手塚「私の父、手塚治虫の作品との出会いをきっかけに漫画家を目指した矢口先生ですが、その辺のお話から...」矢口「小学校3年の冬休みに、村の若者がマンガが好きな僕のために“流線型事件”という手塚先生の本を買ってきてくれたんです。それを一気に読んでファンになり、大きくなったら手塚治虫のような漫画家になりたいなぁ〜と考えました。それで少ないお小遣いの中から先生の単行本を買って読んだものですね〜。でもその当時漫画家というのは独立した職業だとは誰も考えていませんでしたから、僕も踏ん切りがつかず高校を卒業して銀行マンになったんです。そこに12年勤めて、30歳になったときに少年の時の夢を実現させようと思い、銀行を辞めて上京したんです」手塚「手塚治虫と初めてあったのは?」矢口「1970年の7月にデビューして、その年の暮れに出版社が行った忘年会で、ナマ手塚治虫を見ました(笑)あと手塚先生の思いでといえば、手塚先生に叱られたことがあるんです。神戸のポートピアでサイン会があって、僕と手塚先生が行ったんです。その後宝塚の温泉に行って一泊する予定だったんです。その向かう車のなかで、手塚先生が新幹線や飛行機の中でも原稿書いて忙しいと言ったんです。それで僕は不用意にその作品は受けなければいいのに、と言ってしまったんです。そしたら僕だって受けたくないよ!!!と怒ってしまったんです(笑)で結局手塚先生は、その日は泊まらずに飛行機で帰ってしまったんです。本当に忙しいようでした」 手塚「矢口先生が、手塚マンガで一番大きく影響を受けられた部分というのは...」矢口「非常にキャラクターが上品なんです。ここには痺れましたね」手塚「矢口先生が気に入っている作品は?」矢口「もし三つ上げろといわれたら“アドルフに告ぐ”“火の鳥”“ネオ・ファウスト”ですね。ネオ・ファウストは読んで感激して、娘に“これ読んで見ろ”と渡したんです。そしたら最後まで読んで娘が泣き出したんです。“なんで手塚治虫はここまで書いて死ななきゃなんなかったの!!!”と言ったんです。そのぐらいこの作品は未完なだけれど、大きいですね」