『必殺仕事人2009』では、ベテラン・石原監督に加え、若手の監督もメガホンを握っている。山下智彦もその一人だ。今回、『必殺』シリーズに初めて監督として参加。「バラエティに富んでいるのが今回の特長」と語るとおり、第6話・第9話・第19話というテイストの異なる脚本を巧みに撮り分けた。そんな山下が、撮影の裏話をはじめ、『必殺』に込めた熱い思いを語る。
『必殺』シリーズは、諸先輩の工夫と知恵で育んできた作品なので、感慨深いですね。このオープンセットのキャパシティの中で、光と影という技術を生み出し、それがドラマの世界観にばっちりはまったわけですよね。『必殺仕事人』はじめ、シリーズはいろいろありますが、本当に素晴らしい世界だと思います。『必殺仕掛人』の頃は、僕はまだ小さかったので、いやらしいシーンのときなんかは、親から見るなと言われたときもあったのを覚えてますよ(笑)。
僕は、18年くらい前に、3時間スペシャルに助監督でついたことはありましたが、『必殺』シリーズを監督したのは初めてです。今回も石原監督がやってらっしゃるということで非常に安心してできていますし、酒井さんも原田さんも先輩なので、とても心強いですね。石原監督に右へ倣えする部分もありつつ、自分らしさも出さないとやる意味がないので、なかなか大変です。毎回、一つか二つは自分の色を出すところは入れないとダメかなと思っています。
現場では本当に自由に撮らしていただいてるし、縛りもあまりないですよ。記録(スクリプター)やカメラマンの助けを借りることができますし、すごく助かっています。助手・技師にかかわらず、みんなが意見を言える現場ですし、これからもそうあってほしいですね。決してメインのスタッフだけで作ってるわけじゃないんです。それが『必殺』の伝統ですよ。
第6話については、僕は椿の花が好きなので、僕の好みともすごく合った脚本でした。だから、素直に入り込めました。小五郎が殺しの後に言うセリフがありますが、あのセリフは、仕事人として言うのか、小五郎個人として言うのか、僕も東山さんもすごく悩んだんですよ。源太が仕事に悩むのもそうですが、小五郎が殺しの後に、ああいう人間的な言葉を吐くというのは、かくあるべしと思いますね。殺しのショーだけになると、ただの殺し屋になってしまって面白くないし、見てるほうも乗っていけない。そこまでにドラマがないといけないという気がします。第6話には、「妻を思うあまり堕ちていく」っていう、一人の人間のさまがある。それでちゃんとドラマが成立してるから、ラストのセリフも成立したんです。
第9話の怪物親は、モンスターペアレンツという時事ネタですよね。この回では、スタッフが怪物親の装身具として、旗や垂れ幕をいっぱい用意してくれたんです。僕のほうからお願いはしてたんですけど、僕の想像以上にたくさんの装身具を用意してくれまして、本当に助かりました。スタッフの方が僕の想像を完全に超えていたという、うれしい誤算でした。
印象に残っているのは、第9話でロケーションに行った、水がなかったときの広沢の池です。年末年始の時期は、水を抜いて鯉を全部さらう時期なんです。ちょうど水がない時期に撮影できてよかったですね。第9話のロケは3シーンありましたけど、全部そこで撮りました。第6話のロケも広沢の池で、第9話とは反対側で撮ったんですよ。やっぱり、ロケには出たいですよね。画も変わるし、気持ちも遠足気分になりますから(笑)。
『必殺』の面白みは、やはり、悪人が殺されるシーンにあるんでしょうね。殺しのシーンをこれだけ自由にできる作品はないと思うんですよ。そこのカタルシスがあるからこそ、見る人はスカッとするんじゃないでしょうか。そのためには、悪人は悪人らしく描くことが大切です。しっかりと悪を描かないと、カタルシスにならない。時事ネタをおもんぱかるばかりに、悪を追求できなかったりするのが一番怖い。昔の『必殺』ってのは、後半は時事ネタになりましたが、初期・中盤っていうのは決してそうじゃなかったですよね。それはね、僕たち作り手の側も、もう一回考えなきゃいけないと思っています。かといって、テレビの限界もありますし、あまり生々しくなってもいけない。殺しを生々しく見せるんじゃなく、殺し方は一個のショーとしてとらえたほうがいいという気もします。『必殺』は、そこのバランスが非常に難しいんですよ。
やっぱり『必殺』と言えば、藤田まことさんは一番『必殺』らしい存在です。今では体調も本調子に近いですし、自身番にいるときと仕事をするときの落差といい、安心して見ていられます。フルショットで撮りたいという気持ちもあるんですが、表情でそれを凌駕するような演技をされますからね。本当のスターですよ。(了)