月〜金曜日 18時54分〜19時00分


宝塚市 

 「幸せをもたらす塚」と信じられていた古墳があったことから「宝の塚」と呼ばれるようになり、これが地名となった。宝塚市は「歌劇と湯の街」として知られているが、周辺の丘陵地帯には行楽地やゴルフ場も多く、阪神間の人たちの憩いの場、癒しの場にもなっている。


清荒神清澄寺  放送 1月5日(月)
 阪急電鉄宝塚線清荒神駅から北へ延びるゆるやかな坂道は、清荒神清澄寺の参道で飲食店や土産物店が軒を連ね、門前町の風情を色濃く残している。その参道でよい香りを漂わせているのは、手焼き煎餅の店・宝玉堂。ここの味噌煎餅は参詣者たちにも人気があり、荒神さん参りの際にはぜひ味わってみたい一品。

 清荒神清澄寺は平安時代初めの寛平8年(896)宇多天皇の勅願所として創建され、三宝荒神と大日如来を祀る神仏習合の古刹で、宇多天皇が「日本第一清荒神」の称号を下賜した。


宝玉堂

(写真は 宝玉堂)

天堂


 境内の天堂には「火の神」「かまどの神」で知られる三宝荒神が祀られ、庶民の信仰を集め地元の人たちは親しみを込めて「荒神さん」と呼んでいる。境内は現世利益を祈願する参詣客が多く、特に毎月27、28日の荒神縁日の日は大勢の参詣者でにぎわう。

 天堂のすぐそばの火箸納所は、厄年の人が三宝荒神にあやかり火箸で厄をつまみ出してもらおうと、前厄の年に授かった火箸を自宅の荒神棚で3年間祀り、厄が明けた年の節分の日にその火箸をここに納める。

(写真は 天堂)


 清荒神清澄寺は創建後、源平の戦いの兵火で焼失、源頼朝が再興したが、織田信長に反旗を翻した荒木村重との戦い再び炎上してしまった。

 現在の主な諸堂は江戸時代末期に再建されたもので、安政年間(1854〜69)に再建された本堂には本尊・大日如来像(国・重文)を中央に左に不動明王像、右に弘法大師像が祀られている。本堂前には十六羅漢のひとり・賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)座像が安置されており、いつのころからかこの像をなでると病気が治ると言う信仰が生まれた。

厄除火箸納所

(写真は 厄除火箸納所)


清荒神・鉄斎美術館  放送 1月6日(火)

 清荒神清澄寺境内に平成20年(2008)11月に開館した「史料館」は、瓦葺き、寄棟造平屋建てで外壁はガラス張り。館内は回廊式になっており、清澄寺本尊の大日如来像と千手観世音菩薩像の写真、原寸大に復元した蓬莱山清澄寺古今之図、寺の歴史や行事のパネルのほか寺宝が展示されている。

 清荒神清澄寺へ参詣して時間が許すならば、訪れてみたいのが幕末から大正時代にかけて活躍した南画家・富岡鉄斎(1836〜1924)の作品を展示している聖光殿「鉄斎美術館」。


蓬莱山清澄寺古今之絵図

(写真は 蓬莱山清澄寺古今之絵図)

史料館


 鉄斎は神職を経て儒者としての姿勢を貫きながら作画活動をした画家で、鉄斎美術館は鉄斎の絵画や書をはじめ、先人の構図や筆法、彩色などを学び取るために模写した粉本、鉄斎が絵付けした器物、手作りの陶器など、晩年の作品約1200点を所蔵し、順次展示している。

 美術館の前庭には鉄斎ゆかりの地の京都の貴船・鞍馬、天竜峡、伊予の名石を配しており、美術鑑賞にふさわしい雰囲気を醸し出している。

(写真は史料館)


 清澄寺第37世光浄和上は87歳の鉄斎と出会い、鉄斎の作品に流れる深い宗教心と高い芸術性に心を打たれ、約50年をかけて鉄斎の研究と作品収集に打ち込んだ。光浄和上の後を継いだ第38世光聰和上が、その作品を広く公開展示するため、昭和50年(1975)に鉄斎美術館を開館した。

