月〜金曜日 18時54分〜19時00分

番組が「第25回ATPテレビグランプリ2008 長寿番組賞」
を受賞しました。


滋賀・多賀町、彦根市 

 多賀大社で知られる多賀町は、古事記にも「多賀」の地名が登場する歴史の古い町。多賀三社参りと言われる多賀大社、胡宮神社、大滝神社など古社、古刹が多い。紅葉真っ盛りの多賀町と彦根市の鳥居本宿を訪ねた。


多賀神社(多賀町)  放送 12月1日(月)
 中山道は江戸・日本橋から上野(こうずけ・群馬県)、信濃(長野県)、美濃(岐阜県)を経て近江(滋賀県)の草津宿で東海道と合流して京の三条大橋に至る街道で、その宿場・高宮宿(彦根市高宮町)は「お多賀さん」と呼ばれている多賀大社の門前町としてにぎわってきた。

 高宮宿の真ん中にこの宿場町のシンボルとも言える高さ11mの巨大な石の鳥居がそびえ立ち、そこから南東に延びて多賀大社に通じる道路沿いには土産物店などが軒を連ね、往時の面影を残している。


多賀大社参詣曼荼羅(桃山時代・多賀大社蔵)

(写真は 多賀大社参詣曼荼羅
(桃山時代・多賀大社蔵))

多賀大社


 多賀大社は日本の国生みの神である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の夫婦神が祭神。伊勢神宮の祭神・天照大神の両親であることから「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」と里唄に歌われていた。

 多賀大社は縁結び、長寿の神として古くから信仰が篤く、天皇や貴族、戦国武将らが多賀大社に参拝、祈願した。豊臣秀吉も母・大政所の病気平癒を祈願し、その願いがかなったお礼に米1万石を贈った。大社には秀吉の祈願文が伝わっており、この謝礼を使って奥書院の庭園や太鼓橋が造営された。

(写真は 多賀大社)


 多賀大社の延命信仰の伝説のひとつに、奈良時代に元正天皇の病気平癒祈願の時に、お供えの飯にシデの木の杓子(しゃくし)を添えたところ病気が平癒したと伝えられ、名物の多賀杓子はこの伝説に由来している。

 もうひとつ、東大寺再建の勧進職だった重源上人が、多賀大社に参籠して再建を祈願、満願の時に舞い落ちた柏の葉が虫に食われて莚の字の形に虫食いになっていた。莚の草冠は「十」がふたつ、延はのびると読み「寿命が20年延びる」とのお告げだと信じ、長生きして東大寺を完成させた。上人が背負っていた笈(おい)を置いた石が延命石として境内に残っている。

豊臣秀吉祈願分

(写真は 豊臣秀吉願文)


胡宮神社(多賀町)  放送 12月2日(火)
 多賀町中西部、名神高速道路多賀サービスエリア近くの青龍山(標高333m)は、呼び名の通り龍が横たわるような山容をしている。

 青龍山の北西山麓に建つ胡宮(このみや)神社は古来、多賀大社の別宮として崇敬を集め、平安時代から鎌倉時代にかけてこの地で栄えた敏満寺(びんまんじ)の鎮守社となっていた。胡宮神社の創建年代は明らかではないが、青龍山の山頂近くに大きな岩と祠があり、山全体を御神体とする磐座(いわくら)信仰が胡宮神社の起こりではないかと見られている。
胡宮神社

(写真は 胡宮神社)

大日道


 胡宮神社があるこの地域の地名は敏満寺と呼ばれ、奈良時代に東大寺の荘園があり、敏満寺と言う寺があった。名神高速道路が建設される時に発掘調査が行われ、多賀サービスエリアから胡宮神社にかけてが寺域とわかった。胡宮神社境内に金堂跡があるほか大日堂や観音堂など神仏習合時代の名残の堂宇がある。

 平安時代末期の治承4年(1180)平重衡の南都焼き討ちによって焼失した東大寺再興の勧進職を務めた重源上人が、東大寺完成の謝礼として銅製五輪塔(国・重文)と仏舎利を寄進しており、この五輪塔は胡宮神社に伝わっている。

