藤岡幸夫 ザ・ベスト・シンフォニー!
「田園」&ブラームス第1番
[指揮]藤岡幸夫
[管弦楽]関西フィルハーモニー管弦楽団
日時 |
2010年8月28日(土) 14:00 開演 13:00 開場 |
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会場 | ザ・シンフォニーホール |
料金 | A 5,000円 B 4,000円 C 3,000円 (C売り切れ) |
一般発売日 | 2010年3月28日(日) |
優先予約日 | 2010年3月26日(金) |
プログラム | ベートーヴェン:交響曲 第6番 ヘ長調 「田園」 op.68 ブラームス:交響曲 第1番 ハ短調 op.68 |
お問い合わせ先 | ABCチケットセンター 06-6453-6000 |
交響曲の常識を打ち破る!!ホールを揺らすダイナミズムとハーモニー!
藤岡幸夫 ザ・ベスト・シンフォニー!
「田園」&ブラームス第1番
“サマー・ポップス・コンサート”“クリスマス・ファンタジア”でお馴染みの大人気指揮者藤岡幸夫さんと関西フィルハーモニー管弦楽団の新企画がついに始まります!題して、「ザ・ベスト・シンフォニー!」。いろんなCMや映画で耳にすることが多いクラシックですが、その本流“交響曲(シンフォニー)”を聴かずしてクラシックは語れません。そうです!藤岡さんがこの“交響曲”の扉を開くべく、超有名交響曲に挑みます!
ところで、皆さんは交響曲を“ややこしい”と思っていませんか!?たしかに第1楽章から最終楽章まで、長くて複雑に聴こえる交響曲ですが、そこには、たった5分程度で終わってしまうポップスでは味わえない達成感、心の奥まで深く染み込む感動がいっぱい!そして、誰もが知っているあの曲の別の表情や、今まで気付かなかったメロディーなど、傑作たちの新しい魅力にも出会えるはず。何度も何度も聴くごとに味わい深くなっていく、それが交響曲の素晴らしさなんです!!
さあ、先導役の藤岡さんの熱きメッセージと共に、限りなく広がるシンフォニーの世界に旅立ちませんか!
マエストロ藤岡幸夫さんに直撃インタビュー!
そのダンディな姿と、汗ほとばしる迫真のタクトで、何度も私たちの心を虜にする藤岡幸夫さん。関西フィルとの10年の歳月の結実ともいうべき8月の「ザ・ベスト・シンフォニー!」に向けて、2時間にわたって、大直撃インタビューを敢行しました!
あの濃厚で色彩豊かな関西フィル・サウンドの秘密、そしてクールでいてホットなマエストロ藤岡幸夫について、会報誌シンフォニアでは載せきれなかった内容と合わせてお届けします!
―――小さなころはどんなお子さんでした?
昔から音楽が好きだったんですが、スポーツ少年でもあって、中学生のときは、オーケストラ部と剣道部と両方兼部してたんです。僕の声が大きいのは、剣道のおかげ。あと気合と目力も。それが指揮者にも生かされてます(笑)。
―――指揮者になろうと思われたきっかけは?
ヴェルディの「椿姫」がものすごく好きで、夜寝るときは「椿姫」のハイライトを聴いて、聴こえたままのイタリア語で妹2人と合唱したりしてました。で、全曲聴いてみたくなって、トスカニーニ指揮のモノラルの「椿姫」をお小遣いで買うと、それが今まで聴いたのと全然違ってかっこよかったんです!テンポも全然違って、“なんで?”って母にきくと、“指揮者が違うからよ”って。じゃあ、指揮者になろうと!小学校3年くらいのときでしたね。で、トスカニーニがチェリストで、ちょうど僕の祖父と父もアマチュアでチェロを弾いてたので、僕もチェロとピアノをやって。それから、高2くらいまではクラシック以外は音楽と認めてなかったですね。あ、西城秀樹だけは認めてた(笑)。
それから、ずっと指揮者になりたいと思ってて、大学3年のときに知り合いの紹介で渡邊暁雄先生の面接を受けたんです。いきなりジャーンって不協和音を鳴らして、「一番下の音を当ててみて?二番目の音を歌ってみて?」ってテストされて、次はチェロ、ピアノと弾かされて・・・僕はもう渡邊先生に「君は指揮者になれないからあきらめなさい」って言われると覚悟して行ったんです。最後、ブラームスのラプソディを、「指揮者の夢はこれで終わるんだ」とやけくそで弾いたら、「君は良い指揮者になる。明後日から家へ来なさい」といってくださって!
