■1970年代。大阪・ミナミの繁華街の片隅にある島之内教会という古びた教会は、夜ごと若者たちで賑わっていました。音楽、演劇、落語など様々なイベントが開かれ、「島之内小劇場」として関西の若者文化の拠点になっていたのです■東京で評判となったばかりのつかこうへい事務所の3作品連続公演が行われたのもここ。また六代目笑福亭松鶴師の音頭で上方落語の定席「島之内寄席」が開かれ、貴重な鍛錬の場ともなっていました(「島之内寄席」の名前は、開催場所が変わった今も残っています)■さて、ネット上の資料を信じると恐らく1976年、今から36年前のことなのですが、当時大学生だった僕は、この島之内小劇場で、東京ヴォードヴィルショーの『ちんぴらブルース』という芝居を一人で観ています。東京ヴォードヴィルは、つか劇団と共にやがて『新しい笑いの演劇』の旗手となっていくわけですが、その名の通り、東京の軽演劇の流れを汲んだ芸風。大阪の喜劇王・藤山寛美さんがその評判を聞きつけ、なんと1ステージをポケットマネーで買い取って道頓堀・中座の通常公演後に上演させ、大阪の喜劇人を集めて見せたという・・・なんとも豪快で素敵なエピソードも残っています■さて、寛美先生も絶賛したという『ちんぴらブルース』、まさに笑いに特化した演劇で滅茶苦茶面白かったのですが、芝居同様僕が印象深く憶えているのが、開演前に「前座」として漫才コンビが登場したことなんです。演劇に前座・・・今なら観客に携帯電話の電源を忘れず切ってもらうことを主たる目的に、若手役者が漫才っぽい前説をやる程度のことはよくありますが、全く芝居と関係のない芸人さんが出てくるなんて・・・。東京ヴォードヴィルだから辛うじて成立するユニークな趣向でした■で、その漫才コンビが、実は太平サブロー・シローだったのです。当時2人ともまだ19歳か20歳。コンビ結成直後で全く無名。漫才ブームが来るのは数年先の話です。なのに・・・場内は大爆笑!圧倒的に面白かったんです。もちろん細かい話の運びなどは憶えていませんが、間(マ)、テンポ、ネタ、どれをとっても普段テレビで見ている『漫才』とは異質の新しさを備えていました。かつて紳助さんが、『ダウンタウンとサブロー・シローには漫才で勝てない』と云ったという話は有名です■サブロー・シローの漫才コンビとしての活動期間は短く、そして、最近動向をあまり伝えられなくなっていたシローさんの急逝の報が昨日メディアを駆け抜けました。突然のことで驚きました。ずっと昔、レギュラーで仕事をご一緒していたこともあるのです。サブシロを初めて目撃した夜の話、したことがあっただろうか?今テレビで流される記録映像の姿よりずっと痩せていて、甘い眼差しの男前で、物真似の腕は当時から抜群だった"早熟の天才"大平シロー■あらためて確認すると、僕と同い年でした。うーん・・・■合掌
さて!
劇団鹿殺し『青春漂流記』、まもなく大阪初日開幕です!今や東京で大活躍する劇団ですが、今回、ABCホールの舞台に建てられたゴツいセットは、劇団のルーツである神戸の町、元町の高架下。通称『モトコー』。"モトコーには青春時代の思い出がいっぱい詰まってるヨ!"という方も関西には多いのではないでしょうか。来たれ、まだ間に合います。
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- 2012年02月10日金曜日