(写真は 大道堂)


 敏満寺は聖徳太子の創建と伝えられており、湖東三山の西明寺、金剛輪寺、百済寺と並ぶ天台宗の大寺院だったが、戦国時代に浅井長政の兵火で焼失した以降に廃絶した。敏満寺がどのような性格の寺だったのか、中央権力とのつながり、同じように兵火で焼失した多賀大社や胡宮神社、大滝神社が再建されながら、敏満寺がなぜ姿を消したのかなど、不明な点が多い謎の寺とされている。

 胡宮神社は戦国時代に織田信長の兵火で焼失した後、豊臣秀吉が再建したがこの社殿も焼失した。現在の本殿は江戸時代初期の寛永15年(1638)多賀大社大改修の時に徳川3代将軍・家光によって再建された。

磐座

(写真は 磐座)


大滝神社(多賀町)  放送 12月3日(水)

 多賀町を北西に流れる犬上川は、鈴鹿山脈を源流とする北谷川と南谷川が多賀町川相(かわない)で合流した川で、その犬上川の清流のほとりに多賀の水辺の守り神・大滝神社が鎮座している。祭神は京都の貴船神社と同じタカオカミ、クラオカミの二神。

 平安時代初期の大同2年(807)に坂上田村麻呂が創建したと伝えられており、その歴史は古く多賀大社の奥宮、旧大滝村の総鎮守として村人たちの崇敬を集めていた。

犬上川

(写真は 犬上川)

大滝神社


 一の鳥居、二の鳥居をくぐり境内に入ると樹林のなかに桧皮葺き屋根の本殿がある。この本殿は江戸時代初期の寛永年間(1624〜44)に行われた多賀大社大改修の際に、徳川3代将軍・家光によって改築された。

 本殿正面階段の左右の4つの擬宝珠に寛永15年(1638)の銘が刻まれており、胡宮(このみや)神社本殿再建と同じ年に改築されたことが分かる。格子や扉には徳川家の三つ葉葵の紋が細工されており、柱上部の象鼻や蟇股などの細工物にも神社の歴史の古さを感じさせる。

(写真は 大滝神社)


 大滝神社そばを流れる犬上川は奇岩、怪石がひしめき合い、澄んだきれいな水が大小の滝のようになって流れ落ちており、境内から「大蛇の淵」と呼ばれる清流の景観が望める。この犬上川の流れが大滝の名の由来となった。秋の紅葉シーズンは犬上川の渓谷美が一層映える季節である。

 大滝神社の末社・犬上神社は大蛇にかみついて祭神の稲依別王命(いなよりわけおうのみこと)を守った忠犬を祀っており、犬上の地名はこの伝説に由来している。

大蛇の淵

(写真は 大蛇の淵)


河内の風穴(多賀町)  放送 12月4日(木)

 多賀町北東部には鈴鹿山脈の最北端に位置する霊仙(りょうぜん)山がそびえ、その麓には豊かな自然が残っており、米原市醒井へ抜ける手軽な登山コースとしても親しまれている。霊仙山とその南部の鍋尻山の谷間の権現谷は化石が多く見つかることで知られ、谷間には芹川の支流が清らかな流れを見せている。

 霊仙山山麓の石灰岩地帯にある滋賀県指定の天然記念物「河内の風穴」は、総延長6800m以上と言われる鍾乳洞で、その一部の約200mが観光洞窟として一般公開されている。
芹川

(写真は 芹川)

河内の風穴


 この河内の風穴は約55万年前の新生代第4紀更新世中期に生成されたと見られ、その総延長は近畿地方では随一、全国でも4位に相当すると言われている。鍾乳洞の奥の部分にはまだ未確認部分が残っており、今後調査が進めば総延長距離はさらに延びる。

 この巨大な鍾乳洞の入口は高さがわずか1mと小さいが、内部は4層に分かれた構造の小洞が複雑につながっており、そのうちの第1層と第2層の一部が一般公開されている。

(写真は 河内の風穴)


