大矢寛朗さんはファッションデザイナー三宅一生さんのスタッフを経て、1996年に独立。いきなりパリコレクションに参加し、自身のブランド“OH!
YA”を発表。その後も鉄腕アトムをデザイン・モチーフにしたファッションブランド“Astroboy by OHYA”を立ち上げるなど精力的な活動をされています。
手塚「大矢さんがファッションデザイナーになるきっかけは?」大矢「熊本出身なんですが、高校時代にバンドをやっていましたが、それでは食べていけないと思ったのが最初です。その頃って進路を決める年代ですよね。それで一番好きな洋服なら仕事があるんじゃないかなと漠然と思って文化服装学院に入学しました」手塚「バンドをやっているから服装にはこだわっていたのですか?」大矢「こだわっていました。学生服だったのですが丈を短くして、ボタンを4つにしたり裏地に虎が入っていたり...」手塚「それはちょっと違うと思う(笑)」
手塚「文化服装学院の時に賞を取られていますよね」大矢「“装苑”という雑誌がやっている装苑賞を取りました。これを取ればなれるかなと思って応募しました。その時に色々な友達と出会って刺激を受けたという、いい時期でした」
手塚「その後卒業されて三宅一生さんの事務所に入って、帽子や靴、バックなどのデザインをされていましたが、三宅さんは憧れのデザイナーでしたか?」大矢「学生時代読んでいた雑誌などで神様的存在でしたが、実際お会いして一緒に仕事をしてみてすごくいい人だなというのが今の印象です。尊敬出来る方です」手塚「デザインを担当されてプラスになったことは?」大矢「学生時代は国内だけだったのですが、そこに入ってパリ、ロンドン、ニューヨークに行っていきなりワールドワイドになったという感じですね」
手塚「1996年の独立してオーヤデザインズを設立されましたが、どの様なデザイナーになろうと思っていたのですか?」大矢「好きな所に、好きな時間に、自由に動ける、それだけお金を持っているデザイナーになりたかったですね。最初に仲間4人と国民金融公庫からお金を借りてスタートしたんですが、でもいきなり現実にぶつかりましてすぐに無理がでてきました。あの頃は勢いだけでやっていましたから大変でした」手塚「おいくつの時だったんですか?」大矢「25歳です」
手塚「それでいきなりパリコレに自分のブランドで出てしまったわけですが、どうでした」大矢「三宅の事務所にいたときにパリで作品を発表してという仕事をしていましたから、ここしか分からなかったというか、便利というか...自然とそこだったんです」手塚「パリコレに出るのにどのくらいかかったんですか?」大矢「うちは500万借りたんですが、それぐらいで出来ると思います」 |