EarthDreamingロゴ 放送内容
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4月 中島 悠
4月 嵯峨生馬
4月 今関 勝
4月 中溪宏一
5月 山川冬樹
5月 近藤 篤
5月〜
6月
浜崎貴司
6月〜
7月
羽仁カンタ
7月 中溪宏一
7月 嵯峨生馬
7月〜
8月
本多有香
8月 冨田秀実
小西雅子
8月〜
9月
安藤直人
9月 小西雅子
9月〜
10月
鈴木幸一
10月 中野シロウ
10月 山田啓雄
11月 川端由美
11月 浜崎貴司
12月 赤星たみこ
12月 山岸尚之
12月 2006年を振り返って
1月 塩田明彦
1月〜
2月
中溪宏一
2月 つやまあきひこ
2月〜
3月
中島 悠
3月 山岸尚之
3月〜
4月
北澤 肯
12月3日ゲスト: 漫画家赤星たみこさん

赤星たみこ1 手塚「子供の頃によくマンガを拝見させて頂いていたのですが、お会い出来て光栄です」赤星「こちらこそ光栄です」手塚「赤星さんは1979年にデビューされ、テレビドラマの原作者としても有名です。最近は『私は趣味のエコロジスト』、『ゴミを出さない暮らしのコツ』などエコロジーに関する本を出版されています。なぜ『エコ』に興味を持たれたのですか?」赤星「きっかけはゴミです。漫画家になると生活が不規則ですから、朝のゴミ出し、8時半までに起きられなかったんです。それで家の中にゴミがどんどん溜まって、徹夜でふらふらになってゴミ出ししたりとかしてたんですが、あんまり辛いので、“これはゴミを減らした方がいいのではないか”と思って、漫画家になって直ぐからゴミを減らす工夫を始めました。ただ単に『環境』というよりは“朝起きたくない”ということから始めました(笑)私は宮崎県日之影町の出身で、山奥のとても綺麗な所です。それで18歳の時に東京に出てきて、ゴミの多さにビックリしました。ですから自然の多い綺麗な所を大切にしたいと思いました」

 手塚「赤星さんが日常の疑問やアイデアをマンガに取り入れたのはいつ頃からなのですか?」赤星「エコのマンガを描いてくれと依頼があれば描くんですが、私が理想とするのは、ごく普通のラブコメなどに脇役で、エコに関心のある人がちょっと出るのがいいと思っています。あんまり『エコ、エコ』というようなマンガは、関心のある人にはいいんですけど、ない人にはうっとうしいことなのです。今エコを振りかざすと、絶対的に正しくてエコに反対する人は極悪非道みたいな風潮があります。でもちょっと心がけているだけで、いいと思います」

 手塚「エコを趣味でやっていらっしゃるとのことですが」赤星「『主義』になったら息切れします」手塚「趣味ですから時間がない時は、やらなくてもいいということですね」赤星「何がなんでもやらなくちゃいけないではなくて、“自分に余裕のある時に”という気持ちですと広がりますから。20年ぐらいかけて少しずつやっていこうと言う気持ちでやるといいと思います」


赤星たみこ2 手塚「具体的に実践されていることをお教えください」赤星「家中の各部屋にゴミ箱を2つ置いています。燃えるゴミ用と燃えないゴミ用です。そこで分別しておくと台所分別しないですむので楽なんです。そしてレジ袋は必ず持ち歩く。今日もバックの中に風呂敷が入っていますが、すごく便利です。“レジ袋を断りましょう”という話は聞きますが、それだけでは断り切れません。私が講演でよく話すのは、“レジ袋をすべてのバックに入れてください”と。そうするといつも手元レジ袋があるので断れます。後はマイ箸とスプーンを持ち歩いています。20年前は“スプーンいりません”というとすごく驚かれましたが、最近は“有難うございます”というスーパーも出てきました。いらないものは断るというのがゴミを減らす第一歩ですね」

