手塚「まず『久米繊維工業株式会社』がどういう会社なのかご説明ください」久米「創業が1935年、東京墨田区にあります。墨田区はメリヤス肌着の産地で、私の祖父が栃木の農家からでてきて、丁稚奉公から始めて独立した会社です。ですから当初は肌着を作っていました」手塚「お聞きしたところ、日本人の体型に合わせたオリジナルのTシャツを初めて作られたそうですが」久米「父は焼け野原の中で辛い思いをしていました、そのときにアメリカ文化で映画が華々しく入ってきました。その中でTシャツ文化を見て、これを自分たちも作りたいと思い『色丸首』として作りました」手塚「『色丸首』?」久米「丸首とか、U首とか、V首と当時肌着では言っていましたのTシャツは丸首。しかも今までは色がついていませんでした。それで赤とか紺とか色をつけて売り出しました」
手塚「Tシャツへのこだわりは?」久米「私はTシャツ屋の3代目で生まれたので、Tシャツに囲まれて育ちました。やはり日本でしか作れないTシャツとはどんなものか、というのずっと考えていました。まず大事なのは五感に訴える体感の品質ではないか思います。あまり知られていませんが日本の紡績技術はヨーロッパに匹敵する素晴らしい技術がありますので、肌触りの良いものを作れます。それからオーガニックコットンですと敏感な方は香りを感じる、肌に触った時の優しさを感じます。ですから目に見えない、雑誌に出ただけでは分からない、肌に触れたときに分かる品質を追求するというのが一つにテーマです」
手塚「3代目として親の代から継ぐときにどのようにやっていこうと思いましたか?」久米「父の時代は大量生産大量消費の時代です。同じブランドのものを皆が着ていました。でも今はそういうものは価値のないもの、一人一人がTシャツで自己表現をする時代です。ですから文化品質というのもあると思います」手塚「NPOやNGO、アーティストやクリエーターの活動をT
シャツで支援するという試みをされていますが、具体的にどのようなことをやっていらっしゃるのですか?」久米「私たちのTシャツは国内で地道に作っています。そして素材にもこだわっていますのでお値段が高くなってしまいます。そうすると今までの私たちのお客様だった、アパレルの方や百貨店、量販店の方はちょっと高くて買えなくなってくる。その時の私たちに一番熱い視線を送ってくださったのが、NPO、NGO、それからTシャツに何かしたいクリエーターの方だったんです」手塚「それでいろいろなイベントなどでタイアップという形で支援をされているわけですね」久米「そうですね。NPOの方にお求めやすい価格で提供するのも初めの一歩でしたが、今はインターネットでTシャツもかなり販売出来るようになりましたから、私たちが応援したいNPOがあった場合、そのページ経由で買ってくださいということを進めようとしています。それで先方に1割や2割の手数料をお支払いすることで、活動資金を提供出来るという仕組みです」
|