インタビュー

「悪夢の六号室」壇蜜さんインタビュー

壇蜜

ドラマ初主演について
「『半沢直樹』が終わって、ドラマの世界にいさせていただくことについて、とても恐縮していた部分がありましたので、主演のお話があったときは、正直、自分にできるのかなと、責任重大に感じて、とにかく、スタッフの方々や作家の木下半太さんをがっかりさせたくないというのが、一番最初にありました。しかし、選んでもらった以上は、一時間のドラマをしっかりやりきることが自分の役目だと思って、臨ませていただきました。」
実際に演じてみての感想
「(セットで撮影した)5日間、密室のような2つの部屋を行き来するという、考えただけでも息が詰まってしまいそうな空間だったんですが、息が詰まってしまいそうな感覚で臨めたのが嬉しかったです。それは、今回、部屋の周りにビニールを張って、わざと閉塞感を出して、狭く感じるような演出をしてくださった監督や作家の木下さんのおかげだと思っています。周りの方々が演出してくださることに対して、体や心が素直に反応できたと思います」
撮影現場でのエピソード
「主要メンバーが6人だったので、(撮影の合間に)狭い空間でいろんなお話ができましたし、監督とも距離感が近かったので、なんでも聞けましたね。
また、ドラマに出てくるいちご大福は、スタッフさんの手作りだったのですが、イチゴが突き出ているのがドラマだなと思いました(笑)。いちごが出ていて、見るだけでいちご大福だとわかるのが、視聴者の方への分かりやすさを追求する意味ではグッジョブ!と思いました(笑)。結局、わかりやすさというのがドラマにとっては大事なんだなと思います。自分の衣装が、どこかアンバランスで冴えない感じなのも分かりやすさのためですし、逢沢さんの衣装が変身魔法少女のようにフリフリで、びっくりしたんですが(笑)、彼女の衣装がそうなのも、琴音ちゃんというキャラクターをよりよくするためのものですし。自分の身につけるものに、そういうスタッフさんの意思が反映しているとなると、これが似合う自分が嬉しくもありました」
苦労したシーン
「物語は夜中から夜明けまでの話で、夜のシーンや朝のシーンなど、時間の流れがあったので、照明部さんたちが苦労されていました。朝日の出し方をはじめ、私たちも、顔の映り具合で怖さや柔らかさが左右されてしまうので、本当に協力してやっているという一体感がありましたね。照明部さんのことを、最終的には『太陽神』と呼んでいました(笑)。最後は私が柔らかい表情になって終わるということだったので、皆さんがそれを引き出そうとしてくださって、すごく苦労をされていました。時間のないなか、少しでもいいものをという気持ちが伝わってきました。
演技の部分では、監督と話し合って、旦那さんへの愛憎が憎しみだけで片付かないようにしようということを考えました。殺してやりたいぐらい大嫌いという気持ちだけではなく、女性にとられて悔しかったけれども、拉致された現場に自分も行くことで、やっと対等に話ができるという、ちょっと歪んではいますけど、彼への愛情表現をうまく出すことができたと思います」
役柄について
「結婚して普通に暮らしていたのに、実は自分の冴えない旦那さんはよそで浮気ばかりして、お姑さんともうまくいっていない、なんで自分だけ…という気持ちがすごく強い、いろんな感情をもっている人です。こういう人は実際に世の中にたくさんいるんだろうなという、そんな特別じゃないんだよという気持ちは、監督から教わりました。殺し屋を雇うなんて、一見、尋常じゃないですが、旦那さんに対して”なんとかしてよ”と思う気持ちは、世の奥様たちにもあると思うんですよね(笑)。愛憎はみんなが持ち合せていて、それは出し方で大きく変わるものなんだなということを改めて感じました」
ドSキャラについて
「実際に演じてみると、鮎子がドSには思えませんでした。どちらかというと、悩みの多い、ハズレくじを引きがちな人。ちょっぴり寂しい人で、愛情表現や自分の求めていることをうまく表現できない不器用な人に感じたんですね。不器用な人が、結果的に歪んで、自分の旦那にあんな行動をとってしまった。テニスボールを口の中に詰め込むような、苦しむ様を見たいというような表現をしているところは、当てつけというか、本当は好きなんだけど、こうしなきゃいけない自分、という寂しい気持ちの表れのような気がしたんですね。だから、とてもドSのようには思えなくて、同世代の女性として彼女に対しては、”そんなことしないで、とりあえず甘いモノでも食べに行きませんか?”という気持ちになっちゃいましたね(笑)」
女優の仕事について
「実際に現場の方々のがんばる姿や、スタッフさん同士のつながりや出演者さん同士のやりとりなど、ドラマを作る輪の中に入れてもらうということは、責任はあれど、とても有意義なものだと感じています。大勢の人たちが1つになって、結果、ひとつものが出来上がる様子をゼロから見ることができるので、演じ手という仕事に対しては、好きとか嫌いとかではなく、深いものを感じます。
そういう現場にお誘いしていただけるということは、とても光栄なことですので、出来る限りは参加させていただきたいですし、求められることに応えることが壇蜜としてのお務めだと思っています。
しかし、どうしても、違う畑からきているので、自分は女優だとか、表現者だという奢った気持ちは、いつまでも持たないようにしたいと思います。あくまでも、自分は輪の中に入れてもらえるだけの人であるので、そこは分をわきまえて、置かれたところで努力をしていこうと思っています」