コメンテーターのつぶやき

巧妙な語り口でニュースに切り込む、おはようコールのコメンテーター陣。 そんな海千山千の識者が、意外な趣味・趣向で文章をつづる『コメンテーターのつぶやき』。 これを読めば、新たな世界が見えてくるかも!?

コメンテーター comenter中川謙

2012年8月21日(火)

「縮み」の国、「背伸び」の国

     金     銀     銅     計

韓国   13     8     7     28

日本    7    14    17     38

 ロンドン五輪で、日韓両国のメダルの取り方は鮮やかに対照的であった。上に厚い韓国、そして下に厚い日本。
 年齢構成もメダル獲得のように、下にどっしりと厚いピラミッド型なら、私たちの消費税論議も今ほどには深刻ではなかったかも、などと気を回したりする。
 その点では、お隣の国の逆3角形も気になる。下が薄すぎはしないか。
 この春先、15年ぶりにソウルを訪ねた。
投宿した東大門かいわいは、零細企業のひしめく下町である。裏通りは日本風に言えば間口2間の作業場が軒を並べていた。Tシャツにプレスをかけては、せっせとポリ袋に詰める女性。大きな布を黙々と裁断していく高齢者。時計の針が深夜12時を指しても明かりが消える気配はない。道端は屋台で埋め尽くされている。どぶろくの香り、焼肉の煙、行きかう男女、果てることのない喧騒。
 そう、懐かしいわが昭和の、あの「3丁目の夕日」の光景がそこにあった。だれもが少しでも豊かな明日を夢見て貧しさに耐え、ひたいに汗して仕事に精を出した40年以上も昔の、あの世界が。
 「あれこそが韓国の現実なのです」と、たずね当てた高麗大学で古い知人が口を開く。緑したたるキャンパスのベンチに腰を下ろし、私たちはいっとき、日韓のあり方について意見を交わした。目の前を通り過ぎる女子大生の一団の、なんと華やいだいでたちよ。この国で「勝ち組」とされる階層の子弟である。
 知人によれば1997年の通貨危機を境に、韓国はすっかり変容した。リストラで職場を追われた人たちが、下町に小さな店舗を借り、さまざまな仕事を細々と営むことが一般的になった。もちろん大きな発展は望みようもない。
 一方で、通貨危機によるウォン安は、自動車、電機などの輸出産業に莫大な利益ももたらした。私たちが韓流ドラマでうかがい知る、あの華麗なる上流の暮らしぶりはその産物に他ならない。
 思えば私たちが隣国に抱くイメージは、余りに「ドラマ」の世界に偏している。逆に首都の裏通りに広がる「現実」には無関心に過ぎはしないか。
 グローバル市場で躍進目覚しい新興大国の、その内側に横たわる影の部分は、私たちももう少し意識していて損にはなるまい。
 盆栽からトランジスターまで。古来、物を小さくする、そして自らも小さくなる技に長けた日本人の特質に着目したのが、韓国・李御寧(イ・オリョン)氏の名著『「縮み」志向の日本人』である。では韓国人の特質はどう形容されるべきか。
 この夏、日韓の関係は領土や歴史認識でずいぶんとささくれ立ってしまった。直接の発端は韓国が作った。李明博大統領の竹島訪問、それに続く天皇に向けた「うちに来たいのなら謝罪しろ」発言。どう見ても態度がでかい。いや、態度を「大きく」見せようとしている、と言ってもいい。
 上へ、上へ。五輪選手から財閥企業、さらには大統領まで、この国に働く力学はひたすら「上昇」にあるようにも映る。これを「背伸び」志向の韓国人、と評したら失礼に当たるのかな。
 ともあれ「縮み」の私たちが、無理に「背伸び」するのは思い止まるにしかず。