EarthDreamingロゴ 放送内容
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4月 立川談志
4月 毛利 衛
4月 藤井フミヤ
5月 安在尚人
5月 坂本徹也
5月 近藤 篤
6月 羽仁カンタ
6月 故・手塚治虫講演より
6月 上田壮一
7月 今井絵理子
7月 杉山清貴
8月 船越令子
8月 大野由紀恵
8月 小島あずさ
8月 大宮美智枝
9月 KONISHIKI
10月 西垣成雄
10月 疋田 智
10月 斎藤 誠
10月〜
11月
高樹沙耶
11月 上岡 裕
11月 渡邉英徳
11月 柴田政明
12月 大塚明夫
12月 安寿ミラ
12月 この1年を振り返って
1月 伊藤瞭介
1月 秋山 孝
2月 寺薗淳也
2月 藤子不二雄A
2月 つやまあきひこ
2月 丸田信之
3月 皆川孝徳
3月 大矢寛朗
3月 持丸和朗
7月13日 ゲスト:杉山清貴さん

杉山清貴1 手塚「杉山さんがボランティアとして参加し続けていらっしゃる“はだしのコンサート”についてお聞かせ下さい」杉山「1994年から始めた活動なんです。京都丹後半島の琴引浜、鳴き砂で有名なところですが、そこを地元にするサーファーが“最近、浜が鳴かなくなった”と言ったんです。それで原因を調べてみると、タバコの灰だったんです。それでビーチを綺麗にして、浜を元に戻そうということになったんです。ビーチクリーニングをするために人を集めるには何か“餌”が必要だということで関西のミュージシャン、増田俊郎さんを通じて僕が呼ばれたんです」手塚「お客さんは何をしたらコンサートを見られるんですか?」杉山「ビーチクリーニングやるとゴミ袋を貰いますよね。そのゴミ袋が入場券代わりということです。最初は本当に手作りだったんですが、翌年からはメディアも絡んできました。それで毎年大きくなって、今年は10回目でしたので、祭りとして成立してます」

 手塚「サーファーの方って若い人も多いと思うんですが、最初の頃の若い人たちの反応はいかがでした?」杉山「琴引浜は地元の方が綺麗にしてるところなので、ゴミを探す方が大変なんです。ですからまずゴミを拾うという意識を持って貰おうと思ったんです。それはゴミがあるところにはゴミを捨てるのは当たり前だろうという感覚というのは、人の中にあると思うんです。逆にゴミのないところには捨てられないわけですよね。そこを若い人たちに分かって貰えたらいいなと思っていました」

 手塚「10年続けられた来て回りの反応が変わってきていると思うのですが」杉山「琴引浜に関して言えば、積み重ねてきた結果、日本で初めて“禁煙ビーチ”に指定されました。ですからそういう結果が出せたのはすごいことだと思います。それに砂も良く鳴くようになりました」


杉山清貴2 手塚「杉山さんは“ハート・オブ・ザ・シー”という映画にご出演されたそうですが、俳優業もやってらしたんですか?」杉山「いえいえこれが初めてです。デビュー20年にして初めてです」手塚「この映画のストーリーを教えてください」杉山「舞台は千葉県、房総半島の和田町という所なんですが、そこで生まれ育った女の子が都会の生活に疲れて、地元に帰っていくというような内容なんです。僕は、ボディーボードを13年前ぐらいからやっていて、それを通じて知り合ったプロボディーボーダーの方が2年前に亡くなってしまったんです。その方が映画の一つの軸になっているんです。僕は“杉山清貴”という本人の役で出演しているんです。サーファー達がビーチクリーンライブをやりたいと言うことで、やってる杉山さんに話を持っていく...というところから僕が登場するんです」手塚「じゃ〜割と楽だった?」杉山「一応台本がありますから...こういうしゃべり方するのかな?俺だったらどういう言い回しをするのかな、というプレッシャーはありました」

 手塚「“はだしのコンサート”来年以降、こんな事をやってみたいなと言うのはありますか?」杉山「ボクらは参加させて貰ってるという形ですので、最初から作り上げた地元の人たちがこういう風にしたいというのがあれば、そこに乗っかってお手伝いさせて頂くということですから、どうなんでしょうね」手塚「毎年地元の方の要望というかアイデアに応えていくという...杉山さんはホームページでファンの方とコミュニケーションをとっていらっしゃいますが、いろんな要望があるんじゃないんですか?」杉山「う〜ん、あるようですが、あまり聞かないように(笑)いろんな事をやってみたいとは思っていますが、やっぱり音楽は自分の中で一番大事なものですから、そこだけはしっかりやっていきたいと思います」

