正倉院宝物を写す 明治維新の立体写真


正倉院宝物を写す 明治維新の立体写真

放送日

2013年11月4日(月)午前9:58〜午前10:53

「正倉院 〜時を超えた世界の宝〜」DVD&BD発売中

番組概要

今年も奈良国立博物館で、10月26日から開催される「第65回 正倉院展」。今回は23年ぶり、2度目の出陳となる漆金薄絵盤(うるしきんばくえのばん)や聖武天皇ご遺愛の平螺鈿背円鏡(へいらでんはいのえんきょう)をはじめ、この時にしか、なかなか見ることのできない宝物の数々を来歴とともにご紹介します。また、今年は明治時代、初めて国が行った正倉院宝物の調査の際に撮影された写真も紹介しますが、実はそれが立体写真で記録されていたものでした。なぜ、この時代に3D画像で撮られたのか、その秘密にも迫ります。

放送内容

1998年から毎年放送をしている「正倉院展特別番組」。今年のテーマは正倉院宝物の写真をめぐる物語ともうひとつは正倉院宝物の復元です。

壬申検査の立体写真 明治5年(1872)夏、文部省が組織した調査団が明治政府として初めて正倉院宝物の調査を行いました。後に油絵画家として名を残す高橋由一等その時のメンバーはそうそうたる顔ぶれでした。何よりも貴重なのは、この時に初めて正倉院宝物の写真撮影が行われたことです。写真撮影を担当したのは写真師・横山松三郎。横山が撮影した写真は東京国立博物館に保管され、国の重要文化財に指定されています。また写真のオリジナルネガは、最近、江戸東京博物館の収蔵品となりました。  実は、この写真。ほとんどの専門家でさえ知られていない事があります。それは東京から畿内への道中はじめ、すべての写真が立体、すなわち3D写真で撮影されていたことです。
3Dテレビは数年前に注目されましたが、正倉院宝物が立体写真で記録されたのは実にそれより140年も前の事です。
多才で日本のレオナルド・ダ・ビンチとさえいわれた横山松三郎ですが、横山の経歴をたどると、将に明治維新の申し子であることもわかってきます。では彼は何故3Dカメラを正倉院に持ち込んだのか?
今、普通のテレビでも3D写真が立体に見えるソフトが開発されている。番組では、このソフトを利用して、一般のテレビで、いにしえの3D正倉院宝物を立体視で鑑賞しながら、正倉院をめぐる明治のハイテク技術に思いを馳せます。

鯨鬚金銀絵如意(げいしゅきんぎんえにょい)の復元
さらにまた、今年の展覧会出陳宝物にはセミクジラのヒゲと呼ばれる、歯で作られた鯨鬚金銀絵如意があります。1980年代より、捕鯨禁止条約によってセミクジラの捕獲は全面禁止されました。実は我が国には天平時代から1300年の歳月にわたりクジラのヒゲを使った工芸品制作の技術が伝えられてきましたが、国際条約によって、21世紀の現在、その技術は絶えようとしています。それは、原材料としてのクジラのヒゲの入手が出来なくなったからにほかありません。番組では、我が国にただ一人残るクジラヒゲの工芸作家・稲田浩さんと天平時代の彩色研究に取り組んでいる仲裕次郎さんにお願いし、この鯨鬚金銀絵如意の復元を行い、その工程を紹介します。完成品だけでなく、番組で紹介する復元工程も未来に伝えるべき貴重な資料となるでしょう。

横山松三郎(1838年〜1884年)
天保9年10月、千島択捉島で生まれる。
安政5年、函館でロシアの初代領事ゴシケウィッチから写真の手ほどきを受ける。
また、ロシアの軍艦で来日したレーマンという画家の案内人兼助手を務めるうちに洋画の技法を習得する。
その後、横浜で下岡蓮杖の門弟となり、より高度の写真技術の修行をする。
慶応3年、上野不忍池の近くに本格的写真場をつくり、「通天楼」と名付け、写真・洋画の製作と実験、門弟の指導にあたる。
明治3年、日光、翌年には旧江戸城とわが国写真史上画期的なドキュメントを撮影する。さらに5年には東海道・近畿・伊勢に撮影旅行をし、その写真は翌年のウィーン万国博覧会に出品される。
松三郎はわが国で初めて立体写真を作製し、写真油絵を考案する。また、油彩画・石版画など洋画の秀作を残すなど、わが国写真・洋画の黎明期に活躍する。

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