月〜金曜日 18時54分〜19時00分


和歌山・那智勝浦町、白浜町 

 「アリの熊野詣」で知れる熊野信仰の熊野三山のひとつ、那智山がある那智勝浦町は、熊野信仰の行者や西国三十三所観音巡礼の参詣者、勝浦温泉を訪れる観光客らでにぎわう。生鮮マグロの水揚げ日本一の勝浦漁港も毎朝、セリで活況を呈する。古くから名湯として知られた白浜温泉の町・白浜町へも足を延ばした。


西国三十三所第1番札所・
青岸渡寺(那智勝浦町)
放送 3月16日(月)
 和歌山県南東部の那智山中腹の青岸渡寺は、西国三十三所観音霊場巡礼の第1番札所。4世紀の仁徳天皇の時代に熊野浦に漂着したインドの僧・裸形(らぎょう)上人が、那智の滝で厳しい修行を重ねた末に観世音菩薩を感得、身の丈8寸(約24.2cm)の金の如意輪観世音菩薩像を安置する草庵を結んだのが青岸渡寺の始まりとされている。

 飛鳥時代に推古天皇の勅願で大和の生仏(しょうぶつ)上人が、現本尊の如意輪観世音菩薩像を刻み、その胎内に裸形上人の観音像を納めたと寺伝は伝えている。
本尊如意輪観世音菩薩(お前立ち)

(写真は 本尊如意輪観世音菩薩(お前立ち))

青岸渡寺


 寺号の青岸渡寺は青い海の果てにある観音浄土を現している。本尊の如意輪観世音菩薩像は秘仏で、直接拝観することはできないが、巡礼者たちはお前立ちの観音様を通じて願いをかなえてもらおうと手を合わせている。

 西国三十三所巡礼が盛んになったのは平安時代中期以後。花山法皇が自ら観音霊場を巡って西国三十三所を定めてから、天皇や皇族、貴族らの霊場巡りが盛んになった。特に青岸渡寺は熊野三山の本地仏を祀る神仏習合の寺として崇敬を集めるとともに、一大修験道場として参詣者が後を絶たなかった。

(写真は 青岸渡寺)


 戦国時代に織田信長の兵火で本堂を焼失したが、天正15年(1587)豊臣秀吉が弟・秀長に命じて再建したのが現在の本堂(国・重文)。

 杉の巨樹におおわれた石畳と石段の大門坂、表参道を登ると本堂前に出る。境内から三重塔を近景に眺める那智の滝は壮大な一幅の絵を思わせる。眼前にさえぎるものがない三重塔からの眺めも、趣の異なった景観を見せてくれる。

 御詠歌は「ふだらくや きしうつなみは みくまのの なちのおやまに ひびくたきつせ」。

大門坂

(写真は 大門坂)


亡者の熊野詣(那智勝浦町) 放送 3月17日(火)
 熊野の山々は古くから修行の場、信仰を集める聖地であった。那智山北西の妙法山にある阿弥陀寺は、大宝3年(703)に渡来した中国・唐の僧・連寂上人がこの地で修行し、妙法法華経を写経して山頂に埋め、立ち木に彫った釈迦像を安置したことに始まるという。

 その後、空海が弘仁6年(815)に妙法山で修行、西方にあると言われる阿弥陀如来の極楽浄土への入口として妙法山の山腹にお堂を建て、阿弥陀如来像を本尊として祀ったため阿弥陀寺と名づけられた。
釈迦如来像

(写真は 釈迦如来像)

本尊阿弥陀如来


 連寂上人がお経を埋めた場所が阿弥陀寺の奥の院・浄土堂のある所で、山の名が妙法蓮華経に由来して妙法山と呼ばれるようになった。

 阿弥陀寺の釣鐘は「一つ鐘」と呼ばれる。「亡者の熊野詣」と言われ、亡くなった人の霊魂は必ず妙法山に参り、この鐘を一つついて死出の旅路につくと言われている。梵鐘には空海の書と伝えれる「南無阿弥陀仏」の文字と「空海」の銘がある。一つ鐘の御詠歌として「空海の 教えの道は 一つ鐘 弥陀の浄土へ 共に南無阿弥」が唱えられる。