―――渡邊先生の内弟子時代について?
一週間の半分以上は、朝から先生の家にいってそこで勉強するんです。下でピアノを弾いて先生は上で勉強して、たまに降りてきてはあーだこーだと教えてくださって、で、そのあと先生がどこかにいくときは運転手。そんな生活が5年続きましたね。僕は、こういう内弟子という形で指揮者になった最後の世代かもしれませんね。
その後、日本フィルで指揮研究員というポストを作ってくださったんです。とにかく、練習を見てろと、団員からいろんなものを学べって。今から思うとそれは正しかったと思いますね。団員さんが言ってくれることって、指揮科の先生でも気がつかないことが多いんですよ。そのおかげで、日本デビューは、日本フィルの定期演奏会でさせて頂いて、栄誉なことでしたね。
―――イギリスへの留学は、どういうきっかけだったのでしょうか?
ヴェルディがやりたかったので、本当はイタリアへ行きたかったんです。だからもともとイギリスというのは頭になかった。
でも、日本フィルの指揮研究員のときに、イギリスのサー・チャールズ・グローブスという指揮者がきて、ディーリアスの「人生のミサ」という大曲をやったんですが、僕がアシスタントをしたんです。それで、僕のことをすごく気に入ってくれて、練習が終わった後も、2人で連弾しながらブラームスの勉強をしたりして。そのときに“ヨーロッパで一番いい指揮科がマンチェスターにあるから、お前、そこ受けろ”って言われたんです。定員は一人なんですがその年は該当者がいなくて、王立の音楽アカデミーで入試は終わっていたんですが、特別にテストしてくれて、そしたら幸運にも合格!
すごくいい指揮科で、シンフォニーオケと室内オケとオペラオケと3つのオケを、勉強が追いつかないくらい、実地で振れるんです。ロンドン5大オケや、バーミンガム、ハレ管から首席奏者がオケに入って聴いてくれて!
―――イギリスでの指揮者生活について?
ある日、BBCフィルに、ロジェストヴェンスキーがマーラーの「復活」を振りにきたんです。オケ側は久しぶりの「復活」だったんですが、リハーサル4日のうち2日キャンセルになって、で、僕に「練習つけてみろ」と。その当時のBBCフィルって、若い指揮者にものすごく厳しいオケだったんです。気に入らないと、後ろのブラス奏者がコインをぽとぽとチャリーンって落として、指揮者が血まみれになってるんですよ。もうねえ、若手指揮者にとって、背筋が凍るオーケストラ!
で、その話がきたときは、「復活」を振ったことも無かったし、できれば、やりたくなかった、怖くて(笑)でも、BBCフィルのマネージャーは、僕が学生オケを振っているのを見てて、いつかチャンスを与えたいって思っていたらしいんです。もうあわてて、ウェールズにいらっしゃる尾高先生に、「復活」の振り方を教えてもらって、いよいよその前日になると、一睡もできなかったですね。ロジェストヴィンスキーのかわりに練習するだけなのに!唇も真っ青になって、その朝は死刑台にいく気分でした。指揮者待合室に入るとガクガク足が震えて、ところが、いざ指揮台に立って紹介されると震えが止まったんです。で、振り始めると“これはいける”と。90分経つと休憩に入るんですが、全員が「ブラボー」といってくれたんです!僕の人生の転換期でしたね。
その後、ヨーロッパデビューもBBCフィルの定期演奏会でさせて頂いて、演奏会もうまくいって、副指揮者というポストも頂きました。3年半でしたが、いい経験になりましたね。
―――巨匠サー・ゲオルグ・ショルティとの出会い
これはねえ、最高の体験でしたね。ショルティは、毎年BBCフィルを振りに来るんですが、振りに来る一週間前に、放送用ということで、彼とまったく同じプログラムを振らせてもらえたんです。ブルックナーだったんですが、そのために、ショルティの家にいって勉強して来いっていわれて!
もう夢みたいでしたよ。ロンドンのショルティの家にいくと、スタインウェイのピアノがバーンと2台並んでるんです。で、その部屋で待っていると、ショルティがやってきて、一言目「アイ アム ショルティ」って!かっこよかったですね!
