EarthDreamingロゴ 放送内容
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4月 中島 悠
4月 嵯峨生馬
4月 今関 勝
4月 中溪宏一
5月 山川冬樹
5月 近藤 篤
5月〜
6月
浜崎貴司
6月〜
7月
羽仁カンタ
7月 中溪宏一
7月 嵯峨生馬
7月〜
8月
本多有香
8月 冨田秀実
小西雅子
8月〜
9月
安藤直人
9月 小西雅子
9月〜
10月
鈴木幸一
10月 中野シロウ
10月 山田啓雄
11月 川端由美
11月 浜崎貴司
12月 赤星たみこ
12月 山岸尚之
12月 2006年を振り返って
1月 塩田明彦
1月〜
2月
中溪宏一
2月 つやまあきひこ
2月〜
3月
中島 悠
3月 山岸尚之
3月〜
4月
北澤 肯
1月7日ゲスト: 映画監督塩田明彦さん

塩田明彦1 塩田監督は1961年、京都府舞鶴市のお生まれ。大学在学中に自主映画を制作。在学中の1983年『ファララ』がぴあフィルムフェスティバルに入選して注目を集めました。大学卒業後助監督を経て、1996年に監督デビュー、99年に『月光の囁き』で劇場デビューをされました。映画『黄泉がえり』では2003年日本アカデミー賞の監督賞と脚本賞を受賞されています。そして今年、手塚治虫原作の『どろろ』を映画化されました。

 手塚「なぜ『どろろ』を映画にしようと思われたんですか?」塩田「昔アニメでやっていましたね。僕が子供頃に。でも見たことがなかったんです。ただマンガ原作も“面白い”という話をずっと聞いていましたが、なぜか読まずに来たんです。それで大学生の頃に古本屋で見つけて読んだ時に衝撃を受けました。以来ずっと映画化したいと思っていました」手塚「これは塩田さんの方からプロデューサーに“どろろ”をやりたいとおっしゃったんですか?」塩田「『黄泉がえり』を撮ってる時ぐらいから僕が“どろろをやりたい”と言ってたんです。今回脚本を書いている中村雅さんも同じ頃に“どろろをやりましょう”と言ってたらしいんです。“そんなにいろんな人がやりたいという作品ならやるのも手か”とプロデューサーが考えたらしいんです」


塩田明彦2 手塚「これは発端から完成するまでどのくらいの時間がかかったのですか?」塩田「3年ぐらいかかっています。僕がちょっと他の映画を撮っていて、一時中断したこともありますが、脚本作りで1年半ぐらいはかかっています」手塚「ある程度、ストーリーが固まってから映像化へはスムーズにいったのですか?」塩田「スムーズというか、脚本が出来上がったらすぐやらないと間に合わない、という状況でした(笑)ゆっくり準備をする暇がありませんでした。でも苦労したのは僕以上にCGや合成のチームなんです」手塚「百鬼丸が戦うシーンとか、身体が変化するシーンはCGでないと表現出来ないですものね」塩田「百鬼丸の腕に刀が仕込まれていて、それを作らなければいけないのですが、うまく出来ていればいるほど、お客さんは普通に見るんだと思います。だから“すごい”と気付いてくれないんです(笑)」手塚「確かにそうかもしれないですね」塩田「そう言うところはリアルを追求しましたが、一方妖怪などは嘘っぽくてもかまわないと言うか、リアルな妖怪って分からないじゃないですか(笑)だからその部分は映像としてのはったりがある、面白いものを作ろうとしたのですが、CGはリアルさを追求してきたので、かえってそれが苦労しました(笑)」

 手塚「今回の見所として、キャスティングもありますね。百鬼丸に妻夫木聡さん、どろろが柴咲コウさん、醍醐景光が中井貴一さん、そして寿海が原田芳雄さんと。それで一つ気になったのが、どろろの柴咲コウさんです。どろろは一見少年ですが、実は女の子。でも少年と言うイメージが強かったので、このキャスティングはどうかなと...」塩田「そうですね、そこは作ってる間もいろいろ議論があったんです。あの原作の感じをあの年齢の子供を使って撮ると、百鬼丸との世界とすりあわせるがの難しいと思ったからです。柴咲コウさんはどろろに似た、“地を這ってでも生きていく”ようなものを昔から感じていたんです。見て頂いたら納得してもらえると思います」

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1月14日 ゲスト:塩田明彦さん

塩田明彦3  手塚「主人公の妻夫木さんについては?」塩田「完全にこなしてくれたと僕は思っています。これから成長していく百鬼丸とうまくつながると思います。“最低三ヶ月、アクションの練習をして欲しい”と言ったら、“三ヶ月じゃ足りない”と言って半年前から練習を始めてくれました。それぐらい役に惚れ込んでくれました」手塚「妻夫木さんにしてみれば新境地と言いますか、かなり身体を酷使されたのではないですか?」塩田「痣だらけになっていたようですけど(笑)こっちはやってもらう方だから見て見ぬ振りをしてましたが、相当きつかったと思います。刀が腕についているのと、手に持っているのでは動きが全然違います。刀を振りかぶるのでも、手に持っていれば、手をちょっと動かしただけでも大きく見えますが、腕に刀が付いていると全身で動かさないと大きく動きのある表現にはならないのです。だからちょっとした動きでも、足、腰、身体、全身を使わないとちゃんとしたアクションにならなくて、毎回全力なんです」