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7月27日 杉山清貴さん

杉山清貴3 手塚「杉山さんと言えば海というイメージがありますが、横浜のお生まれですよね。海に近い環境でお育ちになったんですか?」杉山「そうです。よく勘違いされる方がいて湘南には遠いんです。その代わり京浜工業地帯で、港が沢山ありまして潮の香りは大好きでしたね。物心着いた時から水のあるところが好きなのかなと思っていました」手塚「海に関して思い出深いことってありますか?」杉山「オメガトトライブの頃はよく湘南にバンドメンバーと遊びに行っていましたが、“あ〜海って”って真剣に思い出したのは30の年、ボディボードを始めてからですね」手塚「それ始めてきっかけは?」杉山「当時、内のバンドでキーボードを弾いていた人のお子さんが小学校に上がる時に“海で遊びたい”ということで簡単に出来るもの、ボディーボードを買ってあげたんです。そしたら親父がハマってしまって、“杉山君、ハワイに住み始めたんだったらやった方がいいよ”と言われたんです。それでハワイに戻ってボードを買って海に行ったらすごい数の人がやってたんです。それからです」手塚「その面白さってなんですか?」杉山「今まで感じなかったことを感じました」手塚「具体的には...」杉山「陸地から何百メーターも沖に自分の力で行って、ふっと陸を見るというのは普通ないじゃないですか。それがとても不思議でしたし、一番感動したのは波が崩れる時に波の裏側にいてですね...波が崩れるのを裏から見る...って分かります?」手塚「はぁ〜、裏、裏」杉山「(笑)沖にいて、波が自分の身体をすぎていくわけですよ」手塚「ハイ、ハイ、波の背中を見るような感じですね」杉山「それがとても不思議な感覚でしたね」

 手塚「杉山さんはハワイにもお住まいになっていますが、日本の人とハワイの人の海に対する違いというのはどうですか?」杉山「そもそも海に対する意識が違いますね。もしかすると昔の日本人はハワイの人と同じように接していたかもしれないんですが。まず海に対して感謝の気持ちがある、子供の頃から慣れ親しんでいて、海という存在を意識の中に持っていますね」


杉山清貴4 手塚「杉山さんは海と生活が密着しているんですけれども、ゴミの問題がありますね。どのように海と人間がつきあっていったら良いと思いますか?」杉山「僕らが住んでいるところも島であると言う意識を、日本人の血を再確認することから始まると思います。じゃ、海、海、海、と言っていてると、他の所は汚しても良いのかという人もいます。でも実際は山から川、そして海と繋がっています。そしてそこで育った魚を我々が食べ、と言うように循環しているんです。ですから海というものを身近に感じて、夏だけのものじゃなくて...母なる海という言葉ありますが、海というのはいったい何なんだろうということを考えていただけると、何となく回りがぼんやりと見えてきて、最終的にゴミを捨てるというのは恥ずかしいことなんだなというのが分かってくるんじゃないかな〜。これはダメ、あれはダメと規制するのは簡単ですけれど、自分で自身で分からないと始まらないですからね」手塚「頭で理解するのではなくて、心で理解しないとね」杉山「僕がよく言うのは、自分の家の庭にゴミを投げ入れられたらどう思う。それと同じことだというように分かりやすくね」

 手塚「デビュー20周年アルバム Hula Moon Sessionsを4月に出されましたが、このHulaはフラダンスのフラですよね?」杉山「そうです。フラと言うのハワイ語で踊り、ダンスという意味なんです。それで踊っている月という意味で、このタイトルにしました」

 手塚「今後の活動予定は?」杉山「え〜、う〜ん、あまり考えてないんですよ」手塚「そんな〜(笑)」杉山「年内のスケジュールということではライブもありますけれど...毎年一年が終わる頃に今年も楽しかったなって思えればいいかなって...」手塚「いいですね、肩の力が抜けた感じで」杉山「抜けっぱなしなんです(笑)」手塚「まさにいい波が来たらのろうかなと言う感覚で...」杉山「素晴らしいですね〜」手塚「うまい?」杉山「ハイ!!!美しいと思います」


今井絵理子さん 船越令子さん

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