羽仁さんはレゲエジャパンスプラッシュ、Rainbow2000、Fuji
Rock Festivalなどの大規模野外音楽フェスティバルでボランティアを組織し、ゴミの削減、リサイクルなどの環境対策事業を行っていらっしゃいます。
手塚「羽仁さんは22歳の時にアメリカ、ボストンの大学に留学されて、その頃から環境問題に関心を持たれたのですか?」羽仁「元々環境と言うよりは、人々がもっと繋がりあえないかなと思っていました。それを実現するために環境問題が良い橋渡しをしてくれると思って、社会学部環境社会学科を選びました」
手塚「91年に帰国されて"A SEED JAPAN"を設立されたんですが、その"A
SEED JAPAN"についてご説明下さい」羽仁「特徴的なのは対処療法ではない活動を目指しています。例えばゴミが落ちていたら拾うというのではなく、それを捨てた人がいるということですから、ゴミを捨てないように、根本から改善していくということに重きを置いています」
手塚「野外フェスティバルでのゴミゼロナヴィゲーションの活動、10年あまり経ちますがいかがですか?」羽仁「かなり変わりましたね。最初ひどかったですけどね」手塚「お客さんが帰った後、ゴミの山でしたものね〜」羽仁「ジャパンスプラッシュがあまりにひどかったので、そこで鍛えられましたね。最初僕たちも対処療法的にやっていたんです。ゴミを拾ったり...でもそれってすごく屈辱的だなぁ〜と思って、3〜4年で辞めたんです。それでゴミ袋を配るようにしたんです。それとゴミの中にもいわゆる資源ゴミも混じっているので、それを持ってきたお客さんには何かあげようというキャンペーンを行ったんです。ですからいかに参加型にするかということにこだわってきました。それからドンドン良くなってきて、Fuji
Rock Festivalでは海外のミュージシャンが、“こんなに綺麗なイベント無いよ”と言うぐらいになりました」 |