放送内容
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4月 大山のぶ代
4月 中村征夫
5月 石垣島レポート
6月 西表島レポート
6月 本多俊之
6月〜
7月
Sophia
7月 舘内 端
7月 吉田戦車
7月〜
8月
Char
8月 近藤 篤
9月 森田正光
10月 お便り紹介
10月 アップリカ試験研究センター
10月〜
11月
Sugizo
11月 佐野元春
11月 久路流平
12月 片山右京
12月 坂本龍一
1月 お便り紹介
1月 筧 利夫
1月〜
2月
王様
2月 林あまり
2月〜
3月
舘内 端
3月 西村幸祐
3月 立川町風力発電レポート
4月22日 ゲスト:中村征夫さん

中村征夫1 水中カメラマンの中村征夫さんは東京湾をはじめ、水俣湾、石垣島、諫早湾、海外の海など、社会性のあるテーマに取り組み、数多くの話題作を発表されています。
 手塚「海に興味を持ったきっかけはなんだったんですか?」中村「小さい頃から海は怖かったんです。元々浅い川で魚を捕っていたんですが、中学2年の時に初めて海(函館)の水に顔をつけていろんな物を見て、川と違うなと思ったんです。その後神奈川の海でサザエやたこなどを捕まえるようになって、海の魅力にとりつかれていったんです。その時ちょうど海の中で写真を撮ってる人たちと出会い、迷わずにその仕事に就きました」手塚「お仕事始めて今年で...」中村「35年です」手塚「特に惹かれることはなんですか?」中村「今見ている光景は世界中で僕だけしか見ていない、というところですね。例えば、珊瑚の上を魚が横切る所など、2度と同じようには横切らないわけですから」

 手塚「世界の海の中で、中村さんのお薦めの場所は?」中村「インドネシア、フィリピンなどお花畑のような珊瑚がありますから、そういうところはいいですね。どうしてそういうところがいいかというと、海の中はプランクトンなどがいて決して透明ではではないんです。その中で写真を撮るためには、光の当たる、浅いところで被写体に近づいて撮らなければならないから」


中村征夫2 手塚「中村さんは諫早湾を撮り続けていらっしゃるんですが、いかがですか」中村「みんなの目は干上がった湾の方に向いていて、海の方は興味を示さなかったんです。僕は堤防が出来て1年目に潜ったんです、そうしたらもう海は死んでいました。岩の上にヘドロがかぶっていました。
 私はもっと海の蘇生の力をもっと信じた方がいいと思います。例えばあの干潟に海水が入ってきたら、瞬く間によみがえります。水が入ってくると背の立つような浅いところに、貝、イソギンチャク、牡蠣だとかがあっという間に生息します。彼らは汚い水を吸い込んできれいな水をはき出します、それに干潟は風が吹くとさざ波が立ちますよね、そうすると海の中に酸素が取り込まれます。卵は酸素が必要です、ですから酸素のいっぱいあるそこへ、魚が産卵しにきます。で次にその幼魚を求めて大型の魚がやってくる、食物連鎖が成り立ちます。ですから水門を開けて水を流しておけばすぐに海は回復します。
 なんで僕がこういう事を言えるかというと、僕の田舎は秋田の八郎潟なんです。八郎潟は国の政策で埋め立てられてしまって、今は小さな湖しか残っていません。もともと八郎潟は汽水湖で、海の魚やシジミがいましたが、水門を閉じてしまったのでいなくなってしまいました。それから十数年経って、塗装を塗り替えるために水門を開けて3〜4日そのまま放置したら、シジミが爆発的に誕生して、アサリみたいに大きいのが取れたんです。それぐらい海水の力ってすごいんです」

 中村「僕はきれいな写真を撮りたいから、あそこを守れ、ここを守れといってるのではなくて、森だって手を入れなければ死んでしまいます。ですからやるならば、人間も自然の一部なんだということを理解して開発していくのなら、僕は何も言いません。それを全く無視してやっているから、おかしいんじゃないの、と言いたくなるんです」


4月29日 ゲスト:中村征夫さん

中村征夫3 中村さんはライフワークとして取り組んでいらっしゃる沖縄本島や石垣島の珊瑚礁のことについて伺いました。
 中村「珊瑚礁に住む人たちは、珊瑚はいくらでもあると思っている方が多いんです。実は僕も始めて沖縄の珊瑚礁に潜ったときに、結構硬くてケガだらけになってしまって、“珊瑚はじゃまだ”と思ったことがあるんです。それから何十年語って、珊瑚の役割がどういう物なのか分かってきて、これはなくしちゃいけないと思ったんです」手塚「例えばどんな役割があるんですか?」中村「景観が美しいでしょ、そこにたくさんの魚が群れている。これだけでも癒されるでしょ」手塚「そうですね」中村「また魚たちの隠れ家にもなるし、島の人たちにとっては、大波から守ってくれる堤防の役目もします」手塚「沖縄に台風がきても平気なんですね」中村「それに珊瑚は成長が早いからもし壊れてもすぐ元に戻れるんです。自然は土壌までひっくり返さないからそういうことが成り立ちます。でも人間がやると土壌までひっくり返すので、元に戻らないんです」手塚「なるほど〜」
 中村「1975年に沖縄で海洋博がありましたでしょ。あの時、赤土を海に大量に捨てたのでその影響で沖縄本島の珊瑚が全滅しました。それが他の島々にも広がったんです。あれのテーマは“人類と海との調和”だったんですけどね」手塚「本末転倒ですね」中村「赤い海の向こうに青い海があるというのは、その対比というのは非常に悲しい光景でしたね」

 中村「その後、珊瑚を食べるオニヒトデが異常発生したんです。それは赤土で珊瑚が窒息死してしまい、珊瑚のエサのオニヒトデの卵を食べられなくなってしまったからなんです。それで土砂にやられずにすんだ珊瑚もオニヒトデに食べられてしまったんです」手塚「でもオニヒトデが悪いわけでもないですよね」中村「結局人間が悪いんです。でも石垣島の白保の珊瑚だけは残ったんです」手塚「それは何でですか?」中村「それは学者さんが研究したけどいまだに分からないんです。謎なんです」


中村征夫4 手塚「中村さんはいろんな所を回られて撮影されていますが、最近感じることは?」中村「僕は人の写真もずいぶん撮ってるんですよ。ところでご存じですか?僕は“自信たっぷり、天災カメラマン”と呼ばれていることを...」手塚「なんですかそれ」中村「奥尻島の地震、覚えていますか。あそこに僕はちょうどいたんです。地震が起きてすぐ逃げろと怒鳴られて、その5分後に津波がきたんです。山の中腹まで逃げて、僕の後方20mぐらいの所に波が落ちたんです。ですから民宿で靴を履いていたら死んでいましたよ」手塚「は〜」
 中村「それでその後雲仙に行ったんです。でそこで案内してくれた人が、“津波、大変でしたね。実は我々普賢岳が噴火して全部流されて、なんで自分たちだけが、と思ったんですが奥尻のことを聞いて、自分たちだけじゃないんだなと思った”と言ったんです。人の不幸にも思いやれるようになってきたと言うことですよね。でその後に、阪神淡路の震災が起きますね。それで奥尻の方達は同じように阪神淡路の方達を思いやるわけですよね。で今度日本海にナホトカ号が座礁しましたね、その時に僕も行きましたが、一番多かったボランティアは阪神の方達でした。ですから被災された方達は人ごとではないんですね。だから僕はどんな良い魚の写真撮っても、人間ほど素晴らしいものはないというところに達しました」

大山のぶ代さん 石垣、西表島レポート

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