鈴木重子さんは東京大学法学部を卒業後、司法試験に挑戦しながら東京都内のジャズクラブを中心にジャズ・ヴォーカリストとしての活動をスタートしました。1995年に1stアルバムをリリースしてメジャーデビューすると同時にニューヨークの名門ジャズ・クラブ“ブルーノート”で日本人として初めてのライブを行い注目を集めました。1年に1作のペースでアルバムをリリースしながらジャズ以外にも活動の場を広げてこられ、今年デビュー10周年を迎えられました。
手塚「音楽に触れたきっかけは?」鈴木「覚えている一番最初は、母の子守唄です。シューベルトの子守唄を歌っていたのを覚えています。その当時の私にとって母の声は天使のようで、“私もお母さんのように歌えるようになりたい”と思っていました。でも最近母とカラオケに行くと、“あれはいったい何だったんだろう”と気になったりして(笑)」
手塚「でも大学は東大の法学部で、司法試験を目指していて...。それがなぜ音楽の道を目指したんですか?」鈴木「勉強ができてしまい、東大に受かり、しかも法学部に行ってしまったものだから偉くならなければいけないと思ったわけです。かといって官僚になるとか一流企業にお勤めするというようには全然思わなかったんです。それに競争が嫌いで、司法試験に受かれば何とかなるだろうとという気持ちで受けました。でもそんな気持ちで通る試験ではなく、結局6年間大学にいて卒業後も何の身分もないまま司法試験の勉強をしていました。卒業した翌年からアルバイトでジャズクラブで歌うようになり、昼間は勉強、夜はステージという生活を送っていました。でもだんだん歌の仕事が忙しくなって来ました。それでも東大出のジャズ歌手なんてという思いがあってなかなか踏み出せませんでした。それがある日突然ふっと吹っ切れて、嫌々やっていた勉強を辞めて歌の道に進みました」
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