 手塚「キャストの中でこの人が面白かったとか、なにかエピソードはありますか?」塩田「土屋アンナさんがある妖怪っぽい役で出るんですが、撮影現場はなかなか面白かったですね。合成用の手続きとして、全身緑色のレオタードを着るんです。“私は撮影現場でこんな馬鹿な格好をしたことはない”と言いながら本人は喜んでいましたね(笑)また妻夫木さ君や柴咲さん、土屋さんもワイヤーに沢山吊られるんですが、あれはみんな喜びますね。相当あちこち痛いらしいのですが、日頃やらないことだから面白いと感じるようですね」


塩田明彦4 手塚「この『どろろ』世界での公開も決定しているということですが、もうアメリカンフィルムマーケットで上映されて好評だったと聞きますが、反応はどうでしたか?」塩田「実は僕もその場には行っていなくて、人伝に聞いたところでは、かなり好感触らしいです」手塚「それはすごいですよね。しかも『どろろ』知らない国の方ですからね」塩田「ヨーロッパ圏やブラジル、インド、中国なども買ってくれています。全然文化圏の違うところでどう受け取られるのか恐いですね」

 手塚「時代設定が分からない、変わった演出をされていますが」塩田「やっぱり世界中で見てもらいたいというのは制作サイド一丸となってありましたから。そのためにはある種の普遍性というのが必要だろうと。勿論原作が持っている普遍性が世界に通じるもので、それをより強調するには神話とした方が狙いがはっきりすると思ったからです」

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1月21日 ゲスト:塩田明彦さん

塩田明彦5  手塚「最初にお読みになった手塚マンガは?」塩田「いや、それが思い出そうとしたのですが、よく分からないんですよ。むしろアニメは昔から『鉄腕アトム』とか『リボンの騎士』とか...。もしかすると映画館で観た最初の映画は『リボンの騎士』じゃないかと思っています。マンガを立ち読み始めたのが小学校の低学年ぐらいで、何となく思い出すのは『三つ目がとおる』は読んですごく恐かったという思い出があります。でも僕はアニメーションの方が印象に強くて、子供の頃に『クレオパトラ』をテレビで放映された時にテレビを独り占めして見ました。でも始まったらあれ、結構エッチと言うかセクシーな作品で(笑)テレビの前で気まずい思いをした思い出があります(笑)あれはすごく好きで未だに印象に残ってます」手塚「やっぱり塩田さんは映像とかアニメに小さい頃から興味を持っていたんですか?」塩田「そうですね」手塚「アニメの監督になろうとは思わなかったのですか?」塩田「それはなかったですね」

 手塚「『どろろ』以外でお好きな作品や、映像化したら面白いと思っている手塚マンガは?」塩田「やっぱり『ブラックジャック』は強烈なんですよね。一番読み直しているマンガは『ブラックジャック』じゃないかなぁ〜。『どろろ』を映画化するにあたってもう一度読み返してみたら、“あ、これがすべて『ブラックジャック』になっていったんだ”と感じました。ブラックジャックとピノコの関係が百鬼丸とどろろの関係に近かったり、親に捨てられた子供が必死に生きていく感じとか」手塚「これを映画化するというお考えは?」塩田「ただ原作が完成されすぎているし、アニメにも何度もなってますし、手塚眞さんも作ってましたし...。そういうのを見ると自分はもうそこに入れない、てが出ないというのはあります。それではなくて、『鬼丸大将』と言う地味な作品がありますね、あれ面白いんじゃないかなと思っています(笑)」


塩田明彦6 手塚「『どろろ』を撮り終えて、今どんなお気持ちですか?」塩田「今は、恐いけど、ワクワクという感じです。撮り終えて今、現時点で僕やることはすべてやったと持っています。僕が10年ぐらい前に監督になって、この『どろろ』がちょうど10本目。これまでやってきたこと、監督業だけはなく子供の頃からの経験を総て、詰め込んだ作品です。これがどう受け取られるのか...。海外でも上映されるということで、日本でちゃんとお客さんに訴えることが出来て、他の国でも訴えることが出来たら、原作の持っている普遍性が映画の中に取り込められたのかなと思えるじゃないですか。そうなればいいなと思ってる所です」

 手塚「この『どろろ』で得た経験を持って、次はどんな作品を撮りたいとお考えですか?」塩田「最近は大きい作品と小さい作品を交互に撮っていて、とりあえず今までで一番大きい作品を撮ったので、次は今までで一番小さな作品を撮るという(笑)また自主映画で小さな作品を撮るのもいいかなと...。でもせっかく『どろろ』を撮って学んだことを次に生かせたらいいなと、次の世界に挑みたいなと思います」


2006年を振り返って 中溪宏一さん

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