 鍾乳洞内の温度は1年を通じて12-13度と言われ、夏は涼しく冬は暖かい。公開されている洞窟は通路が整備され、上層へははしごも用意されているので、地底の探検気分を味わいながら安心して見学できる。ゴツゴツとした岩肌などの自然の造形美が間近に見られ、洞窟内に多数棲んでいるコウモリにびっくりさせられることもある。

 鍾乳洞特有のツララのような鍾乳石は一般公開部分では見られないが、危険なため公開されていない部分が一般公開されるように整備されれば、見事な鍾乳石を見学することができる。

コウモリ

(写真は コウモリ)


中山道・鳥居本宿(彦根市)  放送 12月5日(金)

 草津宿で東海道と分かれて琵琶湖の東岸を南北に通る中山道の近江での難所と言われたのが、彦根の鳥居本宿と米原の番場宿の間の摺針(すりはり)峠だった。番場宿から坂道を登り、摺針峠に着くと一気に視界が開け、湖東平野とその先に広がる琵琶湖の湖面の眺めは中山道随一の名勝と言われた。

 峠の傍らの琵琶湖が一望できる「望湖堂」と呼ばれた茶屋では、旅人たちは琵琶湖を眺めながら茶をすすり、旅の疲れを癒した。摺針峠の眺めと望湖堂の様子を江戸時代後期の浮世絵絵師・歌川広重が諸国名所百景「磨針(すりはり)峠」として描いている。望湖堂の建物は最近まで残っていたが、平成3年(1991)の火災で焼失した。
諸国名所百景「近江磨針嶺」(歌川広重画・大津市歴史博物館蔵)

(写真は 諸国名所百景「近江磨針嶺」
(歌川広重画・大津市歴史博物館蔵))

赤玉神教丸本舗


 摺針峠を琵琶湖側へ下ると江戸から数えて63番目の中山道の宿場・鳥居本(とりいもと)宿がある。北国街道との分岐点に当たる鳥居本宿は、多賀大社の鳥居がここにあったことからその名がついたと言われる。今も古い商家や民家が残り、軒先に掛けられている看板が往時の宿場町の風情を伝えている。

 鳥居本宿名物の赤玉神教丸、合羽、スイカは「鳥居本宿の三赤」として旅人に知られていた。21世紀の今も商いを続けているのが、江戸時代初期の万治元年(1658)創業の赤玉神教丸本舗。江戸時代中期の宝暦年間(1751〜64)に街道沿いに建てられた店がそのままの姿で残っている。

(写真は 赤玉神教丸本舗)

 赤玉神教丸は多賀大社の神教によって作り始められたとされ、腹痛、食あたり、下痢止めなどの妙薬として知られ、街道を行く旅人たちが競って買い求めた。この店頭のにぎわいが近江名所図会に「鳥居本神教丸店」として描かれている。

 もうひとつの名物だった合羽は、雨の多い木曽路を控えていた鳥居本宿にふさわしい特産品で、最盛期には25軒の製造販売業者があった。和紙にエゴマの油と柿の渋を塗って防水した合羽は、保温、防水性に優れ旅人たちに人気だった。戦後、ビニール製品などの登場で姿を消し、今は軒先の看板がかつての合羽産地の歴史を伝えている。

赤玉神教

(写真は 赤玉神教丸)


◇あ    し◇
多賀大社近江鉄道多賀大社前駅下車徒歩10分。 

高宮宿近江鉄道高宮駅下車すぐ。 

胡宮神社近江鉄道多賀大社前駅下車徒歩15分。 

大滝神社JR東海道線河瀬駅からバスで大滝神社下車すぐ。 
近江鉄道多賀大社前駅からタクシー。

河内の風穴JR東海道線彦根駅または近江鉄道多賀大社前駅からタクシー。 
鳥居本宿、赤玉神教丸本舗
近江鉄道鳥居本駅下車すぐ。

摺針峠近江鉄道フジテック前駅下車徒歩15分。 


◇問い合わせ先◇

多賀町観光協会0749-48-1553 

多賀大社0749-48-1101 

胡宮神社0749-48-0136 

大滝神社0749-49-0004 

河内の風穴0749-48-0552 

赤玉神教丸本舗0749-22-2201 


◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
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  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

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