(写真は 本尊阿弥陀如来)


 平安時代に法華経の行者だった応照上人が、法華経の一説にある「すべての衆生の罪科を一身にかぶり、火をもって自らの身体を焼き尽くす」と言う薬王の姿に打たれ、苦行を重ね紙の衣を着て火生三昧(かじょうざんまい)の行を実践した火生三昧跡がある。

 中国僧の連寂上人が気に入った妙法山だけに、山頂から熊野灘を望む眺めは素晴らしく、その雄大な景色は昔も今も変わることなく人びとの心をとらえ続けている。

亡者の一つ鐘

(写真は 亡者の一つ鐘)


にほんの里・口色川
(那智勝浦町)
放送 3月18日(水)
 那智勝浦町の北東部の山あいにある色川地区は9つの集落からなる山村で、その中の口色川地区が昨年、森林文化協会の「にほんの里100選」に選ばれた。「にほんの里100選」には全国から4474件の応募があり、景観、生物の多様性、人の営みの優れた地域を都道府県ごとに1-3件選んだ。

 口色川地区は色川地区で最も住民が多い地区で、67世帯が132人が暮らしている。特徴的なのは住民の半数近くが町外、特に他府県からの移住者で占めていることである。

杉本神社

(写真は 杉本神社)

色川茶


 移住者の平均年齢は34歳、口色川地区全体の平均年齢は50歳、高齢化率も36%と低い。高齢化が進む山村過疎地に珍しい現象で、あちこちで子供たちの元気な声が聞こえる活気のある山村集落である。

 色川地区では移住者を受け入れるために様々な努力を重ねている。移住希望者に山村体験や農林業実習をしてもらう宿泊施設のある「籠ふるさと塾」を用意している。アトピー、ぜんそくなどの病気、不登校問題を抱えた子供たちを自然の中で治療するための「家族型山村留学」の態勢も整え、子供たちを迎え入れている。

(写真は 色川茶)


 朝霧が立ち込め、きれいな空気で紫外線が強い色川地区は茶の栽培に適しており、色川茶の産地として知られている。戦後まもない昭和27年(1952)ごろから畑や開墾した山に茶の木を植えて茶畑を増やした。現在、約20haの茶畑が広がり、色川地区の主産業に発展し、移住者たちも茶の生産を担っている。

 色川地域で栽培された無農薬の野菜を使った煮物、色川茶を使った茶粥などもおいしい。そのやさしい味は美しい里の土地と、そこで健やかに暮らす村人たちの心によって育まれてきたのであろう。

茶粥

(写真は 茶粥)


勝浦温泉の楽しみ
(那智勝浦町)
放送 3月19日(木)
 生鮮マグロの水揚げ量日本一の勝浦漁港には、夜が明けないうちからマグロ漁船が帰港、新鮮なマグロを水揚げする。1本100〜200kgのマグロが、多い時には1日200〜300本も並びその眺めは圧巻。

 市場に並べれた生マグロはすぐに尾が切断され、仲買い人は尾の身の断面を見て、マグロの鮮度や脂の乗りなど、マグロの良し悪しを判断してセリ落とす値段を決める。セリ落とされたマグロは京阪神や東京方面へトラックで運ばれ、料亭や料理店、家庭の食膳に並ぶ。

勝浦漁港

(写真は 勝浦漁港)

鮪のステーキ(ホテル浦島)


 勝浦漁港は現在、マグロが水揚げの大部分を占めているが、かつてはサンマ漁が盛んで、サンマの水揚げで活況を呈していた。佐藤春夫の「秋刀魚(さんま)の歌」にあるように、南紀地方ではサンマがよく食卓にのぼり、サンマ寿司は南紀名物。

 那智勝浦町内にはおいしいマグロ料理が食べられる店が多い。刺し身や寿司のほかに「マグロ汁」やマグロの頭をそのまま焼いた「かぶと焼」などがある。町では「まぐろ祭り」を行いマグロの消費拡大をPRしている。

(写真は 鮪のステーキ(ホテル浦島))


