コメンテーターのつぶやき

巧妙な語り口でニュースに切り込む、おはようコールのコメンテーター陣。 そんな海千山千の識者が、意外な趣味・趣向で文章をつづる『コメンテーターのつぶやき』。 これを読めば、新たな世界が見えてくるかも!?

コメンテーター comenter中川謙

2012年3月30日(金)

維新の「ふるさと」は

 畏友の訃報に接した。享年78歳。
 土佐・高知の四万十川のほとりで生き、果てた。名前はカズオさん、としておこう。
 町村合併でできた四万十町に吸収される前の窪川町を終生のふるさととし、こよなく愛した。宮沢賢治が郷土・岩手をイーハトーヴォと呼んだのに習い、「ここはクーボカーワぜよ」と戯言を口にしては面白がっていた。
 おのが足で踏みしめる大地の土着性と、無窮の宇宙の普遍性は実は一体のものである。これが「イーハトーヴォ」の用語に込めた賢治の思想である、と捉えたカズオさんには、やはり片仮名の呼び方がふさわしい。
古代ギリシャ哲学から、ベルグソン、ハイデッガー、ニーチェ、さらには和辻哲郎、小林秀雄と、古今東西の先哲を読みこなし、得た知識を自在に操った。書に倦めば鍬を取って畑に出る。晴耕雨読を地で行く暮らし向きであった。
 10年余り前に筆を起こした村おこしの提言は「しまんと八策」と題された。言うまでもなく郷土が生んだ幕末の志士・坂本竜馬の唱えた「船中八策」をなぞっている。あえて「しまんと」の語を挿んだのは、ただの真似事ではない、「おのが足で踏みしめる」ふるさと・大地への執着をそこに注いだ、と話していた。先住民のアイヌ語「シ・マムタ(はなはだ美しい)」に由来するとも言われる「しまんと」への誇りを隠すことがなかった。
生態系や環境重視に立脚するこの「八策」は地元農協などの基本理念として、いまも受け継がれている。
 窪川町は1980年代の初め、原発建設計画をはねつけた歴史を持つ。反対住民が結束し、誘致に走る町長や議会を追い込んだ。
 補助金、交付金の誘いはしきりにあった。巨額のカネが外から流れ込めば、いっとき町は潤うかもしれない。けれどもそれに依存する体質が生まれることで、四万十川の豊かな清流がはぐくむ酪農や生姜栽培の生産基盤、ひいては自然の生態系が根こそぎ台無しにされかねない。そうなったら取り返しがつかなくなる。
 町民は「外からの助け」を退け、あえて「内なる大地」を選んだ。反対組織の名は「ふるさと会」。そこでは参謀格のカズオさんの知恵が存分に発揮された。私がこの野の遺賢と知己を得たのも、その折である。
 さて、いま大阪では「維新の会」なる地域政党が結成され、その鼻息が荒い。会は「船中八策」と名づけて、政策提言も発表している。
 この会が地域政党であるなら「しまんと」ならぬ「よどがわ八策」があってもよさそうだ。そもそもなぜなにわの政党が、土佐の竜馬の哲学を自党の表紙に借用するのだろうか。この地域政党にとってのふるさとはどこなのか、何なのか。
 会のだれかから、おのが足で踏みしめるべき大地への熱い思いを一度でも聞いたことがあるだろうか。
私の怠慢で聞き漏らしているのかもしれない。
 トオルさんでも、イチローさんでもいい、自分にとっての「ふるさと」をじっくり語って聞かせてはくれないだろうか。
 「『いま』を語ることが、そこに存する『これまで』を省みることになり、これまでをかえりみることが、『いま』に映る『これから』を見ることになる」
最後になった私への便りにあったカズオさんの言葉を、いま読み返している。