EarthDreamingロゴ 放送内容
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4月 ラレコ
4月
~5月
パク・トンハ
戎本みろ
5月 白井貴子
5月 北澤肯
5月
~6月
中島まゆみ
6月 杉浦邦俊
6月
~7月
伊藤遊
7月 高津玉枝
7月
~8月
高木俊太
村上由里子
8月 石川雅之
8月 大野由紀恵
9月 藤田志穂
9月 宮腰義仁
10月 時東ぁみ
10月 森摂
11月 竹宮惠子
11月 槇原敬之
11月
~12月
冨田勲
12月 上岡裕
12月 川端由美
12月 2008年を
振り返って
1月 赤塚りえ子
1月 中島まゆみ
1月 箕輪弥生
2月 イェンス・イェンセン
2月 武田双雲
3月 郷慎久朗
3月 椎名法子
3月
~4月
森摂
4月12日ゲストウェブアニメーターラレコさん

ラレコ1  手塚「ウェブアニメーターで、『やわらか戦車』の作者のラレコさん、この“ラレコ”と言うお名前の由来は?」ラレコ「これ、聞かれるの苦手なんですよ。今までインタビューで何度も聞かれましたが、使われたことがないのです(笑)」手塚「あ、そうですか...。もちろん本名ではないですよね(笑)」ラレコ「違います(笑)基本的に“ラレコ”という語感が気持ちよかったというのがあるんですけど、“られ”という響きが僕としては受け身な感じを表現してるんです。“殴られる”とか“なめられる”とか、そういうやられっぱなしの感じの名前ということで自分の中では納得してるんですけど...」

 手塚「最初にウェブでお仕事されたのは、どういった物からだったのですか?」ラレコ「お仕事じゃないんですよ。当時はネット上で絵を描いていました。絵を描くコミュニティがあって、そこで自分の絵を発表して、いろんな人にみてもらうということをしていました。でも絵を描くだけでは飽き足らなくなってきて、歌も唄ってみよう、動かしてみようとかアニメーションを作ったのがとっかかりで、内輪でウケればいいやと始めました」

 手塚「ウェブ上で大ヒットとなった『やわらか戦車』。2005年12月に公開されましたが、この作品はどのように生まれたのですか?」ラレコ「『やわらか戦車』の面倒みて頂いているファンワークスという会社があるんですが、“ライブドアで新作をやってみないか”と言われました。当初は動物ものでやって欲しいと言われましたが、なんとなくその通りにやりたくなくて(笑)持っていったのが『やわらか戦車』でした」手塚「そもそもなんでああいう大福的なイメージの戦車を思いついたんでしょうか?」ラレコ「あるとき『やわらか戦車』って言葉を思いついて、自分で面白いと思いました。それを絵にしてみようと思って顔を描いてキャタラピラを描きました。直感で作ったのでその時のことはあまり覚えていませんねぇ」手塚「そのころ柔らかいものに興味があったとか...?」ラレコ「『やわらか戦車』という言葉を思いついたのは、『プライベートライアン』という映画の冒頭で上陸してくる兵隊が、機関銃に打たれてどんどん死んでいくというシーンがあるんです。それを見た時に兵隊さんって柔らかいなと思ったんです。それが繋がったんでしょうね。柔らかいというのは僕の中で恐さを含んでいて、自分の身体が柔らかいと言うのがコンプレックスとしてあって、柔らかくて可愛いというのと、恐怖が表裏一体という感じで...」


ラレコ2 手塚「戦車と言うと突進していくイメージがある中で、この『やわらか戦車』のキャラクターは“退却”と言って、後ずさりしてしまう。ここにも何かコンプレックスがあるのですか?」ラレコ「戦争って恐いじゃないですか。反戦という行為も僕としては戦いに思えて、それすらも面倒だなと。すべての戦いから退却したい、弱い自分を投影した姿というのはあります」

 手塚「ラレコさんは作画から主題歌、キャラクターの声まで全部お一人で作られていますね」ラレコ「一人で作ると言っても商業アニメよりは手はこんでないですし、一人で出来るようにデザインされてるんです、予め。またFlashというソフトを使うと人力でやっていたことをコンピュータがある程度補助してくれます。ですから一人でやる環境は整ってきたと思います」手塚「これを1話作るのにどのくらいかかるのですか?」ラレコ「ものにもよりますけど、一週間ぐらい頂ければ」手塚「一人でやってることを楽しんでいらっしゃるようですね」ラレコ「人に頼むとダメ出しするのが厳しいんです(笑)だから自分でやっちゃえ、と」