 手塚「風呂敷は便利ですよね」赤星「昔は各家庭に20枚ぐらい風呂敷はあったんです。今は少なくなりましたね、だから私は使わなくなったスカーフを風呂敷代わりにしています」手塚「風呂敷は海外に行った時など便利なんでしょうね」赤星「そう『バスケット包み』という結び方があって、ハワイに行った時に買い物をした荷物を包んだら、金髪のお姉さんがビックリしてました。“エクセレント!!”と言って(笑)日本の文化はすごいなと、自慢しながら使ってます」

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12月10日 ゲスト:赤星たみこさん

赤星たみこ3  手塚「漫画家になりたいと思ったきっかけは?」赤星「子供の頃、漫画家になれるとは思っていませんでしたが、とにかくマンガは好きでした。家の近所、2軒隣に本屋さんがあってずっと立ち読みしていました。普通は書店のおじさんがハタキを持って子供たちを追い払うんですが、私があまりにしつこいので、“おまえはいいよ”と読ませてくれました。それが中学、高校になると友達と回し読みをして、週に何十冊と読んでました」

 手塚「ご自身で描くようになったのは?」赤星「ペンとインクで描くようになったのは、高校を卒業するぐらいからでしょうか...。それまではノートに鉛筆で描いていました。鉛筆で描くとホワイトが使えないので、白抜きは消しゴムで細く消したりして...」手塚「それはテクニックがいりますね。私も描いていましたが、そういうテクニックのいるようなことはしていませんでしたね〜。漫画家になってからそれまでの憧れとの違いはありましたか?」赤星「少女漫画家の先生たちが日常生活をちょろっとマンガにしているのを見ていたので、それほど大きくは違いはなかったんですが、閉じこもって描いているので、“こんなに歩かないのか”ということに驚きました」

 手塚「いろいろ出版社を回っていらして、父、手塚治虫に会ったことは?」赤星「デビュー前に、知り合いの知り合いの知り合いの...編集者の方に虫プロに連れて行ってもらいました。そしたら奥のドアが開いて手塚先生が出ていらっしゃいました。もう緊張して口パクパク(笑)でも宝物です、思い出として。同じ空気を吸ってると思いましたよ(笑)」


赤星たみこ4 手塚「手塚治虫の作品で一番お好きなのは?」赤星「どれも印象深いんですが、子供の時に書店で立ち読みした『火の鳥』は忘れられないですね。『奇子(あやこ)』も立ち読みで、後に単行本買いましたけど、子供にとってはちょっとエッチだったんじゃないかな〜」手塚「エッチと言うかね、タブーを扱ってますから...。でもそれを立ち読みされてたわけですからね〜」赤星「そうですね〜」

 手塚「手塚マンガに影響を受けたことはありますか?」赤星「手塚治虫のすごさというのは、パイオニアのすごさなんだと思います。パイオニアとしてすごく熱意があったのと、がむしゃらな欲求というのがあるわけです。私はもう50歳になりますけど、手塚先生が50の時の熱意を私が持っているだろうかと時々自問自答します。比べようがないので“持っていない”としか言いようがないんですが、手塚治虫という人のマンガに寄せる情熱というのは、すごかったんだなぁ〜としみじみ思います。具体的には『鉄腕アトム』の目の描き方は真似しました。あとつま先の形とか(笑)ペンタッチの滑らかさは最初の頃どうしても出せなくて、真似したり練習しました。吹き出しの形も真似しましたね〜。あの静かなシーンで『し〜ん』って書きますけど、あれも手塚先生が最初なんですってね」手塚「あ、そうなんですか。へぇ〜」赤星「私が言うのもおこがましいんですが、手塚先生は戦争を体験していらして、しかも宝塚の華やかなものも見ているので、華やかなものと虚無的なものが同居していて、マンガでありながら暗いんですよね。その暗い所を表現してくれた人がパイオニアでいてくれてよかったなと私は思っています。アメリカが“マンガは子供が読むもの”という固定観念から抜け出せないのはちゃんと正しい暗さを持った作家がいなかったからだと思います。日本のマンガ文化がここまでになったのは、手塚先生が正しい暗さを持っていたからだと思います」


浜崎貴司さん 山岸尚之さん

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