渡辺先生と一緒で、2人で連弾するんですが、スコア勉強するのが楽しくて。説得力があるんですよね。で、ショルティが、一週間前に僕が振った演奏のテープを、自分の勉強用に聴いてくれていて、おかげで、その次の年のブルックナー・フェスティバルに、ショルティの紹介として出演してブルックナーの第3番を振らせてもらえたんです。それから、アシスタントもさせていただいて、すごい自信になりましたね。
―――関西フィルとの出会いについて
1998年に初めて定期演奏会に出演して、チャイコフスキーの「悲愴」が終わった後、正指揮者のお話を頂いたんですが、こんなに蜜な関係になるとは思いませんでした。最初は、決していい演奏会ではなかったんですが、お互い何か光を感じてたみたいで。
このオケと運命だなと感じたのが2001年、シベリウスの第1番をやったときなんです。ハレ管の定期や、ヨーロッパの他のオケでもこの曲を取り上げたんですけど、その中で関西フィルが一番良くて、もう抜群に!指揮台の上で、この人たちと本気で付き合いたいと思いました。
関西フィルって、すごいラテン的、熱いですよね。シベリウスの第1番より前に、「え?」と思ったのが、地方のコンサートでの「天国と地獄」のカンカン。強烈だったんですよ、もう恥ずかしいくらいに!あの曲ってそこまでいくとかっこいいんですよね。本気ですげーなって思いましたね。
そして、とにかく明るい!ヨーロッパのオケもそうなんだけど、練習中もシーンってしなくてザワザワしてるんです。今演奏している曲について話してて、そのザワザワ感が日本的でなくてすごい心地よかったんです。でも本物のラテンのオケは、子供のこととか食事のことでザワザワしてるんですけどね(笑)。
あと、びっくりしたのが、練習中、みんな下向いて何か読んでいる人がいっぱいいたんです。最初は雑誌か何かかなと思って、ふざけんなよとか思ったんですけど、実は、スコアだったんですね。演奏していない奏者もみんな見てて、すごい熱心だなと感じました。
―――これまで関西フィルと、「サマー・ポップス・コンサート」や「クリスマス・ファンタジア」といった、決して純クラシックではないコンサートも多くされてきた藤岡さんですが、今回「ザ・ベスト・シンフォニー!」では、あえてクラシックの名曲に挑まれますね?
就任5年くらいじゃまだ出せない味ってのがありますが、11年のときを経て、何べんも何べんも取り上げてきた曲だからこそ熟成された音になって、ようやく勝負!と思っています。
表向きは定番のクラシックコンサートに見えるけど、普段クラシックを聴かない方に聴いてほしいというのと同時に、コアなクラシック・ファンにも僕らの11 年の軌跡を感じてほしいんです。僕が目指しているのは、聴き終わった後に、「ベートーヴェンってすごいね、ブラームスってすごいね」と曲自身の魅力を感じてもらえるような演奏なんです。逆に、「関西フィル&藤岡って面白いね」とは一番言われたくないんです。
大阪のお客さんは、海外のオケなど、そういういい演奏を聴いてらっしゃいますから、ちょっとやそっとじゃ出来ないでしょうけど、何度もこの「田園」「ブラ1」を聴かれているクラシックのファンに、「やっぱりすごいな」と思わせてはじめて本物だと思っています。
―――藤岡さんが特に思い入れのあるベートーヴェン「田園」への“こだわり”
ベートーヴェンは、ここ数十年、古楽器奏法というのがすごく流行ってますよね。僕もマンチェスター室内オケのときに、ベートーヴェンを古楽器奏法でやっていたんです。古楽器奏法はイギリス発祥なので、彼らはすでに古楽器奏法を追及していて。僕も当時のイギリスのスタイルの洗礼を受けて、対向配置にして楽器を変えて、どんどん突き詰めていったんですが“でも待てよ”と。“だったら古楽器オーケストラをやればいいじゃない”と思ったところで、僕はいったんベートーヴェンを振ることをやめたんです。で、ヨーロッパでは、いっさいベートーヴェンを振らなくなって。それから、ベートーヴェンについていろんなことを勉強し直して、室内楽もピアノ曲も、ベートーヴェンの生涯も。もう、隠し子がいたと知ったときは卒倒したけど。その上で、自分なりのベートーヴェンについて模索しはじめたのが、関西フィルとなんです。今回の「田園」では、昔の大指揮者時代のベートーヴェンでも、古楽器スタイルのベートーヴェンでもない、新鮮だけれども奇を衒わず自分なりのスタイルを、お聴かせできればと思っています。
