手塚「お会い出来て光栄です。学生の頃に白井さんのライブを拝見して憧れておりました...」白井「そうなんですか、初耳です(笑)」手塚「白井さんは4月20日のアースデイ東京のステージにもご出演されて、私も拝見しましたが、参加されて、いかがでしたか?」白井「お昼のライブだったので、“お客さん来るのかしら”と心配だったのですが、夕方頃には歩けなくなるくらい沢山集まって“こういう時代になったんだな”ひしひしと実感しました。というのは『環境』というのをテーマに都会でやって、若い方からご年配の方まで集まって、良いも悪いもこういう時代になってしまったのかなと...すごい時代になりました」
手塚「白井さんは現在、音楽以外に環境に配慮した生活の大切さを神奈川県の方々にアピールする『かながわ環境大使』に選ばれ、また環境省の『3R(減らす・再利用・再資源化)推進マイスター』も務めていらっしゃいます。エコに関心を持たれたきっかけは?」白井「私自身はエコをやろうとか、環境をやろうとかと一回も思ったことがないんです。デビューして思いっきりロックをやっていましたが、80年代の終わりになかなか思うようにハードルを越えられず、身体もボロボロになってしまいました。そんな時になんでもない花が大地にピンと楽しそうに咲いていました。それを見た時に“自分はここから生まれてきたんだ”と思い、地球と自分の気持ちが直結しました。それから大地を踏みしめるように歩いていたら、沢山ゴミが落ちているのに気が付いたのです。気が付いてしまうとやらないでいられないほうなので、海のゴミを拾ったり、散歩がてらやるようになりました」
手塚「その花はたまたま偶然見かけたということですよね」白井「こうやって生きていけば、音楽界だなんだというしがらみも関係なく自分は幸せで、しかも幸せに咲いている私を見て廻りもきっと幸せな気持ちになって元気になってくれると思いました。そう思ったら同じやり方では出来ないので、一旦すべてをヤメて、と言っても1年以上かかったのですが、そのままロンドンに行きました。行ったのが1988年。それから2年間生活しました。今から振り返ると、その2年間がものすごくエコツアーだったと思います。例えば、ウェールズに旅した時に放牧されている羊のお尻に赤や青の判子が押してありました。88年はチェルノブイリの原発事故の後で、それは放射能に汚染されているかいないかの印だったのです。その時に“こんなにチェルノブイリから遠いウェールズでもこういうことをしなければいけない、空は繋がっていて国境も何もない”ということを感じました。またロンドンでは無農薬のサンドイッチやハンバーグなどを売っているお店に行くのが好きで、そういうものを食べていると身体がどんどん元気になっていくのも体験しました。それで日本に帰ってきました。そうしたらゴミの日にまだまだ着られそうな服が、電気製品もまだまだ使えそうなものが捨ててあってビックリしました。そのカルチャーショックが自分のエコ感覚を養ってくれました」
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