日本の歴史を見て行くと、実は大災害の後、日本は大きく国の形を変えてきているのです。秀吉は慶長伏見地震で力を失い、秀吉の死と共に政権は徳川へと移って行きました。安政南海地震、関東地震が連続した後、江戸幕府は滅亡しました。そして関東大震災の混乱の中、日本は第二次世界大戦へと突き進んでいきました。
戦後ではなく「災後」と呼ばれるようになった東日本大震災以降。被災地の復興と同時に、少子高齢化が加速度的に進み、世界情勢も変化しています。首都直下地震、東南海地震はいつ起こってもおかしくないと言われています。
国家のハンドルを握る主権者たる国民は、さらなる大災害の襲来に備えて、どう国の舵取りをすればいいのでしょう。本番組は、巨大災害に直面した日本の行く末について、何らかのヒントを得ようと模索する研究者の視点から歴史を振り返ります。過去の災害をさまざまな手法を駆使してビジュアル化し、先祖たちの息遣いを感じさせながら、現代を生きる皆さんに考えていただく番組です。
2014年11月、神戸市のポートアイランドで、車の衝突事故が発生した。ハイヤーに乗っていたのは、元兵庫県知事、貝原俊民。阪神・淡路大震災を知事として経験し、復興に尽力したその人である。震災から20年のその日を迎える前に、貝原は不慮の死を遂げた。
2015年秋に出版された『災害対策全書別冊』(ひょうご震災記念21世紀研究機構発行)に、貝原の遺稿が掲載された。タイトルは「国難となる巨大災害に備える」。貝原は、少子高齢化が進み、財政赤字に苦しむ状況下で、「大震災による巨大な被害が発生すれば、日本の国力だけで必要な対策が取れるのであろうか。近未来において到来が確実である大震災を考慮するとき、いまの考え方による国家経営が破綻することは明白である」。踏み込んだ表現で吐露した“不安”。編集を担当したひょうご震災記念21世紀研究機構主任研究員の計盛哲夫は、「この原稿は、貝原のたっての希望で、編集作業大詰めで急遽盛り込まれた。政治家として、書かずにおれなかったのでしょう」と、直筆の原稿用紙の中に、貝原の深層心理を見出す。
貝原の遺志を継ぐ研究が始まっている。関西大学社会安全研究センター長の河田惠昭は、東日本大震災復興構想会議で議長を務めた五百旗頭真とともに、ポルトガルの首都・リスボンにいた。
大航海時代の覇権を争っていたポルトガルは、1755年のリスボン大地震と大津波を機に、その力を急速に失った。現地の研究者を前に河田は言った。「今、日本人は経済ばかりを追い求めている。次の大災害に襲われたら、国力を失い、復活できなくなるかもしれない。政治家も国民もそんなこと忘れているし、想像したくもないと思っているが、我々はそのダメージを小さくするために、挑戦しなければならない」
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」平家物語が唄う平氏の盛衰は、「天災」にその原因があったのではないか…総合地球環境学研究所の中塚武は、自然科学の視点から「天災が社会に及ぼす影響」を研究している。ヒノキの年輪に含まれる酸素同位体の量から、過去2000年の降水量を復元した結果、驚くべきことがわかった。10年単位の気候変動の大きなうねりの直後に源平争乱が起こり、平家が滅亡したというのだ。
応仁の乱も、卑弥呼の誕生をもたらした倭国の大乱も、この状況に符合するという。気候の安定期、食料がたくさん取れる状況に“過適応”した社会は、人口を増加させる。ところが気象が不安定になる時期がおとずれると、増えた人口が維持できなくなって、社会が不安定になるという仮説が成り立つ。
「過去に起きた気候変動の教訓を地震災害への備えに生かしていくことができる」と中塚は話す。
我が国で、災害が国難へとつながっていった記憶に新しい事例は、関東大震災から太平洋戦争への流れである。元財務官僚で内閣府事務次官を務めた松元崇は、「関東大震災の復興資金が首都東京に集中する一方で、農村の窮乏が加速した。窮状を聞いて義憤に燃えた青年将校たちによる『昭和維新』の流れを、政府は止められなかった結果、破滅的な戦争に突入した」と分析する。
莫大な復興資金需要が、国家や自治体の財政を歪める現象は、東日本大震災後にも起きている。関西大学の永松伸吾は、東日本大震災前後の自治体財政の推移を分析した。その結果、震災復興の補助金が国から被災自治体にもたらされる一方で、被災していない自治体が交付金を絞られ、財政難に陥る傾向が明らかになった。都市部や産業が集積した場所を襲う首都直下地震や南海トラフ地震では、さらなる歪みが予想され、被災地も被災地外も困窮する「国難状況」が出現するという。
阪神淡路大震災以降、被災者支援は充実した。しかし、その負担は全て国家財政にのしかかる。国債残高は加速度的に膨張を続ける状況下で、次なる国難災害の時にもこの制度が維持できるのか。国費解体待ちで復興が遅れる熊本の光景を見ながら、研究者たちは不安の声を漏らす。
近代日本の二大改革、「明治維新」と「戦後復興」そのきっかけはいずれも、大災害が引き金を引いた国家の激変であった。貝原はその遺稿の中で、「『第三の改革』も大災害によってもたらされるのではないか」と予言する。そして、その国難からの復興にあたって、「今からその議論をしておかなければならない」と語る。
「災害を国難にしない」その課題を突きつけられたのは、他ならぬ、私たち日本国民である。