 勝浦温泉は古くから熊野詣の湯垢離(ゆごり)場として知られ、白浜と並ぶ南紀を代表する温泉地。温泉旅館のホテル浦島には、熊野灘の荒い風波に侵食されてできた天然の洞窟「忘帰洞」と呼ばれる露天風呂がある。

 「忘帰洞」の名は大正時代初期に紀州徳川家15代当主の徳川頼倫公が「この洞窟の湯に浸かれば家に帰るのを忘れてしまうほどの名湯」と称賛したことによる。熊野灘を眺めながら湯に浸かった後は、地元で水揚げされた新鮮なマグロをふんだんに使ったマグロ料理を味わうのが勝浦温泉での最大の楽しみ。

忘帰洞(ホテル浦島)

(写真は 忘帰洞(ホテル浦島))


南紀の古湯(白浜町) 放送 3月20日(金)

 関西有数のリゾート地・南紀白浜は日本書紀にも登場し、有馬温泉、道後温泉と並んで日本三大古湯の名湯として知られていた。飛鳥時代には斉明天皇や持統、天智、文武天皇、貴族らが行幸、入湯したと伝えられており、白浜温泉発祥の地・湯崎の天皇の行宮跡に「行幸芝の碑」が立っている。

 湯崎の太平洋へ突き出た天然の岩風呂「崎の湯」は、この地域で最も古い温泉で、湯崎七湯と言われた共同浴場のひとつ。入湯料300円で自然の眺めを楽しみながら温泉に入れると観光客に大人気。

千畳敷

(写真は 千畳敷)

三段壁


 千畳敷は温泉の湧く湯崎半島の西の端に位置し、大きな白い岩盤が太平洋を背景に広がっている。その南側には高さ50-60mの断崖が約2kmにわたって続いている三段壁がり、最も高い所は67mもある。約270万年前の地殻変動でできた岩脈が、波の浸食作用によって三段の壁を創り出した自然の造形。

 エレベーターで地下36mの三段壁洞窟へ降り、洞窟内の遊歩道を進むと源平合戦で活躍した熊野水軍の舟隠し場の番所小屋や潮吹き岩、洞窟内で砕け散る波などが見物できる。

(写真は 三段壁)


 白浜温泉には数多くの温泉旅館があるが、そのひとつ千畳敷のすぐ近くの旅館「海舟」には、熊野灘が一望できる混浴露天風呂・浜千鳥の湯があり、海が間近に眺められ、自然との一体感が味わえる湯と言える。温泉で旅の疲れを癒した後は、地元の海の幸、山の幸など新鮮な食材を用いたおいしい料理の夕食に舌鼓を打つ。

 白浜温泉の旅の締めくくりは白浜のシンボル・円月島に沈み行く夕日。特に春と秋の彼岸のころには、円月島の中央にポッカリ開いた穴から夕日が望めるポイントがある。その美しさには誰しも息を呑み感動する。

浜千鳥の湯(海舟)

(写真は 浜千鳥の湯(海舟))


◇あ    し◇
青岸渡寺JR紀勢線紀伊勝浦駅からバスで那智山下車徒歩10分。 

阿弥陀寺JR紀勢線紀伊勝浦駅又は那智山からタクシー。 

にほんの里・口色川JR紀勢線紀伊勝浦駅から町営バスで口色川下車。 

勝浦漁港JR紀勢線紀伊勝浦駅下車徒歩5分。 

ホテル浦島JR紀勢線紀伊勝浦駅下車徒歩5分の勝浦港観光桟橋からホテル浦島の船に乗船。 

千畳敷JR紀勢線白浜駅からバスで千畳口下車すぐ。 

三段壁JR紀勢線白浜駅からバスで三段壁下車すぐ。 

旅館・海舟JR紀勢線白浜駅からバスで草原の湯下車すぐ。 


◇問い合わせ先◇

那智勝浦町産業課観光振興係
0735-52-0555

那智勝浦町観光協会0735-52-5311 

青岸渡寺0735-55-0001 

阿弥陀寺0735-55-0053 

色川茶業組合0735-56-0121 

勝浦漁業協同組合0735-52-0951 

ホテル浦嶋0735-52-1011 

白浜町観光課0739-43-5555 

旅館・海舟0739-82-2220 


◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

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