今関さんは1993年ドラフト3位で日本ハムへ入団。96年にはイチロー選手らと共にオールスターに出場、また自己最多の11勝を挙げるなどローテーションの一角として大活躍されました。2000年に日本ハムを解雇されてからは野球を続けられる環境を探し求め、アメリカ東海岸の独立リーグ『Atlantic
League』の球団へ入団しました。2003年までの3年間メジャーのスカウトの目にとまることを信じ挑戦を続けられました。現在は日本のクラブチームで好きな野球を続けながら『日本のプロ野球』と『アメリカの野球』の両方を経験されたことを生かして野球の発展、そして人々の心の発展に貢献すべく講演、執筆活動を中心に活動されています。
手塚「初めてお会いしましたけど、背が高くてがっしりしていらして、よくプロレスラーとかお相撲とかに間違えられるそうですけど」今関「そうなんです。プロレスの会場に行った時に挨拶されたことがあります」手塚「そんな今関さんなんですが、野球の強い高校にお入りなって、1年の時にいじめが原因で中退されていますね」今関「野球の強い高校ってどこでもお山の大将みたいな選手が集まるんですね。そこでちょっとしたことで喧嘩をしてしまったんです。それで僕が勝ってしまったんです。そうしたら次の日から誰も口をきいてくれなくなってしまったんです。そういうことがあってこの環境で甲子園を目指すと言うことが出来なくなってしまい、高校を辞めました」手塚「親御さんはどうされましたか?」今関「逆に両親は自分の好きなようにしろとということと、時間をかけてみてくれました。それが僕にとって助けになりました」
手塚「その後別の学校に転校されましたが...」今関「また入学試験を受けて1年生から始めました。やっぱり野球をやりたいという思いがありましたので」手塚「それで野球部にお入りになって...」今関「そうですね、今度の学校は甲子園を目指すという学校ではなかったので、自分の目標としてプロを目指すという方向に変わりました」手塚「ただ途中でクラブチームに移ってしまいましたがこれは?」今関「高校野球は3年間しか登録出来ないんです。2年生の時に年齢制限もありましたので、次にどうしていこうかと。僕はいつも“どうしていこうか”ということから行動を考えて目標を決めていきます。ですからその時も目標を設定を変えて野球の出来る環境を探しました」手塚「あの〜、クラブチームというのをご説明願えますか?」今関「クラブチームは自分たちでお金を出し合ってを作るチームです。私がいた所は硬式野球のチームでして、社会人野球を引退された方や、大学で活躍された方。またノンフィクション作家やギタリストなどもいる異色のチームでした」手塚「なるほど、年齢、職業を問わずやりたい人がお金を出し合って作ったチームなんですね。これは全国にどのくらいあるんですか?」今関「現在200チームあるはずですね。私がやっていたときは80チームぐらいでした」手塚「高校野球のような大会はあるのですか?」今関「毎年夏に全国大会があります」
手塚「それで93年に日本ハムに入団されるわけですが、遠回りしたその時間は今関さんに取ってはどうだったんですか?」今関「遠回りと思われるかもしれませんが、考える時間もありましたからかえって近道だったと思います」
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