 光浄和上の「宝塚に宗教と芸術文化の花を咲かせたい」との願いを実現するため、鉄斎美術館の入館料はすべて宝塚市立中央図書館に寄付され、館内の「聖光文庫」の美術図書などの購入費にあてられている。

「聚沙為塔図」(82歳・鉄斎美術館)

(写真は 「聚沙為塔図」(82歳・鉄斎美術館))


日本園芸のふるさと  放送 1月7日(水)

 宝塚市山本地区は日本三大植木産地のひとつに数えられている。この地が植木の一大生産地になったのは、安土桃山時代にこの地の支配を任されていた山本荘司で園芸家でもあった坂上頼泰が、花木を接木(つぎき)することで早く大きくする接木技術を確立したことによる。

 頼泰は太閤秀吉に仕えていたこともあっって、秀吉はこの功績を称え「木接太夫」の称号を与えた。阪急電鉄宝塚線山本駅前には坂上の功績を称える高さ5.3mの「木接太夫彰徳碑」が立っている。
木接太夫彰徳碑

(写真は 木接太夫彰徳碑)

木接太夫(坂上頼泰)一族の墓(楊林寺)


 坂上一族は坂上田村麻呂の子孫と言われ、一族は平安時代に現在の川西市を本拠地とした源満仲の武家集団だった。頼泰は秀吉の朝鮮出兵にも参戦し、後に隠棲して園芸を趣味として余生を送る中で接木の技術を考案した。山本駅の西の楊林寺は頼泰が建立した寺で、境内に頼泰とその一族の墓がある。

 頼泰亡き後もその子孫が園芸や造園業を引き継いだ。接木の技術は強い台木に良質の枝やいろいろな花の種類の木を接ぐことができ、その技術の発達によって品種改良や珍しい花木を作ることができるようになった。

(写真は 木接太夫(坂上頼泰)一族の墓
(楊林寺))


 この接木による花木の生産は山本地区の農家にも広まり、植木や花木の一大産地になった。特に江戸時代から牡丹の栽培が盛んで、植物学者の牧野富太郎博士もこの地の牡丹園を訪れて牡丹を観賞していた。

 宝塚市内の園芸業の振興を図るため、平成12年(2000)山本駅南西に「あいあいパーク」がオープンした。国内最大級のガーデニング施設で、3000種以上の植物やガーデニング関連商品を展示、販売している。
また園芸教室、園芸相談なども開いており、園芸ファンらが訪れてにぎわっている。

あいあいパーク

(写真は あいあいパーク)


手塚治虫のふるさと  放送 1月8日(木)
 マンガの神様・手塚治虫が5歳から24歳までの多感な青春時代を過ごした宝塚市に、その偉業を後世に伝え、未来を担う青少年に夢と希望を与える施設として、手塚作品の精神「自然への愛と生命の尊さ」をテーマにした宝塚市立手塚治虫記念館が平成6年(1994)オープンした。

 記念館前で「火の鳥」のモニュメントが出迎えてくれる。記念館エントランスの天井のステンドグラスやフロアーには、手塚作品のキャラクターがいっぱい描かれ手塚治虫の世界へ誘ってくれる。

手塚治虫記念館

(写真は 手塚治虫記念館)

中学時代の自画像


 館内には手塚作品の映像やライブラリー、単行本展示棚、アニメーション資料、手塚治虫仕事部屋を再現したコーナーなど、懐かしい手塚治虫の作品に関する展示、資料が所狭しと展示されている。アニメ工房ではコンピューターを使ってアニメ制作が体験でき、自分で描いた作品を動かすことができる。

 手塚は豊中市で生まれ、5歳の時に宝塚市の祖父の家へ引っ越した。宝塚の自然の中で手塚少年は山や川、野原を駆けずり回り、昆虫採集などに夢中になり「自然への愛と生命の尊さ」を強く感じるようになった。

