コメンテーターのつぶやき
巧妙な語り口でニュースに切り込む、おはようコールのコメンテーター陣。 そんな海千山千の識者が、意外な趣味・趣向で文章をつづる『コメンテーターのつぶやき』。 これを読めば、新たな世界が見えてくるかも!?
コメンテーター comenter中川謙
2010年3月25日(木)
「ヤマケン」のいた時代
関西には、ヤマケン、の異名で知られたふたりの男がいる。
そのひとりはさる任侠団体の幹部。血なまぐさい抗争で膨張したこの団体の中でも「武闘派」を任じていた。
さてもうひとり。これぞわが「おはようコール」の看板だった山本健治さんである。
こちらもまた「武闘派」と呼んでいいのだろうか。
最初にその勇姿を拝したのは、もう35年も前のことになる。
「住民集会があるんやて。ややこしくなるみたいや。のぞいて来てんか」
新聞社でデスクの発する指図とはこんなものだ。それを聞いて、北摂のさる町の現場をのぞきに行ったのが私。そのころ大阪本社で社会部員をしていた。
いまからは想像もつかないほど住民運動が熱気を帯びた時代だった。会場になった公民館はもう人でびっしり埋まっている。公害問題か何かで市との交渉が始まるらしい。
「おい、あれがヤマケンや」
親しい同業社の記者が指を差して、教えてくれた。ヤ・マ・ケ・ン、の名は聞き及んでいた。耳にしただけで、なぜか血が騒ぐその響きはやっぱり武闘派ブランド?
住民の応援に来ているのに、住民から少し離れ、むっつり黙りこくったまま壁の手すりにもたれている。高槻市議だったはずだが、ジーンズに長髪は、絵に描いたような過激派スタイルだ。眼鏡の奥の冷ややかなまなざしが、ちょっとだけ劇画の狙撃手ゴルゴ13みたい。
同業記者が付け加えた。「見とりいや。ドカーンと大声出すからな。交渉、はちゃめちゃになるで」。何かを期待している口ぶりだ。そういえば、会場にあふれる参加者の視線も心なしか、「武闘派プラス過激派プラス狙撃手」のヒーローに集中している。「ドカーン」がいつ飛び出すのか、と。
この空気、あれだ! そう、昭和30年代のヒーロー力道山。白黒テレビにかじりつくファンは、ひたすら一つのことを求めていた。
空手チョップ。
それは、反則を重ねる外国人レスラーへの必殺反撃技、などというレベルにとどまらない。諸悪、混迷、不正、誤謬のたぐいを、たったの一振りで改める破邪の剣だったのだ。
幸か不幸か、その日その会場で空手チョップ、おっと違った、「ドカーン」は一度もなかった。それはそうだろう。必ず起きるに決まっている事には、人は何の期待も寄せなくなる。さすがヤマケンさん、その辺の呼吸を心得ていたのかな。
× × ×
歳月は流れ、世紀も改まって21世紀初頭の10年。
ヤマケンさんの「ドカーン」は炸裂しまくった。月曜日、朝日放送「おはようコール」の早朝1時間半。少なからぬファンが、あの光景を重ねて見ていたのに違いない。毎週金曜日夜8時台、日テレ系列ネットの伝える力道山のあの空手チョップを。もう半世紀も昔のことになるあの光景を。
とりあえず山本健治さんは「コール」の番組から退く。それでも「ヤマケンのいた時代」の、あの過激にして鮮烈な印象は、人々の心から決して消え去ることがあるまい。力道山の勇姿がいつまでもそうであるように。