スクリプター(記録)という仕事がある。タイムを計りながら、シーンとシーンの整合性を確認し“記録”する。この仕事のおかげで、撮影は過不足なく行なわれ、シーン間の関係は明確になり、バラバラに撮影された各シーンに一貫性が生まれるのだ。この仕事なしには、ドラマの編集も不可能といっていい。ひとことでいえば、現場と編集をつなぐ架け橋のような仕事だ。長年、記録を手がけてきた野崎八重子が『必殺』を語る。
スクリプターの仕事は、まず現場でタイムを計ることです。昔は「尺」と言ったんですが、今は「タイム」と言っています。最終的にできあがる作品が45分だったら、その時間にまとめるために、どれくらい撮影すればいいかを計算するんです。私がタイムを計って、「それ以上撮ったら、ちょっとオーバーですよ」だとか、監督にお知らせするわけですね。そして、監督がこんだけのもんを撮りましたよというのをリストにして編集に伝えます。
スクリプターの仕事で一番大事なのは、やっぱりシーンとシーンのつながりです。衣装のつながりとか小道具のつながりとか、いろんなつながりがありますけど、よく細かい間違いが見つかるんですよ。前のカットでは髪の毛が左側を向いてたのが、次のカットで右側を向いてたりしたらおかしいでしょう? 現場のモニター画面で、そういうつながりをひとつひとつチェックしていきます。だから、目が疲れるんですよね。昔はモニターがなかったから、撮影現場を直接見てチェックしてたわけですけど、フィルムからデジタルになってからは、モニターの前に座りっぱなしですからね。足なんか根が生えてしまって動けない(笑)。
リストというのも、東京の記録さんなんかは、もう書いてないんです。台本に直接チェックを入れて台本ごと提出するというかたちになってるんですね。でも、わたしは古いもんやから、リストを書かないと仕事してる気がしないんですよ。もちろん、若い子はどんどんやり方を変えてってますけど。私も、今までに7、8人教えてきました。みんな一人前になって、監督にほめられてるんですよ。「弟子はいいねえ」って。「じゃあ、私は悪いの?」って(笑)。でも、自分が教えた子たちがこうやって監督さんにほめていただけるのはうれしいですね。
私の記録を元に「このシーンはこういう意図で撮ってるんだな」と考えてつないでいくのが編集の園井弘一さんです。ただし、園井さんの場合は、まったく違う作品みたいに構成を変えてしまうときもありますから、編集次第で作品が変わりうることもあります。それがまた素晴らしいんです。ああいう編集マンは他にいないですよ。
その材料を撮るのが監督ですよね。特に石原さんて、何の説明もなく、どんどん撮っていくんですよ。カットナンバーもありませんから、私が全部作るんです。まあ、そこは任せていただいてますね。監督の考えてることは大体わかりますから。たまに、「八重子、ありゃ、ちがうやろ」とか、言われますけど(笑)。こないだも、私と監督が2人で並んで話してたら、他のスタッフから漫才してるみたいやと言われて(笑)。会話がくだけ過ぎてて漫才みたいに聞こえたみたいです。
やっぱり、『必殺』をやると、懐かしい気持ちになります。『必殺』っていうのは家族的なんですよ。スタッフも俳優さんも家族になるくらい、仲間意識が強いんです。現場で手作りしている感じがあるんですよ。「さっと撮って、はい終わり」じゃなくて、小さなものひとつを撮るにしても、みんなで議論して集中してやれる。ふつうは、各パートが別々に作業するんです。でも、ここでは照明部さんが演出のことも話したりする。そんだけ集中して、ええもん作ろうとしてるんですよ。結局、自分の仕事や作品をどんだけ愛してるかじゃないですか。いやいややってるとか、仕方ないからやってる人とはちがう。ここの人はみんな好きでやってるから、いいもんができていくんやと思うんですけどね。
今回は、若さに満ちてますよね。昔とくらべて、若いスタッフも増えましたし。だから、石原監督と私なんか、もうジジィババァっていう感じがしてねえ(笑)。昔からのスタッフに加えて、すごく若い人たちがたくさんいるから、全体的に若い作品になってると思うんです。
新しい俳優さんたちは、みんな、いい人ばかりでね。おばあさんみたいにかわいがっていただいてるんですよ。こないだも、私の誕生日のときに、東山さんが帽子をくださって。そしたら、松岡くんは、私がお酒好きだからって「ウコンの力」を買ってきてくれはって(笑)。大倉くんもマフラーをくれはりました。
今は、スタッフも新しい人たちと一緒にがんばっていこうという気迫でやってますよ。新しい人たちをなんとか盛り上げて、この作品を今後も続けられるようにがんばらなくちゃっていう気持ちがみんなにあると思いますね。(了)