山川さんは2003年にトゥバ共和国で開催された『第4回国際ホーメイフェスティバル』に参加し、アヴァンギャルド賞を受賞。また同じ年に東京で開催された『第2回ホーメイコンテスト』では2001年の第1回大会に続きグランプリと観客賞をダブル受賞されたりと数少ない日本人ホーメイ歌手として優れた歌唱力と表現力を持ち、現在も様々なフェスティバルやコンサートで活躍されています。
手塚 「最初に音楽に目覚めたのはいつですか?」山川「子供の頃、毎週日曜日は教会に通っていて、そこで歌う賛美歌が大好きでした。子供ながらに歌いながらエクスタシーに浸っていた(笑)。今でもその頃の感覚は自分の表現の根底に生きている思いますよ」手塚「自分から音楽に入り込んでいったのは?」山川「自発的に楽器をやりたいと思ったのは、やっぱりエレキギターが最初ですね。少年時代はアメリカに住んでて、丁度その頃ロードショーされていた、映画『バック・トゥ・ザ・フュチャー』がきっかけかも知れません。映画の中でマイケルJフォックスがでっかいアンプに向き合ってギターをかき鳴らした瞬間、爆音と共にアンプもろとも自分も吹っ飛ぶというシーンが鮮烈で、それで自分も吹っ飛びたい!と。で、しばらくは家にあったバラライカ(ロシアの弦楽器)でその気になって我慢してたんですが、12歳の誕生日プレゼントにエレキギター買ってもらいました(笑)」
手塚「少年時代は“ロック少年”だったんですね。それがホーメイというまったく違う方向に行くわけですが、このホーメイに出会ったきっかけは?」山川「ロック以外にもありとあらゆる音楽を聴いて来ましたが、大学生だったある日、トゥバ民謡のCDを聴いて雷に打たれたような衝撃を受けたんです」手塚「独特の歌唱法が強烈な印象を与えたんでしょうか?」山川「自分が元々持っていたものとその瞬間、共鳴してしまったんだと思います。それから取り憑かれたようにのめり込みましたね」
手塚「ホーメイの歌詞はその国の伝統的なものが歌われているのですか?」山川「哲学的なものや、お母さんや自然への感謝を謳ったもの、恋の歌もあれば、俗っぽくてユーモラスな物など、本当に色々です。また伝統とは言っても生活の中に歌が根付いているので、歌手自身が自分のことばで歌うということも当たり前に行われています」
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