手塚「大学が東京理科大の理工学部に進まれていますが、なぜ理系に?」武田「まず勉強するのが嫌で、社会とか漢字を覚えるというのは興味なくて、好奇心だけで出来るのは理系だったんです。中学ぐらいから宇宙に興味があってそういう本ばかりを読んでいましたし...」手塚「子供の頃は将来何になるというのは考えていました?」武田「全然なかったですね、何も考えずに生きてきたというか、みんなが就職活動をしている時も、何をしているか分からなかったし、明日から夏休みって言われてビックリするような...」手塚「(笑)」武田「今もそうで、今日のスケジュールは朝、妻に聞いて動くタイプなので、明日とか明後日の話に全く頭が動かない...」
手塚「大学を卒業後、NTTに就職されてサラリーマンをされていますね」武田「2年半から3年ぐらいですけど」手塚「NTTを選んだというのは特に...」武田「教授推薦です。“お前身体大きいから大きいところへ行こう”ということで冗談のように(笑)」手塚「その3年間は普通に?」武田「営業もやりましたし、研修もやらせて頂いて、社会性を見つけさせて貰いました。でも相当怒られましたね、空気読めないので。会議をやっていても“この会議になんの意味があるんですか?”って普通に言ってしまう人なので...」
手塚「2001年にNTTを辞めて書道家の道に進まれましたが、きっかけは?」武田「僕は物作りが全く出来なかったのです。絵の色も綺麗に塗れないし、家庭科の時間では裁縫も出来ないし、料理も出来ない。技術の時間に椅子を作ることが出来ない...、等突拍子もないものを造ってしまうんです、要するにマニュアル通りにいけないのです。それが会社員時代に、字が上手いというのが広まって、ある先輩に“筆で名刺を書いてくれないか”と言われて必死に作りました。それがみんなにかっこいいと褒められて、その喜びが、一番苦手な物作りでそんなリアクションが貰えるならと、そのまま会社を辞めたです」手塚「(笑)その時にお母様にご相談されたのですか?」武田「“全部辞めるけん”と“やるけん”と全部過去形で、母親も言おうと思っていたけど言う暇もなかったらしいです。今思えば全面的にバックアップしようという意気込みだったと思いますけど。それも何も見えていませんから、母親の姿も何も」手塚「自分のことで精一杯で」武田「回りがいかに僕のことを心配したり助けてくれてるかと言うことになかなか気づいていなかった時期でしたから、反省してますけど」
手塚「武田さんはパフォーマンスとして書をお見せになりますが、何かきっかけがあったのですか?」武田「最初はあまり深く考えていませんでしたが、結局人前で書くことが練習になるし、伝わり方も違うし、いろいろな世界が広がっていきました。やってみたら新しい反応があって、いろいろな活動の中で残ったことです。最初はストリートでやりました。練習する姿も外に見せていけば何か起こるのではないかと。ストリートでの大きな経験は、人の話をちゃんと聞くと言うことでした。その場の中に溶け込まないといけないし...。常に空気を読まないといけないのです(笑)道徳の時間に習ったようなことがよく分かりました。
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