(写真は 中学時代の自画像)


 小さいころから絵を描くことが好きで、すでに小学3年生の時にマンガを描いている。小学5年生の時、昆虫図鑑から「オサムシ」と言うカブトムシがいることを知り、本名の「治」に「虫」をつけた「手塚治虫」をペンネームとし、図画の作品などにこのペンネームを使い始めた

 25歳の時、活動の本拠地を東京に移し、マンガ家が大勢住み「若きマンガ家の梁山泊」とも言われたトキワ荘に引っ越した。ここで少年少女の胸をときめかせた「鉄腕アトム」「火の鳥」「リボンの騎士」「ジャングル大帝」など、数々の作品を世に送り出した。

常設展示室

(写真は 常設展示室)


宝塚温泉  放送 1月9日(金)
 宝塚温泉はJR宝塚駅、阪急電鉄宝塚駅から、武庫川に架かる宝来橋を西に渡った湯本町の武庫川右岸沿いにあり、温泉旅館、ホテルが温泉客を迎えてくれる。

 宝塚温泉の歴史は鎌倉時代に遡る。鎌倉時代の歌人が貞応2年(1223)に宝塚の小林の湯を訪れて詠んだ歌があり、すでにこの時代に宝塚の湯は京の人たちに知られていた。宝塚温泉の北西にある塩尾寺(えんぺいじ)の縁起には、室町時代に新しく発見された湯で、老女が皮膚病を治したとの温泉の薬効記録がある。

宝来橋

(写真は 宝来橋)

宝塚本温泉(写真)


 この新しく発見された温泉が現在の湯本町の泉源で、この湯を利用して明治20年(1887)に湯治場として「宝塚温泉」が開業したのを機に、武庫川右岸には次々と温泉旅館が開業した。

 明治30年(1897)に阪舞鉄道(現JR福知山線)が開通、さらに明治43年(1910)には箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄宝塚線)が開通して、大阪方面からの温泉客が増え、宝塚の町は発展して行った。明治44年(1911)には宝塚温泉の対岸に宝塚新温泉が開湯し、大理石の大浴場を備えた娯楽施設が誕生した。

(写真は 宝塚本温泉(写真))


 宝塚新温泉のハイカラな洋風建築の旅館や娯楽施設が立ち並ぶパラダイスに、宝塚少女歌劇が大正3年(1914)に誕生、温泉客に余興として歌劇や喜歌劇を演じた。これが後に質の高いレビューの宝塚歌劇となった。

 武庫川に架かる宝来橋のたもとの「ホテル若水」は、宝塚温泉の最初の泉源のある場所に建っている老舗旅館。このホテルの最上階の婦人用の露天風呂は、毎週水、土曜日夕方からたくさんのバラを湯に浮かべたバラ風呂で、華やかな温泉を楽しむことができる。

ホテル若水

(写真は ホテル若水)


◇あ    し◇

清荒神清澄寺、鉄斎美術館阪急電鉄宝塚線清荒神駅下車徒歩20分。

楊林寺阪急電鉄宝塚線山本駅下車徒歩7分。 

接木太夫彰徳碑阪急電鉄宝塚線山本駅下車すぐ。 

あいあいパーク阪急電鉄宝塚線山本駅下車徒歩5分。 

手塚治虫記念館JR福知山線宝塚駅、阪急電鉄宝塚線宝塚駅下車徒歩8分。
阪急電鉄今津線宝塚南口駅下車徒歩5分。

宝塚温泉JR福知山線宝塚駅、阪急電鉄宝塚線宝塚駅下車徒歩5分。

 
◇問い合わせ先◇

宝塚市観光文化課0797-77-2012

清荒神清澄寺0797-86-6641

鉄斎美術館0797-84-9600

楊林寺0797-88-3221

あいあいパーク0797-82-3570

手塚治虫記念館0797-81-2970

ホテル若水0797-86-0151


◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

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