2016年9月22日(木・祝) 午前9:58 ~ 午前10:53 放送!
伊藤若冲が生まれて今年で300年。
絵師・若冲(1716~1800)は、江戸時代中期、京の台所・錦市場に生まれました。しかし数えで40の年に隠居。以後は絵画制作に没頭し、執念といってもいいほど詳細な描写で生き物を描くことに明け暮れました。番組では、若冲の作品をたどりながら、江戸時代の京都と深いかかわりを持つ若冲の人生についてひもといていきます。
若冲の代表作の一つ全30幅の「動植綵絵」。
対象物の真の姿を描くべく鶏を飼ってひたすら写生した若冲は、様々なテクニックを駆使しました。「老松白鳳図」では、金色を使わないのに金色に輝く羽をもつ鳳凰が描かれていますが、「裏彩色」と呼ばれる若冲のしかけた色のマジックを検証します。
「貝甲図」や「群魚図」をつぶさに検証すると、見えてくるのは18世紀、江戸時代中期の大きな文化の潮流です。漢学や蘭学などから流入していた「ありのままの物の姿をとらえる」という博物学的なグローバルな考え方は、知人との交流を通して若冲の絵にも影響を与えていると思われます。
作品を通じて読み取れるテーマは「命そのものを描きたい」という若冲の願いでした。
若冲の世界的なコレクターでもあるプライス夫妻が来日した際、なんどもやってきた京都の錦市場。そこは巨大な若冲タペストリーが飾られ、若冲グッズが並ぶ“京の台所”です。錦市場が若冲をここまで愛するには理由がありました。 それは、錦で生まれ、錦を愛した若冲のもうひとつの顔でした。 実は近年の研究で、“オタクで奇人”と思われてきた若冲は、なんと敏腕ビジネスマンでもあったことが判明したのです。江戸の錦市場を襲った危機を救うため奔走していた若冲。意外な場所から見つかったその糸口から見えてくるのは、単なる孤独な絵師ではない、交渉術にたけた京都の商売人・若冲の姿でした。以来深い関係を紡ぎ続ける錦市場と若冲の今にも迫ります。
晩年を伏見の石峰寺で迎えた若冲。
今でも彼が石工に彫らせた五百羅漢の石仏が、静かに並びます。石仏に込められた祈りとは何だったのか。
若冲が生まれて300年。私たちはその尽きない才能の前にただ立ち尽くすしかありません。
出演者