■原子力発電の是非についての論争が渦巻く中、九州電力の『やらせメール』事件が世間を騒がせています。佐賀県で行われ、インターネットやケーブルテレビで中継された玄海原発運転再開の是非を考える説明会において、九電幹部が、再開を支持するメールを送るよう社内及び関連会社に指示した、という事件です■お、艦長ブログ、ついに原発問題に言及か!?・・・そうではありません。艦長があずかるサブマリン707は、海上ではディーゼルエンジン、潜航中は蓄電式のモーターを推進力とする通常型なのでね。
■僕が変だなあと思うのは、この事件についてほぼすべてのメディアが『やらせメール』という言葉を使っていることです。え?『やらせ』って、こういうことだっけ?■主にテレビを中心とするメディアで使われる『やらせ』とは、『制作者(情報発信の主体)が、自分たちの意図に沿うようなコメントや映像を捏造すること』だと思います。《情報番組で、若者たちの奔放な生態の映像が欲しいので俳優を使って撮影する》とか、《街頭インタビューで、欲しい回答をあらかじめ知り合いにお願いしておく》、とかですね。あくまで、『この番組でこんなことを表現したい!!』という制作者の熱意が誤った方向に行ってしまった果ての不正行為だと思うんですね。元々が業界内の俗語ですから辞書に詳しく載っている言葉ではないのですが、間違っていない筈です■ところが、今回、この催しの主催者は国(経産省)です。テレビやネットは現場の模様を流しただけ。不正を行った電力会社は、当事者ですが番組(催し)の制作者ではありません。今回の行為はたとえば、人気投票で上位になりたいタレントが、友人や親戚縁者を通じて組織票を依頼した・・・みたいなことじゃないでしょうか?いや勿論、原発を取り巻く状況の深刻さを考えれば、行為自体は許されることではありません。しかし■なぜ僕がこんなことを気にしてしまうかというと、ちょっと次元の異なる話ではあるのですが、TV番組を作る現場において、何がやらせで、何がやらせでないか、は実際とても難しい問題だからです■例えばこんなケースはどうでしょう・・・《悪天候のために現地に着くのが1日遅れ、年に一度だけ行われる村の珍しい儀式の模様が撮影出来なかった。そこで村人にお願いして寸分違わず再現してもらい、それを撮影して素晴らしい紀行番組が完成した》・・・これは文字通りの『やらせ』です。しかし絶対に許されないことでしょうか?難しい問題だと思いませんか?「これは儀式を再現してもらった時の映像です」と説明をつけて放映することは出来ますが、視聴者の感動は薄れるでしょう。あるいは、《3日間の予定で離島に大物釣りの撮影に行ったら、初日竿を出すなり超大物が釣れてしまい、その後釣果はサッパリだった。大物が釣れたシーンを番組終盤のクライマックスに持ってくるために、撮影したシーンの順番を入れ替えて編集した》・・・出演者のコメントの使いどころやナレーションに気をつければ、この程度のことは技術的には簡単です■明らかに事実と異なる内容をでっち上げるのは言語道断です。しかし、誰も傷つけることなく、人々の知る権利、社会正義の実現、あるいは優れた娯楽作りに貢献できるとすれば、いったいどこまでの演出が許されるのか?その判断基準は当然、番組のジャンル・立ち位置によっても微妙に変化します。メディア関係者はいつも、揺れ動くグレーゾーンの中で悩みながら仕事を続けているのです(僕は上の2つの事例を無条件に是とするわけではありません、念のため)■えーと、端的に云うとですね、日頃から『やらせ』あるいは『過剰な演出』の問題について厳しい監視の目に晒されているテレビ始め各メディア関係者は、『やらせ』という言葉についてもっと神経質になるべきではないか、と思うのです■しかしまあ、九電が関係者に『やらせ』たわけだから別にいいのか??でもなあ...(艦長)
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- 2011年07月08日金曜日