ベートーヴェンは、常に新しい楽器を求めていましたし、おそらく彼自身の言葉で言うと、“感情を表現した作曲家”なんです。特に交響曲では、ハイドンとかモーツァルトとは違って、自分の感情を強烈に表現してる。ベートーヴェンは耳が聞こえなかったですし、その当時出てきている音よりも、楽譜のウラにある精神性、感情が、どのシンフォニーも大事だと思っています。ビブラートをかけるかけないではなくて、当時彼が持っていた感情を表現できるかが大事。ベートーヴェンの純音楽的なところだけでなく、感情をきちっと表現できなないといけないんです。そういうことで、“アンチ古楽器”くらいの気持ちでやりたいと思っています。
ちなみに、ベートーヴェンは、「田園」を書き終わった後、好きだった女性と大喧嘩するんですが、その理由が“彼女の家の若い男の召使”との仲を疑った嫉妬なんです!そのエピソードもあってベートーヴェンも「人の子」だなって思って好きなんですよね。
―――もう一つの名曲、ブラームス「第1番」について
ブラームスは、感情的というより純音楽的に描いた作曲家なんです。で、他の作曲家と比べて何が違うかっていうと“音響”なんですよ。ベースラインがすごい綺麗で、重心が低い。内声部が充実していて、濃密な“音響の塊”みたいなところがあるんですよ。それはある意味、オーケストラ音楽にとって一大革命なんです。
そういった音響的なところも表現したいですが、この第1番に限っては、ブラームスなりにいろんな想いも込められているんです。第1楽章では、「元気を出せよ、弱き心よ」というコラールが出てきて、第2楽章は、愛の調性といわれるE-durでヴァイオリンのソロとホルンが合わさってすごく当時としては新しい。運命の動機と死の動機が掛け合う第3楽章と、何と言っても第4楽章!ブラームスがすごく好きだったクララ・シューマンの誕生日に贈ったメロディを、そのままホルンのメロディにして、アルプスの山が見えるような雄大なソロにしています。「田園」とはまた違う、スケールの大きいサウンドを感じてほしいですね。
―――ところで、1年のほとんどがホテル暮らしと伺っていますが、普段は、どのような生活を?
いつもは9時に寝て、明け方4時とか5時に起きてスコアを勉強してっていう毎日ですね。小澤さんが明け方に勉強しているって聞いて、真似しようと思ってやってたんだけど、昔は出来なかった。でも、忙しくなって追い詰められてくると変わってきますね、普通に出来るようになりました。
ここ5年、モットーにしていることが二つあって、まずは、時間とか全てに対して、無駄をなくすということ。そうすると、たまに出来る無駄な時間が贅沢なものになりますしね。もう一つは、1人でいるときに疲れたとは絶対につぶやかないこと。心がネガティブになると音楽にもそれが出ちゃうんですよ。
―――最後に、藤岡さんの今後の夢を、そしてメッセージをいただけますか!!
僕は、オケの団員さんと濃密な関係をもって育ってきた指揮者なんです。たとえば、日本フィルの指揮研究員を3年半やって、毎日日本フィルの人といて、ヨーロッパに渡ると今度はBBCフィルの副指揮者を3年半やって、年20回ほどのコンサート以外にも毎日練習も見に行ってましたから、もう本当に団員さんに育てられた指揮者なんですよ。
そのあと、関西フィルと出会って11年間、年間4,50回はコンサートしてますが、これだけ深い付き合いをしてこれたってのは、かけがえのない有難い経験だと思います。時には怒られたこともありますけど、団員の方々から学んだことは財産です。でもまだまだ進化し続けますからね、お互いに成長しあって、いい演奏をしていきたいですね。
日本ていうのは、何でもかんでも東京が中心じゃないですか?それが続く限り、後進国だと思うんです。本気で日本の東京以外のオーケストラと付き合おうとした指揮者って、朝比奈隆先生だと思います。大フィルをあそこまでにされた朝比奈先生を尊敬していますし、先生が亡くなられた2001年と、ちょうど「シベリウス」の演奏が重なって、いつか大阪で朝比奈先生に続く存在になれたらと思っています。
江戸っ子ですけど、母も妻も関西人なので、僕にも関西人の血が流れています!今生きている指揮者で誰よりも関西を愛していますよ。これだけは言いたい!