いよいよ目的地のひとつである本宮大社も目前だ。
眼下には、元々本宮大社の神が鎮座した「大斎原」が小さく見える。
今、その場所を示すものとして、大鳥居が聳え立っていた。
もともと樹林が生い茂る山であったろうこの場所は、その「大斎原」が眺められるよう切り開かれ、そのあとにはこうして紅葉などが植えられていた。
この日、夜明け前にこの地についたものの、深い霧のために日が昇っても、視界はせいぜい数メーター先までだった。
それは長い時間をかけ、風が次第にその白いベールをどこかへ押し流し、まるで雪が溶けていくかのように、眼前に鳥居の姿が見え始めたのだった。
この時間が、私にとっては、実に長いものに感じられた。
でもどうだろうか、その行程に長い時間を費やし、やっとこの地に着いた昔の旅人が、たとえこの場所から眺めることが出来なかったにせよ、その姿を眼前にしたときの感慨深さというものは。
恐らく、その喜びは声を出してしまうほどだったのではないだろうか。
この朝、もしかするとその気持ちが、たとえ比べようのないものであっても、感じることが出来たのかもしれない。
凍えるようにして「待つ」ということをさせてくれたあの朝霧に、私は感謝せねばならない。
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