 手塚「ファンの要望に応えるプレッシャーはありますか?」ラレコ「ありますねぇ。ネットなのでダイレクトに声が届きます。“つまんない”“やめろ”という声も届いてくるので、どうしたらこの人達が次、喜んでくれるのかなと...、苦情処理係みたいなもんですね(笑)きついものもある反面、面白がってくれる方がいると、報われたなという気分になって、次の作品に繋がります」

 手塚「ラレコさんは現在『やわらかアトム』を手がけています。『やわらか戦車』と『アトム』のコラボで『やわらかアトム』ギャグじゃないかと思いますが(笑)この作品が始まった経緯を教えてください」ラレコ「手塚プロの方から“『やわらかアトム』ってどうよ”と言う感じで話を持ちかけられまして、最初はイラストを描いてという話だと思っていたんです。だから『やわらか戦車』にアトムカツラみたいなものをつけて、一枚の絵を提出したら、“動いてないとつまらないんだよね”と言われて(笑)結局アニメーション作品として作ることになったんです」手塚「最初にその話がきた時はどうでした?」ラレコ「無茶でしょうと思いましたけどね(笑)かなり腰が引けました、正直」手塚「回りの方の反応は?」ラレコ「僕も実際わからないのですけど、イメージが全然違うとお叱りの言葉を相当いただきました(笑)」

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4月19日 ゲスト:ラレコさん

ラレコ3  手塚「ラレコさんは学生時代、漫画研究会にいらっしゃったそうですが、漫画家志望だったのですか?」ラレコ「滅茶苦茶志望してました(笑)」手塚「子供の時からマンガが好きだったのですか?」ラレコ「そうです。最初はドラえもん、中高生ぐらいで大友克洋さんとか、当時ニューウェーブと呼ばれていた方に大きな影響を受けてます」手塚「マンガを最初に描いたのは小学生の頃?」ラレコ「その頃から描いていましたが、オリジナルではなく、既存のキャラクターや、友達が出てくるマンガなどを描いていました」

 手塚「現在『やわらかアトム』を手がけていらっしゃるラレコさん。最初に読まれた手塚作品は?」ラレコ「僕の記憶の中で一番古いのは、親戚のおじさんが持っていた『ブラックジャック』だと思います。不良と先生のお話で、結構暴力表現に凄惨なものがあって当時、小学1年生ぐらいだったと思いますが、“やばい”という感じで読みました。そこからも自分の身体が柔らかいという(笑)コンプレックスにも通じます」手塚「他には?」ラレコ「『三つ目がとおる』は友達から貰って持っていましたので、何度も読みました」

 手塚「『やわらかアトム』を作るにあたって、改めて原作やアニメを見ましたか?」ラレコ「はい、原作は『アトム大使』を読ませて頂いて、“え、こんな話なんだ”と思いました(笑)テレビではああいった部分は描かれていないので...」手塚「そうですね、やっぱり子供向けのアニメーションということで、お話を端折ってますしね。それ以降、後半の作品は読まれました?」ラレコ「読みました。すごく驚いたのは手塚さんは未来未来したものを描いた方だと、僕は勝手に思っていました。そして大友克洋さんは今の延長にある、泥臭い未来を描いている方で、そういう未来を描くのは大友さんが最初だと思っていました。でもアトムですでに手塚さんはそういうことをやっていらしたんです、下駄を履いていたり昭和っぽい町並みがあったり(笑)」手塚「それがアトムの一つの面白さでもありましたね」ラレコ「やっぱり思うのは手塚さんの線の美しさです。ため息が出ます」


ラレコ4 手塚「そういう感じられたことが『やわらかアトム』に反映されているのですか?」ラレコ「なかなか手塚さんが持っていたテーマ制を反映させるまでにはいっていません。いかに弱く描くかにばかり目が行っていたので(笑)」手塚「ラレコさんが手塚作品を読んで共感出来る部分はありますか?」ラレコ「やっぱりプルートの『地上最大のロボット』読ませて頂いて、僕の勝手な想像ですけど“手塚さん、泣きながら描いてるな、これ”って言う(笑)すごく盛り上がって描いてるなというのが伝わってきました。そこは共感しました」

 手塚「今後の予定をお知らせください」ラレコ「『やわらかアトム』の第5話を4月22日に発表する予定です。そして秋にDVDや書籍、Tシャツなどを発売する予定です。そしてもう一つの作品『くわがたツマミ』の小説が連載されます」手塚「今後やってみたいことはありますか?」ラレコ「マンガを描いてみたいと思います(笑)」


中島悠さん パク・トンハさん、戎本みろさん

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