コメンテーターのつぶやき
巧妙な語り口でニュースに切り込む、おはようコールのコメンテーター陣。 そんな海千山千の識者が、意外な趣味・趣向で文章をつづる『コメンテーターのつぶやき』。 これを読めば、新たな世界が見えてくるかも!?
コメンテーター comenter中川謙
2011年8月5日(金)
日米仲良く「サッカー」
私たちがサッカーと呼ぶ球技は、英語ならfootballである。この呼称は国際的に広く通用している。
ところが、英語国である米国でfootballといえば、それはアメフトを指す。そのせいだろう、サッカーの呼び方は米国でもsoccer。世界では孤立気味に「サッカー」の旗を掲げる日米は、長らくこのスポーツではともに後進国と見なされてきた。
その両国が女子ワールド杯決勝にまで上り詰めた。疑う余地なく、時代は変わっている。
去年、南アであった男子ワールド杯で米は強豪イングランドと引き分け、にわかに注目された。実は、この大会の観衆で国籍別に最も多かったのは、開催国をのぞけば米人であることは余り知られていない。アメフト、バスケ、野球の御三家を脅かす位置につけるのが、サッカーなのである。
米国の人口が冷戦後の20年間で、5千万人も増えたことを忘れてはいけない。英国かフランス並みの大国がもう一つ、生まれていた計算になる。増加分の大半は「サッカー命」の中南米系移民。多チャンネルでは先進地のこの国に来て、母国のサッカーを伝える専用テレビ番組にかじりついた移民が新たな、そして巨大なファン集団を形成したと想像するのは難しくない。
不景気の米国で、低賃金に耐え、よりよい明日を夢見て生き抜く移民たち。米国の伝統的な原動力でもあるこの移民パワーが、フランクフルトのピッチに立つ女子選手の背後にあったのは間違いない。
さて、日本の「なでしこ」の背中を押したのは、まさに「おんな」という名の種族そのものであろう。
肉食系と分類されるこの新種が日本社会で幅広く発揮するパワーのすさまじさは、今さら説明の必要はあるまい。
こんどの決勝戦ではリードを許しても、そのつど難なく跳ね返した。勝敗を決するペナルティーで軽々とボールをネットに叩きつける余裕ぶりは、まるで鼻歌でも歌っている気配であった。
彼女たちに無縁だったのは、プレシャー。これが男だったら、すくみ、縮みあがり、ぺちゃりと押しつぶされていたに違いない。ちょっぴり切ないけど、悔しかったら男も早く世界一を取りなさい。
移民と、おんなと。日米双方の元気印が「サッカー=soccer」を国際語にする日がいつか来るのかもしれない。