名称を改め、昭和48年(1973)中之島5丁目に新館が完成し、ホテル内のロビー、客室、レストラン、バーなどが極上のくつろぎの場を提供し、開業以来のおもてなし心を大切にして、名実ともの大阪を代表する一流ホテルの役割を果たしてきた。

 平成2年(1990)にリーガロイヤルホテルと改称、平成7年(1995)に開かれたAPEC(アジア太平洋経済協力閣僚会議)大阪会議のオフィシャルホテルにリーガロイヤルホテルが指名され、外国首脳の宿泊や日本の首相主催の晩餐会や首脳会議の場にもなった。洗練されたホテルマンの心からのもてなしに、外国の会議参加者らは「最高のホテルだった」との賛辞を残して帰国した。

モナークスイー

(写真は モナークスイート)


◇あ    し◇
堂島米市場跡碑地下鉄御堂筋線淀屋橋駅下車徒歩3分。 
京阪電鉄中之島線大江橋駅下車すぐ。
JR東西線北新地駅下車徒歩5分。
大阪証券取引所、五代友厚銅像
地下鉄堺筋線北浜駅下車すぐ。
京阪電鉄本線北浜駅、中之島線なにわ橋駅すぐ。

八軒屋船着場跡地下鉄谷町線天満橋駅下車すぐ。 
京阪電鉄本線天満橋駅下車すぐ。

福沢諭吉生誕地京阪電鉄中之島線中之島駅下車徒歩5分。 
地下鉄四つ橋線肥後橋下車徒歩10分。
JR東西線新福島駅下車徒歩10分。
阪神電鉄福島駅下車徒歩10分。

適塾地下鉄御堂筋線淀屋橋駅下車徒歩5分。 
京阪電鉄本線淀屋橋駅、中之島線大江橋駅下車徒歩5分。
JR東西線北新地駅下車徒歩10分。
大坂市中央公会堂、大阪府立中之島図書館
地下鉄御堂筋線淀屋橋駅下車徒歩5分。
京阪電鉄本線淀屋橋駅、中之島線大江橋駅下車徒歩5分。
JR東西線北新地駅下車徒歩10分。

大阪開港の地JR大阪駅からバスで川口1丁目下車すぐ。 

リーガロイヤルホテル京阪電鉄中之島線中の島駅下車すぐ。 
JR東西線線新福島駅下車徒歩10分。
阪神電鉄福島駅下車徒歩10分。


◇問い合わせ先◇

大阪水上バス06-6342-5511 
京阪電気鉄道会社06-6944-2525 
適塾06-6231-1970 
大阪市中央公会堂06-6208-2002 
大阪府立中之島図書館06-6203-0474 
リーガロイヤルホテル06-6448-1121 

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